三膳目 冷やし中華

「暑い……これは、まだ炎神御柱の影響が!!」

 大雨続きから一転変わっての快晴なので、蒸し暑い。八尋は店先を掃除しながらつぶやいている。

「炎神御柱は制御可能になったって、八尋が言ってたじゃんか」

「そうですが! これほどの暑さ! 向こうにはありません!」

「八尋さん、太陽光ってご存じ?」

 戦がおずおずと尋ねると、きっと八尋がにらみつける。箒を握りしめ、軽く跳ねる。

「また若君は馬鹿にして!!」

「そうじゃなくて、鬼の世界って本当に違うんだなって……」 

 修行中は鬼の世界に行くので、少しずつあちら側の世界がわかってきた。あそこには暑さや寒さはほとんど感じられない。風の音も、水の流れる音も聞こえない。

 ”無”が広がっている世界だと思った。

「ええ。ですから、人間たちの世界では黄泉の国、幽世、冥府など様々呼ばれています」

「でも厳密には違うんだろ?」

「ええ。彼らが言うそれらはまた別の世界になります。まぁ、神仙の世界のことは我々鬼にはかかわりのないことですので」

 屋外に備え付けられている蛇口を開いて、ホースを取り出した。ホースの扱いにも慣れてきたようで、初めのころ”水神の雛ですか!?”って叫んでいたころが懐かしい。

「何ですか、若君?」

「い、いやなんでもない!」

 慌てて奥の倉庫から竹ぼうきをつかんで戻ってくる。朝日とはいえ、もうジトリとした暑さは感じる。外の掃除が終わったら、仕入れに出かけていた丹治が帰ってきた。軽トラの窓を開けると、少し身を乗り出して戦を見た。

「戦、今日から冷やし中華を始めようか」

「ほんと!? やった! ありがとう父さんっ!」

 へーい、と丹治と戦親子がハイタッチをしているのを怪訝そうに見ているものが一人。

「冷やし……中華?」

「八尋も外に出てもいいけれど、昼までには帰っておいでよ。人間界は向こうと違って体調が崩しやすいからね」

「かしこまりました、丹治様」

 てきぱきと道具を片付けるなり、八尋は風に溶けるように消えた。

「八尋にも探索手伝ってもらっているのに、なかなか見つけられないな」

「そうそう見つけられるものではないよ。何事においても焦りは禁物だよ」

「……」

「自分ができることをやるしかないよ」

 言っていることは分かる。焦っていても、大業物が声を上げることはない。対処療法にしかならないってことは分かっている。

「戦、それより今度化学の小テストだろう? 予習はいいのか?」

「!?」

 戦が顔をこわばらせた。丹治はガハハッと大きな声で笑いながら駐車場へと走っていく。


「若君、戻りました」

 昼ごはんの声が玄関の方からした。店の入り口とは違って、裏手にある。

「お帰り、昼飯できたよ」

「戸口に描かれていた”冷やし中華始めました”とは何です? 何かの暗号ですか?」

 遠くから声が聞こえてくる。麦茶を入れたボトルを抱えた戦が首をかしげた。

「違うよ! 何だろう、形式美……的な?」

 丹治はハハッと笑う。さっき、母である紅緒が張り付けていた。

「まぁ、夏の風物詩だな。さぁて、奥のテーブルに並べてくれ」

 怪訝な顔を浮かべたまま八尋がのれんをくぐって奥の居間までやってきた。

「若君、これが?」

「あぁ、冷やし中華だよ」

 ガラス製の深い皿に中華麺を敷き、その上に錦糸卵、ベーコン、トマト、細切りキュウリ、もやしをのせている、スタンダードなものだ。備え付けの甘辛いつゆには少しだけしょうがを溶いてある。

「これは、ハレの日の食物でしょうか?」

「いや、フツーに食べる」

「そんな! こんなに多種多様で、色とりどりの食べ物! これは神饌、そうでなくてもハレの日の祝いに食すものではっ!?」

 あ、もしかしてちらし寿司的なものかと勘違いしているのかな、と戦は思った。確かにちらし寿司はハレの日の食べ物だ。

「えっと、トマトやキュウリっているのは夏野菜なんだよ。あと、暑いと食欲がわかなかったり、汗をかいたりして塩分不足に陥りやすいんだよ」

「そう、なのですか……?」

「麺類だと、食べやすいし、夏野菜には体を冷やす効能もあるから、夏に冷やし中華っていうのは定番なんだよ」

「……ですが、どこが中華なのですか?」

 ひゅん、と夏なのに冷たい風が吹いた。親子は互いに顔を見合わせて、同じ角度で顔をかしげた。

「……さぁ?」

「さてね、どういうものかね?」

「ちょっと!? 若君!? 丹治様も!」

「まぁ、食べて食べて。外回りで疲れたでしょう」

「は、はぁ……?」

 椅子に座らせ、麦茶を注ぐ。ガラスに満たした氷を通して、からんと音を立てる。軽やかな音が風鈴のようで、なんとも涼しげだ。

「では……いただきます」

 八尋が手を合わせて、つるりと麵を含んだ。そこから無言で食べ進めていく。

「冷たい……ですが、このトマトは甘いですね」

「そうだね。そのトマトは母さんが作ってくれたものだね」

「紅緒様が!? どうりで、おいしいはずです!」

 目を向いて、それから箸がゆっくりになっていく。半分ほど食べた辺りで箸をいったん置いた。

「どうした? 腹がいっぱいになった?」

「……紅緒様が作ってくださった野菜をいただくなんて恐れ多くて……」

「いや、今更だろ」

「今更だねぇ~」

「そう、ですが……」

 今まで食卓に並んでいる野菜は紅緒が作っているものがある。家庭菜園が趣味なので、いろんなものを作っている。季節の野菜をはじめ花々やアレンジメントまでいろいろだ。

(母さんの畑手伝っているのは見てるはずなんだけどな……)

「私達も食べますか、戦」

「そうだね、父さん」

 三人で宅につき、食べ進める。硬めにゆでた中華麺に、酸味のきいたつゆがよく絡んでいくらでも入りそうだ。よく冷やしたトマトの甘みも、だしのきいたつゆによく合う。ポリポリ、ときゅうりをかむ音が聞こえてくると夏を感じる。

 

 遠くでちりんちりん、と風鈴の音がしてきた。

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剣狩りイクサ 一色まなる @manaru_hitosiki

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