第29話 万緑慈雨・揺籃
初めはちょっとした悪ふざけのつもりだった。
だって、思い描いた物がそのままの形で目の前に現れるなら、これ以上ないおもちゃだもの。
右手を振るえば、それに合わせて人形の私が躍る。飛び込んでくる星の輝きで私はもっと輝ける。誰もが私をほめそやす。
――― もっとその世界にいたいか?
もちろん、と頷いたのが運の尽き。私の身体には泥がつたうようになった。今まで私を囲んでいた輝きは日に日に色あせていく。でも、それは私が思うだけで他の人には見えもしない。だからこそ、私は泥を流そうと抵抗した。
激しい雨が地面を叩く。それらに身を投げ出したところで、私の泥は流れることは無い。
「タイムスケジュールはこのようになってますが……Viaちゃん?」
「あ、はい! 聞こえています!」
はっと顔を上げれば、そこは屋外の特設会場。会場と言ってもアイドルのようにその顔が外に出るわけじゃなくて、プレハブ小屋から私は声を出す。それを通して、プレハブ小屋正面の液晶でViaは話すのだと言う。
「これがメジャーデビュー前の足掛かりになるんだから、しっかりとね」
「は、はい!」
公開録音をセッティングしているのは広告会社の人だ。私の所属事務所の人は掛け持ちの地下アイドルの公園の打ち合わせだと言って今はいない。機材の最終チェックなのだろう、時々今日歌う予定の曲のワンフレーズが時々聞こえてくる。
簡素なパイプ椅子と折り畳み机が並ぶ中、私はうつむいた。
スタジオ以外の場所で配信するのは初めてだ。手が震えるのが分かる。でも、このチャンスは絶対に物にしてみせる。私が上へ目指したら、きっと―――。
(大丈夫、大丈夫)
そう言って、心を落ち着かせる。公開録音、と聞いた時は驚いたけれど、これが決まれば自分はもっと上を目指せる。もっと輝ける。
輝いて、輝いた私をみんなに見てもらうんだ。そして、尋ねたいことが一つだけある。
――― どう? この世界は?
急に耳元でブツリ、と何かの電源が落ちるような音がした。その瞬間、世界が一時停止した。まるで動画を止めたように、誰もが動かない。転がったペットボトルが空中で静止してる。
「これって……まさか!」
「やぁ、久しぶりだね」
「水去様!」
声を上げて立ち上がる。そのとたん、私の心の中では2つの心がこすれ合う音がした。ギシギシ、と音を立てる。
「面白いことになったね。人を集めるにはこれがいいと日寺が言うものだから、半信半疑ではあったけれど、間違いなかったようだ」
安堵した声で囁かれ、私は顔を輝かせた。その裏側では逃げだしたい、という感覚も確かにあった。
この人は、人間じゃない。ある時急に私の目の前に現れて、持ちかけたのだ。
――― この世界は楽しいか、と。
その問いに答えられなかった私がいた。この世界にいるのは楽しい。でも、際限がないのだ。ここまで届いたら幸せ、ここまで届かなかったら不幸せ。幸せと不幸せの境目がどこにもない。私にとっての幸せだって、誰かにとっては幸せには届かない。
だから、声を届けた。
皆の納得する位置はどこなのか、と。みんなが一様に幸せだと了承する境目はどこにあるのか、と。
けれども、問えども問えども返ってくる言葉は千差万別で、私は思案する。人に答えられない問いならば、人ならざる者ならその答えはあるものか、と。
――― お前が楽しいと思う世界に変えたらどうだろうか。
その問いに、私は是と答えた。
「うん、うん! 七番傘白波に刻まれた力はここまで鍛えられたか!」
水去は私のカバンの底に隠してあった脇差を手に取って掲げた。薄い青色がたなびくような刃紋をたたえた脇差は私の心を映す鏡のようだ。
「今の人間の魂ではここまでの純度はなかなかお目にかかれない! やはり、いかに世界が回っても子どもの魂というのは変わらないな!」
「?」
「子どもの魂は純粋だ。穢れが無く、染まりやすい。けれど、最近は物があふれかえってて純粋さを早く失う子が増えてて、出来上がるのはくず鉄ばかり」
「くず鉄……」
でも、と水去が透き通った瞳でこちらを見た。
「だからね、これを使って―――」
「またしても貴様かぁあああああああああ!!」
ガン、ガン、ガン! ガラスにひびが入るように、一時停止した世界に誰かが割り込んでくる。そうだ、この声、どこかで聞いた。
私の前を通り過ぎ、水去に向かっていく金と赤の線。あの子は、そう、敵。
「させない!」
足元から泥を呼び出し、目の前に躍り出た少女をからめとらせる。床に叩きつけられた少女は苦しそうに身をひねりつつも、反撃の機会をうかがうような目つきをしていた。
「ありがとう、助かったよ。なにせ、この子の刀の能力はちょっと厄介だからさ」
「貴様、今回はこの娘を使って大業物を鍛えたか!!」
「いや、だって。手ごろな魂がそういうのしかないんだもの」
「貴様らの狙いは何だ!」
「ここで答えるとでも? 面白くないじゃないか」
「面白くないだと? ふざけるのも大概にしろ! 貴様は!!」
軽く、そう、何の感情もこもっていないような声で彼は言う。もう、慣れた。一度は憧れにも近い感情を抱いていたけれど、もう、何も感じられない。
冷たい、冷たい雨が降っている気がした。泥が私の周りを取り囲んでいく。べとべとした感覚にももう慣れてしまった、いや、私が何も感じなくなったというのが正しいのか……。
私はゆっくりと腕を上にあげて天井に手を向ける。
「もうちょっとで、届くと、届くと思ったのになぁ……」
声が届けば、誰かに見つけてもらえると、思ったのに。
大業物が目を覚ます。その銘は七番傘白波。その力が解放された途端、上空には分厚い黒雲が渦巻き始め、雷鳴すら帯びていく。
アスファルトには、大粒の雨が一つ二つ落ちた途端にすぐさま視界すら塗りつぶすかのような鈍色の雨が降り出した。
「くっそ!」
イクサは悪態をつきながら、駅へと向かっていた。何故か駅までの道が思ったように進まなかったのだ。まるで道が”伸ばされた”様だった。それでも走り抜ける。この感覚は大業物が解放されたに違いない。湿った空気にはかすかだがこの世ならざるモノの臭いがした。
「どっちにいきゃいいんだよ!」
そう吼えたところで、道が分からないのだから仕方ない。雨で視界が悪い中、イクサはそれでも一歩一歩足を進める。
何かの気配を感じて戦は足を止めた。あの時の首なしの馬がこちらを向いてたたずんでいた。
「あの時の駄馬……!」
イクサは息を吸い、是空を呼び出した。
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