第28話 湯気と思い出

 しとり、しとり、と雨が降り続いている。季節外れの大雨は終わる気配は無く、本来なら見えるはずの星々を覆いつくしていた。

「眠れないな……」

 明日の予報では打って変わったかのように晴れ渡るらしい。明日に備えてすぐに眠るつもりだったのに。どうしても、目が覚めてしまう。浅い眠りを繰り返し過ぎて、もう体は起きてしまった。

 両親は眠ってしまっているだろうから、音を出すことはできない。


 ――― 確か、そういう時はいつも母さんがホットミルクを作ってくれたな。


「確か、材料は……。砂糖と、バターと……」

 おかげ堂の厨房ではなく、家の台所に向かう。厨房の装備だと大きな音が出てしまうし、なによりちょっと遠い。雨で下がった室温だとちょっと心もとない。

(厨房に勝手に立つと父さんがめっちゃ怒るんだよな)

 家の台所は一般の家にもあるようなシステムキッチンだ。厨房はガスで動くコンロだけれど、こちらはIHヒーターだ。近くにあった片手鍋にまずは砂糖を入れて煮詰める。

 小さい頃はすぐ後ろにあるテーブルに座ってぼーっと母が作っている所を見ていた。くつくつと砂糖が熱で溶けていく音がする。

 ふわりとした砂糖の甘い臭いが鼻に届く。お玉ではなくスプーンで軽く解き混ぜていくと、泡が生まれていった。

(初めて作ってもらった時、どんな時だったかな……)

 何か特別な日だった、というわけではない気がする。普通の日の、普通の夜だったのに、なぜか眠れなかった覚えがある。

 砂糖が熱で茶色になっていく頃に、バターを一欠片落す。ぽとん、と落ちたとたん砂糖と混ざって粘りを増していく。それらがまじりあった頃に少しずつ牛乳を流し込んで―――。

「若君?」

「!? や、八尋!?」

「こんな夜遅くに何をなさっているのですか?」

 母が買ってきた気が抜けるようなイラストの描かれたTシャツとスキニーを着た八尋が首をかしげてこちらを見ていた。

「なんか、眠れなくてさ」

「お夜食にしては少ないですね?」

「夜食……じゃないな。単に気を紛らわせたくってさ」

「この匂い、牛乳?」

「正解。母さん直伝のホットミルクだよ」

 じぃ、と鍋の中身をのぞき込んでクンクンと八尋が嗅いでいる。目を開けた八尋が目を輝かせているので、戦はため息をついた。

「八尋もいる?」

「よろしいのですか?」

 そう言ったので、ちょっと視線をずらして壁掛けの時計を見上げる。午前二時半。まだまだ夜明けは来ない。どうせ眠れないのだから、八尋と過ごすのも悪くないな、と戦は思った。

 鍋を鍋敷きに移動させ、粗熱をとる。八尋は猫舌気味なのは今まで食事を共にして分かっていた。戦もあまり熱い物は得意じゃない。スプーンでかき混ぜて、いい温度に調節する。

「いいよ、別に一人も二人も変わらないしさ」

「ならば、ご相伴に預かります」

 すとん、と目の前のテーブルに座った八尋前にマグカップを置き、ゆっくりとホットミルクを注ぐ。心なしか、八尋の目の輝きが増したように見える。

「このようなもの、見たことがありません」

「そうかな? 割とよく聞くけどな、ホットミルク」

「……若君は」

「?」

「いえ、頂きます」

「どうぞ。っと、いただきます」

 八尋の向かい側に座って一口含む。少しだけ冷ましたおかげか、舌が驚くことは無かった。 

「……温かい」

「だろ!」

 思わず声を上げてしまい、顔が熱くなった。目を丸くしていた八尋はゆるゆると表情を戻し、そう言えば、と呟いた。

「若君はどうして料理人になろうと?」

「店が好きだから?」

「…………」

 八尋の目が曇った。間違えたかな、と戦は思ったけれど、それ以外の理由なんて思いつかない。でも、新しい理由を付け足すならなら、そう。

「俺さ、鬼がやっている食堂なんてすぐにつぶれそうだと思ったんだよな」

 鬼の特性を考えれば、その地を離れれば忘れられてしまう。それなのに、常連がいる、親兄弟で通ってくれる人がいる、それは―――。

「おかげ堂がその人にとって好きな所なんだな、って思いついたんだ。でなきゃ、通るたんびに”お邪魔します”なんて言わないよな?」

 常連さんの中には散歩コースの通り道にしている人もいる。気軽に立ち寄って、ちょっとした軽食を頼んで帰っていく。例え、それが店を出た数分後には跡形もなく消える記憶だとしても。

 この店はいいところだと心に刻まれている、そんな気がした。

「それだけの事を父さんたちがしているんだ、って思ったらこの場所が本当に好きになってさ。この場所を守りたいな、って思ったんだ」

「やはり、お優しいのですね、若君」

「そういうもんじゃないかな? 誰だってさ、好きな場所があると思うんだよ」

「そう、ですね。私も、このおかげ堂が好きになりました」

 ふわり、と八尋が笑った。今まで厳しい顔ばかりしていたというのに、まるで年相応の女の子の笑い顔で。その笑顔に、戦は心臓がドキリと跳ねた。

「私も、このおかげ堂の一員として、この任務果たして見せます」

「そうこなくっちゃ」

 ぐっと腹に力が戻ってきた気がした。耳をすませばまだ雨は止む気配はなかった。それでも、さっきまであった空回りな感情はどこにもない。

「そうだ、若君。以前調べていた時に拾った欠片なのですが、私でも調べたところあちこちに埋まっていました」

「それって、いつでも敵は術をかけられるって事、だよな?」

「ええ、ですが。魄の流れが分かった今、恐れることはありません」

 すくっと立ちあがった八尋の顔はいつも通りの険しさに逆戻りしていた。その様子にちょっとだけ戦はがっかりした。

「明日になればわかります。では、おやすみなさい」

「お、おやすみ……」

 勢いで返事を返してしまった。はぁ、とため息をつく。自分のマグカップを見ればまだ半分も残っていた。それもそうだ、八尋の問いに考えすぎて飲むのを忘れていた。

「……美味しい」

 ふぅ、と息をつく。優しい味だ。何回も失敗して、つい最近できるようになったこの味だ。

 程よく温まった体がゆっくりと眠気を連れてくるのはすぐの事だった。





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