第27話 大業物「名乗り」

「今日こそ、あの訳の分からぬ娘にお灸をすえて見せます!」

 おかげ堂の開店前の掃除中、八尋はそう言った。訳の分からぬ娘、というのはViaの事だろう。孝則が言うには、Viaは時々ではあるもののまだ幽霊の事は話題にしているようだ。

「本来ならばこちら側の事は人間に悟られぬようにするのが、古来よりの盟約です!」

「八尋、それなんだけど」

「はい?」

「昔からこういう事ってあったの?」

「こういう事、とは?」

 テーブルを整理しながら八尋が澄んだ目でこちらを見てきた。時間の感覚が人間とはかなりずれているから、「昔」という概念が違っているかもしれない。

「鍛冶師の封印っていつからあったのかな、とか。人の魄を取り出して剣にして、それを扱うって」

「そうですね、おおよそ人が人としてなった頃からでしょうか。我々はいわば人の世の影法師ですので」

「影法師、ね」

 そう言われて、背中がぞわぞわした。八尋と是空を扱う訓練をしていくたびに、自分は本当に人ではないのだと思い知る。是空は戦う時にしか出てこない、だから八尋は本気で戦に挑んでくる。

 頬や腕に無数の切り傷が浮かんでいる。すばしっこい八尋の動きを目で追うのが精いっぱいで、一歩先、二歩先の動きがまるで思いつかない。

「鍛冶師たちはすべてが悪いわけではなかったのです。ほんの百年前までは」

「え?」

 いままでの八尋の語り口では、鍛冶師は悪霊のようなもので、人間を剣にして集めて回っているというのが常だった。

「昔、まだ人と闇が近かった頃には時折人と私達鬼が交流することがあったのです」

「ああ、そういう怪奇系チャンネルでやってたな」

 ぎろり、とこちらを睨んできた。そういうのとは違うのだ、と殺気を立ててくる。あと一言でも余計なことを言えば、苦無が飛んでくる。

「魄の流れはそのまま人の世の心にも作用することがありますから。人々は祈ったのでしょうね、自分達の平穏と繁栄を」

 そう言われ、イクサはほわんほわんとおとぎ話の世界を思い浮かべた。お地蔵さまに祈ったり、観音様に祈ったり、そういう風景は昔はよくあったと父が言っていた。

「でも、いつの間にかその風景は消えてしまったのです。人の世界に光が増え、私達鬼が潜める闇が消えてしまった」

「……」

「それも世界の流れがそうであるなら、仕方ないと我々の王はそう判断をしていました」

「八尋―――」

 そう言いかけたとたん、急に店内が暗くなった。じわじわと湿った空気が鼻についてきた。例えるなら、真夏の昼間に降る夕立のような。

――― だからね、もう一度一緒にいよう?

「!!??」

 ガラガラ、と人影もないのにひとりでに店の扉が開かれる。ひた、ひたと足音だけがこちらに近づいてくる。

「姿を見せなさい!」

 いうや否や、八尋が苦無を足音が聞こえるあたりの床に投げつけた。すると、その苦無は地面に沈むように消えて行った。まるで底なし沼になったかのように。

「痛いなぁ。乱暴な子だって、あの方はおっしゃっていたけど。本当にそうなのね」

 ズズズズズズ、まるで泥が形をとるかのようにせり上がると、パシャンとその場ではじけ飛ぶ。その中から現れたのは面をした少女だった。さっきまで泥にまみれていたというのに、薄い菫色の衣には染み一つついていない。その面は般若によく似ていたが、その表面には戦たちと同じような赤い文様が浮かび上がる。

 髪は腰まで届き、その先を水引の様に装飾された髪留めで束ねている。少女が動くたびにかすかな光を反射して飾りが光る。

 丈の短い下穿きに色を合わせたロングブーツを履いている。一見すると、大正時代に出てくるような女学生にも見えるけれど、その手には脇差が一振り。

「私の脚本はお気に召しましたか?」

「はぁ?」

「あら、つれないのですね。私、頑張りましたのよ。剣本来の能力を引き出して馬を作り、あなたの元になんども遣わしたのに」

「お前があの幽霊騒ぎを起こした者か!」

「はい」

 八尋の問いにやけに素直に認めた。そこに何の葛藤も感じない。まるで機械を相手にしているようだ、と戦は思った。

「私の剣はどうも実戦向きではないようですので、あの方のお役に立てるか正直不安でしたが、工夫するのが人の知恵というものでしょう」

「だからと言って、人を利用していい道理があるのかよ!」

「そうはいわれましても、あの方々の目的を鑑みれば多少の犠牲は付き物でしょう。ええ、何事も犠牲無しでは成り立たない」

「なにを言って……!」

「若君のお立場、分からない私ではないですよ? ええ、その心情察するに余ります。人として生きていたかったでしょうに、同情いたします」

 カン、と八尋が苦無をもう一本少女に投げる。けれども、それも彼女が生み出す泥に呑まれて跡形もなく消えうせた。

「その上滑りの口上をやめるがいい! どうせこの世に絶望したと言って、若君の同情を引こうとしているのだろう!」

 ええ、と大業物を持つ少女はうなずいた。

「お命、頂戴してもよろしいでしょうか? 若君」

「お下がりください! 若君!」

「あぁ、勘違いさせてしまったのならごめんなさい。こうするのが礼儀だとあの方が仰っていたものですから、つい、ね」

「礼儀ですって?」

「闘う前には挨拶を。名乗りを上げる前に戦っては名誉にかかわると」

 穏やかな口調とは裏腹に、隙がどこにもない。その言葉に八尋が不敵に笑う。

「お前達が矜持を語るとはな。だが、お前のその口ぶりからして鍛冶師とは何度もあったように見える」

「ええ。私にとって、あの方の力になれるならこれ以上ない幸せですよ。だって、この子の力さえあれば、私は……もう」

 その後に続く言葉は聞き取れなかった。それもそのはず、声の主がずぶずぶと足元の泥に沈みかけているからだ。

「私の大業物の名前は”七番傘白波”。ええ、しらざぁいってきかせやしょ―――」

 ふふふ、とてまり歌のような声とともに白波と名乗った少女は消えた。少女が消えるといつものおかげ堂の風景に戻った。


「今回の大業物の銘が分かったな。けど、最後の言葉、どっかで聞いたことあるような?」

「あの魄の様子、ただ者ではありません。あの気配、もはや我々側と言っても過言ではありません」

「じゃあ、一刻の猶予もないって事だよな」

 戦も心の中で、”あれは鬼だ”と思った。けれど、今まで戦ってきたように、人の気配もしっかり感じる。

 探さないと、と思ったとたん、戦の携帯から軽快な音楽が流れてきた。

 

 相手は孝則だった。やけに興奮した声で、孝則は言う。

「あのな! Viaの公開録音が決まったぞ! なんと明日の正午、駅前広場だってさ!」

 明日は日曜日。そして、駅前には多くの人が集まる。正午となれば、その動きは最高潮を迎えるだろう。

 ざわざわとする心を悟られないようにするのが精いっぱいだった。

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