♯1:待々合々。


      †


 駅の南口は、近年開発が進む地域である。


 午後四時すこし前。

 駅前のロータリー周辺、いまの時間帯は学生の姿が多く見られる。


 徒歩一分の近所に、大きな商店街もあり買い物客で賑わっている。


 しかし学生が遊ぶようなお店や施設のようなものはあまりない。

 ファストフード店や、それこそ駅前にたむろして話こむ学生たちもすくなくないのだった。


 僕はそんな喧騒からちょっとだけ距離を置いた場所に立っている。

 遮蔽物のない平坦な場所を選んで——カノジョを待っていた。


 やや時間を持てあまし気味だ。

 待ち合わせの予定よりも十五分ほど早く到着してしまったからだ。


 そんなときに母親から電話がかかってくるし、


「いまちょっと、ひとと待ち合わせしてて時間がない」


 とか言って早々に通話を終了させたが、なんだか落ち着かなくなってしまった。


 スマホを手にSNSやニュースアプリなどを眺めたりするが、


「もうすぐかな?」


 スマホをしまって、周囲を見渡す。

 こんなのを何回か繰り返していた。


 十五分がやけに長く感じる時間だった。


 すると、ようやく永遠の十五分が終わりを告げる。

 五十メートルほど先にこちらへ向かって歩いてくる、カノジョの姿を見つけたのだ。


 淡い夏色のファッションにカノジョの長い黒髪がよく映えている。


「——ヒバナ、こっちだよ」


 二、三メートルの距離まできたカノジョの名前を呼んだ。


 僕の声に反応して顔をこちらに向ける。

 それから、白杖を持つ手とは逆の手を僕のほうにひらひら振った。


「おいっす、ミサキ。待たせちゃった?」


 カノジョは——ヒバナは、いつもの軽い調子ノリで言って僕に近づいてくる。


 軽いノリに関係なく、カノジョは『耳』がいい。


 僕の声のトーンに気づくものがあったようだ。


「ううん。ちょっと早く着いただけなんだけど、親から電話きて、なんか落ち着かなくてさ」


 正直に話す。

 ヒバナにテキトーな誤魔化しなど無意味だ。


「あー、お母さん?」

「そうそう」

「なんだ、てっきり緊張キンチョーしてんのかと思ったよ」


 ヒバナは僕の前で足を止め、笑った。


 それから薄紫色のレンズが入ったサングラスのテンプルのあたりを指尖ゆびさきで触れながら、つぶやく。


「ナビ、終了」


 ヒバナのサングラスはいわゆる、ウェアラブル端末のスマートグラスだ。

 接続したスマホのバーチャルアシスタントを起動して、ナビゲーションを終了させた。


「まあ、緊張それもあるかも」


 やはり素直に僕はヒバナの言葉にうなずいた。


「で、『レファレンス』の相談依頼主は?」


 ヒバナが訊く。


「まだかな。そっちの待ち合わせまでは、もうちょいあるし」


「なるほ。じゃあ依頼主はミサキみたくキンチョーして早くきちゃったりしてない。ってことね」


 悪戯っぽくヒバナが笑った。


「そうみたいだねぇ」


 言って、僕は苦笑いした。


「ふふふ。んじゃ、行きますか——」


 ヒバナは白杖を持つ手を変える。

 ひょいひょいと手招きするように右手を僕に差し出した。


「はいはい」


 左腕を差し出すと、ヒバナが肘のあたりをつかんだ。


「ガイドよろしく、ミサキ」


 ヒバナをガイドしつつ、僕らは『真の待ち合わせ場所』に向かって歩き出した。


     †


「暑いね」

「梅雨の晴れ間ってやつだね」

「それをいうなら晴れ間じゃなくて、中休みじゃない?」

「そうだっけ」

「梅雨の晴れ間って、ふつう」

「そういやそうだね、さすがミサキ。略してササキ」

「『佐々木ササキ』はもう、それべつのひとだから」


 とか中身のない会話のうちに、僕らはすぐに目的地に到着した。


 なにしろ、駅南口近くから南口改札の前まで移動しただけである。


 ここで、〝ふたり〟が来るのを待つのだ。


 改札前は、待ち合わせや電車の乗り降りで行き交うひとたちでごったがえしていた。

 学生がほとんどで、ロータリーのほうまで溢れている。


 ヒバナと待ち合わせには人混みをさけたが、今度は人混みに紛れる〝ふたり〟を待つ。


 僕らのすぐ傍らには、大学生グループがいた。

 近所の大学の学生だと思うけど、知った顔は見当たらない。

 というのも、僕も春から近所の大学に通ってるからだ。


 となりの学生グループが話に夢中になっているのか、身体をゆらゆら揺らしたり、おおげさな身振り手振りなど前後左右に動いたりしている。


「ヒバナ、一歩か二歩、僕のほうへきて」


 とカノジョを自分のほうに寄せた。


 ヒバナは邪魔にならないよう白杖をたたんで手に持っているが、大学生たちはヒバナに気づいてなかった。

 で、いよいよ学生のひとりがヒバナとぶつかりそうになったので、僕はヒバナを引き寄せた。


「ごめん、暑いよね。汗臭いしさ」


 僕はちいさく言った。

 カノジョの顔がすぐ傍にある。

 ささやく程度で声が届く。


 季節は初夏から本格的な夏へと移行中。

 息が苦しくなるほどに強烈に蒸し暑い、梅雨のまっただなかである。

 梅雨の晴れ間(ではなく、中休み)のきょうは、湿度に加えて夕方近くになっても暴力的な陽射しが肌を突き刺してきていた。


 これだけ密着していると汗が気になってしまう。


「平気だよ、ミサキ」


 としかしヒバナが言う。


 言いながらヒバナは長い黒髪を耳にかける仕草をした。

 ふわり、とやわらかに風が香った。


 こんな温度と湿気のなかでもカノジョの髪はサラサラと艶やかさを保っている。

 髪のやわらかさや匂いが感じられるような慣れない距離感に、さらに僕は汗をかきそうだった。


「ヒバナのきょうの服、涼しそうでいいね」


 なにげなく話を変えることにした。


「ありがと」


 ヒバナが声を弾ませた。


「そんなふうに言ってくれるの、ミサキくらいだよ」

「え、叔母おばさんは? おばさんが服選んでくれてるんでしょ?」

「それね。リンちゃんはあたしを着せかえ人形にしてたのしんでるだけだよ。服をコーデして着せて、んで満足。みたいな」

「またー。そういう身も蓋もない言い方をするー」

「だってしょうがないじゃん。なんせ見えてないから、あたし」


 ほんとうに身も蓋もないことを言って、屈託なく笑うヒバナだった。


 僕は、ぐぅ、と喉を鳴らして思わず黙ってしまった。


 ヒバナはよくこういう冗談を言う。


 最初のころは、その少々ウィットに富みすぎたジョークへのリアクションに困ったものだ。

 いまでもどうしたらいいか戸惑ってしまうんだけれど……。


 僕が困ってるのを察して、ヒバナはうれしそうに見目麗しいカノジョには似合わない「ひひひっ」と赤ちゃんみたいな奇妙な笑い方をしている。


 ヒバナは絶妙につかみどころがないひとだ。


 たとえば『ヒバナ』というアダ名。


「きみのことはミサキって呼ぶから、あたしのことはヒバナって呼んで」


 と言い出したのはヒバナだった。


 ヒバナの本名は躑躅母里つつじのもり陽花はるか


『陽花』を読みかえて——ヒバナ。


 ただ、


 叔母おばさんはヒバナのことを『ハルちゃん』と呼んでるし。

 ほかのひとから「ツツジノモリさん」とか「ツツジノさん」とか「つっつん」とか呼ばれてるのは聞いたことあるんだけど。

 ヒバナを『ヒバナ』と呼んでいるひとを、僕は僕以外に知らない。


 これは僕がヒバナのことをつかみどころがないと思う理由のひとつ。


 僕が『不可思議なレファレンス』を担当するようになってまだ三ヶ月ほどである。

 ヒバナにレファレンスを手伝ってもらうようになったのもおなじくらいだ。


 まだカノジョと知り合って三ヶ月。

 図書館のカフェでバイトしたり大学生活だったりひとり暮らしだったりもあって、濃いめの日々のせいで忘れがちになるけど。


 僕は自分が思うよりもヒバナのことを知らない。

 あまりヒバナが自分語りをしたがらないのもあるだろう。


 熱気と湿気を帯びた風が吹く。

 カノジョの黒髪が揺れる。


 あまい香りがして、僕は自分の肩に顔を寄せている黒髪の女の子に視線を向けた。


 と、そこへ——


「あれ、図書館のカフェの?」


 ちょっと大袈裟な声が聞こえた。


 この声の主を僕は知っている。


 それが今回のレファレンスに相談してきた〝依頼者〟だからだ。


 ちなみにだけど。


 依頼者とは、駅の改札前で、


『たまたま偶然、よくいくカフェの店員さんと出逢った』


 というテイで打ち合わせ済みである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る