第34話 剣狩りの百束
「申し遅れました、当方の名は
でかいので一見すると鬼じゃなくてヒグマのようにも見えなくもない。子どもの頃に見たプロレスラーにがちがちの大鎧を着せたような風貌をしている。かすかに見える肌は赤く発光しているから、禍々しさが増している。
(こういうのを見て、昔の人は鬼は怖いものだって思ったんだろうな)
絵本で見たのは大分……というか、かなりマイルドに表現されてきたのだろう、とイクサは関係ないことを思い浮かべた。
八尋は小さくジャンプを繰り返して、喜び勇んで百束の方を指さした。
「若君! もう安心してよいですよ! 百束は吾ら鬼の中でも随一の剣の使い手! なにも恐るることなどありますまい!」
「八尋もよくぞ無事にあの場から脱出できたな。お前だけでも逃げ延びていたのなら、
あたご、という言葉に八尋の顔がさっと曇った。
「いいえ、全ては私が未熟であったばかりにおこったこと」
「そう卑下することは無い。相手が悪かったのだ。当方もまた、大きな損失を味わった」
「あのさ、盛り上がっている所悪いんだけどよ」
「いかがなされた、若」
「あんたが強い奴ってのは、気配から分かる。俺の味方になってくれるってなら、心強い」
無言で百束はうなずいた。八尋とは言葉を交わしているが、自分には多くを語ろうとはしない。百束の主の血統とはいえ、初対面だ。
「聞きたいことは多くある。けど、まずは一つ」
「?」
イクサは千紗が消えたあたりに立った。そこにはもう何もない。目を凝らしても、彼女の魄の痕跡はどこにもない。つまり、この世界と同化してしまい、二度と形を取り戻すことは無い、という事だ。
「本当に”これしかなかったのか”?」
「質問の意味を図りかねる」
低く、冷たく突き放すような声だった。頬面越しだからくぐもった音も混じり、どこか機械的だった。
「こいつは戦の級友だ。他に方法はあったのか、と聞いている」
「若君……」
心配そうに八尋がこちらを見てくる。八尋もそうだ、人間として学校に潜っていた時、よく春野と一緒に昼食を囲んでいた。イクサも千紗と直接話したことは無いけれど、戦を通して親しみを感じていた。
腕を組み、百束は戦の足元を見ていた。しばらく考えるうちに何か思い当たった様でイクサの目を見た。
「なるほど、意図がつかめました」
「……答えは?」
「否」
「!!??」
くっ、と息を噛み殺し目の前の鬼を睨みつけた。イクサの身体の文様が強く輝いた。感情が高ぶったその様子を見て、百束は嘆息した。
「同化が進み過ぎた、それとその娘の魄の在り様がそれを望んだ」
「こうやって消え去るのが、この娘の望んだことだと?」
「少なくとも当方はそのように読み取り、そして破壊した」
「てめぇ!」
「若君!?」
是空を引き抜き、地面を蹴り上げた。そしてその刃先を百束に向けたとたん、視界が暗転した。
「がはっ!!」
背中が痛い。いや、熱い。何か熱い物が背中に突き刺さっている。これは、あの時の―――。
「百束何を!?」
八尋が裏返った悲鳴を上げた。それもそのはずだ。仲間が戦に刃を向けたのだから。その刃とは先程の釘だ。イクサの身体を貫き、戦はその鋭い痛みに片膝をついた。この痛みを千紗は味わったのか、と思うと心が黒く塗りつぶされたような気持になった。
「温羅様より、是空を預けられた我らが次なる王よ」
頬面を被った顔からは表情が見えないが、その声は低く、唸る。静かな怒りに満ちた声で百束は言った。
「剣が泣く。
「なにを……言っているんだ……」
「若が次なる是空の主に相応しくなるまで、当方はここには参らない」
「そんな! 百束、先程までは一緒に戦うと言ってくれたではないか!」
「八尋、すまないが当方も事情がある。八尋、お前ならば―――」
その次の言葉がイクサの耳に届くことは無かった。なぜなら、痛みに意識を全てもっていかれたからだ。ゴン、と鈍い音を最後に聞いた。
「若君、気づかれましたか?」
そう呼ばれ、戦は目を覚ました。ここは自室の布団の上だ。首だけを動かして辺りを見れば見慣れた物ばかりがあった。
「俺……何もできなかったな」
「いいえ、いいえ。そうではありません」
「でも、俺は、初めて人を……」
同化して人ならざるものになったとはいえ、自分の手で、魂を奪ってしまったのだ。のろのろと体を起こすと、八尋が温かい緑茶を出してくれた。
柚茶だ。柑橘系の香りがあたりに漂っている。
「仕方のない事だと、百束が言っていたではありませんか」
「でも! 俺は―――!」
「それでも、です!」
八尋の声がイクサのうろたえた言葉を遮った。
八尋の顔を見て、戦は何も言えなくなってしまった。八尋が泣いている。ほろほろと頬を濡らし、感情を何とか押し殺そうとしている。
「私は、若君と違って人の世に詳しくはありません。ですが! 私もまた、皆を失ってここにいるのです!」
「そう、だったな」
しゃくりあげる八尋に何も言えなくなって、戦はその場を後にした。
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