メモ無しでは会えない (1)

「田渕君、手伝ってください。お願いします」

 一週間後の放課後、二人きりの教室で、俺は立花に泣きつかれていた。

 目の前には、頭を深々と下げている立花がいる。

 どうしてこうなった、と心の中で嘆いてみたが、立花とは席が前後の間柄である。大体の事情は把握していた。

 この一週間で、誰が尾ひれを付けたか、御守りの話がさも難事件を解決したかのような噂話として広がった。特に、大量の御守りの中から目的の一つを見つけ出すところがウケたらしい。

 そして、その結果、立花への頼み事の種類や頻度が今まで以上に増大。立花一人では解決しきれなくなったというわけだ。

「お前なあ。そもそも対処できない量の頼みを引き受けるんじゃねえよ」

 俺は、またしても『お願い』を強制されそうになっている、とかいうこと以前に、この一週間後ろの席から立花を見ていてその振る舞いに呆れかえっていた。

「だって、みんな困ってるって言うし…」

 顔を上げた立花が情けない声で言い訳する。どうしようもない性格である。

「じゃあ、なんで俺なんだよ。お前ならもっと手伝ってくれそうな友達いるだろ」

「私が引き受けた仕事を友達に押し付けるのは…」

「喧嘩売ってんのか」

 温厚な俺もさすがに語気を強める。口にしてから舐めたことを言っていたことに気づいたのか、立花は慌てた様子で

「いや! ホントに田渕君以外に頼れる人がいないんだよ!」

と付け加え、、

「だから、お願いします!」

と言って再度頭を下げた。そう言われるとどうしようもない。渋い顔で

「分かった分かった。手伝やイイんだろ」

と答えるしかなかった。それを聞いて立花は一週間前と同じように喜びの表情を浮かべる。

 俺は『お願い』に逆らえないので、どう足掻いてもこの結果になったのだろう。だが今回は、俺の方にも立花を手伝うべき理由が実はあった。

 この一週間、立花の話は飽きるほど耳に入ってきたが、俺がその話に関わっているという話はとんと聞かなかった。つまり、立花は、約束通り俺の秘密やこの前の出来事への関与を明かさず、そのうえで噂を全て被ってくれたというわけだ。

 それは、俺の関与や、ましてや秘密が明るみに出れば、頼み事を手伝わせることの比ではないくらいに俺が困る状況になる可能性があると立花が判断したためだろう。

 それについては感謝しているし、そういう意味では、立花が今のような状況になったことには俺にも責任の一端があるとも言えるのだ。

そういうわけで、この前よりかは幾分やる気はあったのである。

「それじゃあ、今手が回ってないのを言うから、手伝えそうなやつがあったら言ってね」

と言って、立花は矢継ぎ早に最近の依頼事を挙げていく。

「まず、一つ目ね。二年生の女子なんだけど、この前知らない下級生に付きまとわれて気味が悪かったから、調べてほしいんだって」

「いや、それ普通に事件だろ。お前じゃなくて教員に言えよ」

「じゃあ、弟さんに最近気になる子ができたらしいから、調査してほしいっていうのは?」

「それは自分で聞けよ」

「最近、お母さんが再婚したけど、新しいお父さんとの距離感がうまくつかめなくて悩んでるって」

「荷が重すぎる」

「もう、文句ばっかり言わないでよ」

 立花はそう不満を垂れたが、むしろ俺が、無茶ばっかり言わないでよ、と言いたい。

 ついさっきまでは少しはあったはずのやる気が、急激にしぼんでいくのを感じた。

「そもそも、今あげたやつはどれも、俺が役に立つとは思えないんだが」

と、俺が冗談半分に軽く否定の意を示す。すると、

「うーん。それもそうだね」

と、立花にさも当然というように受け入れられてしまった。

「じゃあ、やっぱりあれしかないかな」

 そう言うと、立花は俺の返事を聞く前に内容を話始めた。

 俺に手伝わせる内容は最初から決まっていたらしい。やはり、こいつは皆が言うようなただのお人よしではない、と俺は思った。


 立花からの依頼を受けて、俺は文化部の部室棟に来ていた。

 グラウンドへのアクセスのために校舎から離れて建てられている運動部の部室棟とは異なり、文化部の部室棟は渡り廊下で校舎と繋がっている。

 帰宅部の俺は全くと言っていいほどこの建物と縁がないのだが、立花から場所の詳細も聞いていたこともあり、目的地の新聞部部室には別段迷わずたどり着くことができた。

「立花に言われて来ました。佐々木君いますか?」

と言いながら扉をスライドさせて中に入る。部室は一般的な教室を前後で半分にしたくらいのサイズであり、入り口から手前側と奥側に部屋を二つに区切るように簡素な仕切りが置かれている。すると、仕切りの奥の空間から一人の男子生徒が姿を見せた。

 高校生にしては小柄な、坊ちゃん頭のその男子生徒が、佐々木と名乗る。

「立花先輩から話は聞いています。座ってください」

 仕切り手前側の空間には向かい合わせになった一組の学習机を挟んで複数の椅子が並べられており、俺はそのうちの一つに座る。察するに、外部の人間から話を聞く際に使う空間のようだ。また、部室の割にはこちら側に物が少なく、奥には実際に部員たちが作業するスペースがあると思われた。しかし、今は佐々木以外の人の気配は感じられない。

 佐々木は俺とちょうど向かい合う位置の椅子に座ると、すぐさま本題を話始めた。

「まず、確認なのですが、えっと、田渕先輩は立花先輩が野球部に御守りを受け取りに行ったときにたまたま同行されていたのですよね?」

「あー、そうだ。俺も立花に頼んでいたことがあったからな」

 立花から聞いた話では、学内新聞に連載している謎解き仕立てのコラムの執筆担当の一年生が、この前の御守りの話をコラムのネタにしたいと言ってきたらしい。しかし、俺が一緒にいたことを知っているとは聞いていなかった。適当な嘘が出てきて助かった。

「それでは、早速、具体的な話を聞いてもいいですか」

 佐々木は期待に満ちた目で俺を見る。申し訳ないがその期待には応えられない。

「それなんだけど、立花からはこの話を断るように言われてるんだ」

 俺が頼まれたことは、新聞部の依頼を断ることなのだ。

「え? どうしてですか?」

 佐々木の表情が一転する。

「同行したよしみで、俺も立花から少し事情を聴いていたから分かるんだが、この話は一人の生徒の個人的な事情と深く関わっていて、あまり公に話したい内容じゃないんだ」

 恐らく、彼がコラム化したいのは、御守りの集合から目的の一つを見つけるところであろう。しかし、タネを話せば九鬼の恋愛事情も話さざるを得なくなる可能性は高い。

 そういう、九鬼に迷惑がかかるようなことはできない、というのが立花の答えである。

「そんなあ…次のコラムのネタは他に用意してないんですよ。記事にできないと困ります」

「そんなことを言われても、俺は立花の回答を伝えに来ただけだから」

 だから、上目遣いにそんな泣き言を言われてもどうしようもない。

「分かりました。この件に関してはもう聞きません」

 佐々木は俺の回答を聞いて、あっさりと引き下がる。しかし、続けて

「でも、記事ができないのは困るんです。立花先輩のお噂は一年生の僕でも色々聞いています。それで、今調査中の別の案件を次回の記事にできるよう、立花先輩にお手伝いしていただけないでしょうか」

と、新たな申入れをしてきた。この一年生は意外にしたたかであるようである。

 しかし、それも先ほどと同じで、俺はこう返すしかない。

「それも俺からは返事できないよ」

「それでは、僕がお願いする際、田渕先輩からも口添えをお願いできないでしょうか」

 やはり中々強気である。佐々木は立花のことをある程度知っていて、立花の知り合いの俺もお願いに弱いと思ったのかもしれない。だが、残念。俺が弱いのは女子からのお願いなのだ。いや、その表現はよろしくないな。いや、今はそんなことはどうでもいい。

 俺は腕を組み、検討中のポーズをとった。

 まず、この先の展開をシミュレーションしてみよう。この様子だと、ここで俺が佐々木からの申し出を承諾するか否かに関わらず、佐々木は立花に手伝いをお願いしに行くだろう。そして、立花は現在手一杯にも関わらず無条件で承諾する可能性が高い。そして、そうなった時、実際に動くのは誰か。俺である。ということは、結局ここで佐々木のお願いを受け入れて、何かしら交換条件を出しておいた方が後々得ということになる。

 脳内の損得勘定を計算し終えた俺は、まずこう切り出した。

「分かった。俺からも口添えしておこう。何なら俺もその作業を手伝ってやる」

 それを聞いた佐々木は一瞬安堵の表情を見せた。だが、俺の台詞はこれだけではない。

「ただし、交換条件がある」

「え? いったいなんですか」

 続く俺の言葉で一転、佐々木は警戒感を強める。俺は、人のよさそうな人間に見えるように意識しながら説明を付け加えた。

「この前の一件のせいで立花への頼み事が前より増えてしまって、立花は今一杯いっぱいになってるんだ。俺は友人としてそれをどうにかしてやりたいと思っている」

 口から出ていく出まかせに、自分で笑いそうになる。気を引き締め直し、続ける。

「だから、君には立花への頼み事をできる範囲で手伝ってほしいんだよ。そうすれば君はコラムのネタに生かせるし、立花の負担も減る。君にとっても悪い話じゃないと思うが」

 さらに、立花を手伝ってくれる人間が見つかれば俺は解放される、という筋書きだ。

「分かりました。僕もコラムのネタ集めには苦労しているので、力になれると思います」

 俺の演技が良かったのか得が大きいと判断したのか、佐々木はすぐに条件をのんだ。

 今度は、筋書き通りに事が進んでいることで緩みそうになった顔の表情を引き締め、俺は話を進める。

「じゃあ、まずその調査中の件について話を聞いてもいいかな?」

「はい」

 色々な目途が立ったからなのか、佐々木は先ほどよりはきはきとした様子で話し始めた。

 佐々木のクラスメイト、佐々木はA君と呼称したが、A君は本を読む習慣がない人間だったのだが、好きな芸能人が勧めていたか何かの理由で気まぐれに学校の図書室で本を借り、コツコツと読んでいた。しかし、本の終わり際になって、最後の方のページにメモ用紙のような小さな紙が挟まっているのに気づく。その紙には何やら文章が書いてあり、読んでみると、どうやら二人の人物が本を介して文通をしているようなのだ。しかも、文章の最後には『この前の件ですが、ぜひお会いしてお話したいです。初めてお会いできるのを楽しみしています』というような内容が書いてあったという。

 そこまで話すと、佐々木は文庫本とA4の八分の一ほどの紙を学生鞄から取り出した。

「そのA君から預かっている本と紙のメモがこちらです」

「いや、それは早く図書室に返してやれよ」

 俺は条件反射的にそう返してしまう。話のネタになりそうだからといって意地が悪い。

「いえ、実はこの話には続きがあるんです。その紙の内容を見てみてください」

 佐々木に言われて、若干罪悪感を覚えつつ、俺は差し出された紙を手に取る。

 内容は先ほどの話通り文通の途中といった様子で、本の感想から始まって最近の近況の話が続く。そして最後に、会合の場所と日時が指定されていた。そして、俺は日時のところを見て他人事ながら慌ててしまった。指定されていたのは一昨日である。

「このメモにその子が気づいたのはいつなんだ?」

俺が問題に気づいたことに佐々木も気づいたようだ。

「昨日らしいです。それで、今日相談されました」

 メモが機能しなくなってしまった以上、このまま返すのは忍びないというわけか。

「その子が借りる前に文通相手がこのメモを見た可能性は無いのか?」

 俺の質問に対して、佐々木は文庫本の裏表紙の裏を開く。俺も図書室はよく行くので知っているが、そこには貸出記録として、図書室で本を借りるために生徒に配られている図書貸出カードの番号と貸出日時が順に記録されている。

この本には二つの番号しか書いていなかった。

「貸出記録にはA君の他に、一人分の番号しか書いていません。この本はこの作者の最新作らしく、最近図書室に入ったようです」

 なるほど。それにしても、佐々木はこの話をわりかし深く調べているようだ。

「しかし、他の奴が本を借りてしまうなんてことは簡単に想定できると思うんだがなあ。というか、それ以前にどうやって相手が読む本を把握しているんだろう」

 その俺の言葉は回答を期待してではなく独り言に近かったのだが、佐々木はこれを質問と受け取ったようだ。別の本を鞄から取り出す。

「これは、図書室に置いてある同じ作者の別の作品です。僕が借りる以前は、ここ三年間で二人の人物しか借りていません。他の作品も確認してみましたが、同じような状況でした。恐らく、この作者のコアなファンらしい二人は僕たちと同様に貸出履歴からお互いに気づき、この作者の作品にメモを挟むことで文通が始まったのではないかと。また、そういう状況だったので、二人以外に本を借りる人もいないと思っていたのだと思います」

 現状と、佐々木の手際の良さは何となく理解した。

「それで、A君からは、恨まれるのが怖いし自分のせいでこの二人が疎遠になったら申し訳ないから二人を特定して引き会わせてほしいと言われています。僕としても、この二人を探しだして話を聞けたらと思っています」

 その言葉に俺は不意を突かれたような気持ちになった。

「ああそうか。特定して話を聞けばいいのか。じゃあ、特定だけできればいいんだな」

と思わず口に出す。今ある情報だけで全容を把握したいのだと勝手に思っていた。

「え? 今の話で特定できるんですか?」

 しかし、佐々木は逆に俺の反応に驚いているようだった。そうか、あれってあまり知られていないのか。俺は、佐々木が出してきた二冊目の文庫本の裏表紙の裏を再度開いた。

「この一番下の、21065 ってのが君の貸出カードの番号だよな。そんで、この21117っていうのと20814っていうのが、目的の二人か」

 俺は一度言葉を切って、どう説明したらいいかを少し思案する。その間、佐々木は黙って待ってくれた。俺は自分の中で内容をまとめると、再び話を続けた。

「この図書貸出カードの番号は、入学時点の最後尾の番号から連番で学年全体の五十音順に割り振られるんだよ。つまり、カード番号と五十音順に対応があるんだ。

例えば、君の一つ前の生徒が持っているカードの番号は一年生全体を五十音順にしたときに君の一つ前に来る生徒だし、一年生全体を五十音順にしたときに一番前に来る生徒が持っているカードの番号の一つ前の番号を持つ生徒と言うのは、二年生全体を五十音順にしたときに一番後ろに来る生徒になる。

 大体一学年250人くらいだから、この 20814 の方は君の番号と比較して数字が小さいし二年生だろう。逆に21117 は一年生だな。あとは、この前、学期の最初に配られた学内のクラス分けの資料に学年全員分の名前が書いてあったはずだから、それを一年と二年の分入手できれば君の番号とこれらの番号との差からの二人が誰か特定できるだろう」

 俺が話し終えた後も、しばらく固まっていた佐々木だったが、少しして

「あっ、ありがとうございます。学年名簿は新聞部にあったはずなので調べてみます」

と言って小さく頭を下げた。ならば、もう俺の手伝いもいらないだろう。

「それじゃあ、俺の手伝いはこんなもんでいいかな?」

「はい。本当にありがとうございました」

 それを聞いて、新聞部から退散しようと椅子から立ち上がる。部屋から出る前に一応

「まあ、それじゃあ、立花の手伝いの方は頼むね」

と念押ししておく。すると、佐々木から

「もちろんです」

と力強い返事が返ってきた。

 俺はその返答に満足し、晴れやかな気分で帰路についた。

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