御守り一つ落っこちた (1)
俺には歳が四つ上の姉がいる。
姉は幼い頃から外で男子に交じって、というか男子を負かして遊ぶようなガキ大将気質で、インドアな俺が姉の使いになっていたのは言うまでもない。
しかし、俺も黙って使われ続けたわけではない。
ある日、姉の横暴を母に告げ口することで仕返しを試みた。母は姉に『人が嫌がることを無理やりやらせちゃダメ』と、こっ酷く叱った。
その後、姉が俺に命令するとき必ずつけるようになった言葉が『お願い』だった。『お願い』なのに断れない。拘束され、承諾するまで何度も『お願い』を繰り返される。
いつしか、俺は同年代の女子から発せられる『お願い』という言葉自体がトラウマとなり、その言葉のつく頼みごとを断れないようになっていた。
「それで、お願いなんだが、どうかこのことを他の奴に言わないで欲しいんだ」
『お願い』に弱い理由を聞かれた俺は、事情を簡単に説明して最後にこう付け加えた。
「分かった。他の人には言わない」
立花はそれをあっさりと承諾する。
「…やけに素直だな」
人の悪い笑みは影を潜め、立花の顔には人の良さそうな微笑みが戻っている。しかし、先ほど人の弱みに付け込んで無理やり働かせようとしていた人間の口約束だ。簡単には信じられない。
「だって、それを人に知られたら田渕君、困るんでしょ?」
「めちゃくちゃ困るな」
小学校時代、秘密をクラスメイトに知られた後の顛末が脳裏によみがえった。
「だったら言わないよ。その代わり、探し物手伝ってよ」
なるほど。やはり俺と価値観は全く合わないが、立花には立花なりの判断基準があるらしい。ならば、と俺はそれを利用して、さらなる譲歩の引き出しを試みる。
「放課後に手伝わされるのも、俺にとっては困ることがたくさんあるんだが」
「例えば?」
「例えばって、俺も色々忙しいし、今日の放課後だってやることがあってだな」
「え? だって放課後はいつも教室で本読んでるんでしょ。なら基本は手伝えるよね?」
「…まあ、本を読むのも心の休息として大事というか…」
「お願い」
「…分かった。手伝います」
俺の返事を聞いて、立花はとてもうれしそうに頷いた。
これは、知られてはいけない人物に弱みを知られてしまったのではないか? 再び小学校時代の記憶がフラッシュバックし、色々と嫌な未来予想図が頭をよぎった。
いや、考え始めると泥沼にはまる気がする。ひとまず、目の前の障害をさっさと取り除くことに集中しよう。
俺は早速、立花に手伝い内容の詳細を尋ねる。
「それで、俺は具体的に何をすればいいんだ?」
「要は、クッキーの落とし物を一緒に探してほしいってことなんだけど」
「なんだ? 落としたのは菓子なのか?」
「えっと、クッキーっていうのは、九鬼ちゃんのあだ名で」
「ああ、同じクラスの九鬼か。それで、九鬼は何をどこで落としたんだ?」
「えっとね」
「つか、お前らがもうあらかた探したんだろ? 俺が手伝うことなんて…」
言葉を重ねる度に立花の笑みが強ばっていっているのに気づき、俺は発言を中断する。
俺が黙ってから少しして、立花はそのままの表情で、こう言った。
「…とりあえず一から説明するからさ。『お願い』だから黙って聞いてて?」
『お願い』を抜きにしても、その時の立花の笑みには、何とも言えない凄みを感じた。
我々と同じクラスの九鬼という女生徒は卓球部のマネージャーをしている。
野球部とは違い、ウチの卓球部はいわゆる弱小校で、現在所属する三人の三年生は公式戦で勝ったことがないらしい。そこで九鬼は、三年生にとって最後の舞台である今度の公式戦では勝利できるように、高校近くにある神社で三年生一人ずつに計三つの御守りを買った。その御守りは部活で卓球道具を持ち運ぶに使う、部の備品の鞄に付けていた。
その御守りたちは、この前の土曜日の練習前までは全て鞄に付いていたらしい。
だが、今日の朝練前に九鬼が部室に鞄を取りに来たとき、鞄に二つしか御守りが付いていなかったことに気づいた。
しかし、日曜日は練習が無く、月曜日は今日である。したがって、土曜日の練習後に部室に置いて帰ってから今日の朝練まで、鞄は部室から動いていないということになる。
これらのことから九鬼はこう考えた。
御守りなんて他人が盗んでも仕方ない物だ。だから、落として失くした可能性が高い。そして、そうだとすると落とした日時は恐らく土曜日の練習後で、落とした場所は体育館か部室、もしくはその道中のどこかだ、と。
九鬼はまず体育館の方を調べたが探し物は見つからなかった。なので、放課後は立花と九鬼の二人で部室の方をくまなく探したが、結局見つからず、九鬼はマネージャーの仕事もあるため、一時間程度で今日の捜索が打ち切りとなり、今に至るということらしい。
立花の話はひと段落ついたようだ。俺には話の中で気になった点がいくつかあった。
だが、最初に聞かなければならないことは決まっていた。
「…つまり、俺には残りの、体育館から卓球部の部室までの道のり全部の捜索を手伝ってほしいってことか?」
運動部の部室棟はグラウンドに隣接した位置にあるはずで、体育館までは相当距離がある。それ全部の捜索なんて絶対嫌だ。もしそうなら頑張ってトラウマに抗って断ろう。
しかし、それなりの覚悟を持って聞いた俺の質問を、立花はあっさり否定した。
「ちがうよ。田渕君にそんな根気のいる作業無理そうだし」
お前は俺の何を知っているんだ、と言いたくなる。まあ、そんな根気のいる作業なら断ろうと思っていたのは事実なので、何も言わないが。しかし、だとすると別の疑問がわく。
「それじゃあ、俺は何をすればいいんだ?」
立花は、よくぞ聞いてくれた、とばかりに前のめり気味になった。
「えっとね、私はこの話を聞いたとき、すぐに見つかると思ってたの。だって、クッキーの言う通り、他の人の御守りなんて持っててもしょうがないし、もし体育館とか廊下とかに御守りが落ちてたら普通落とし物として届けるでしょ?」
「まあ」
少なくとも俺は届けないし、それ質問と関係あるのか? などと言おうものなら、また、凄みを帯びた笑みと共に『お願い』が発動しかねないと思ったので適当に相槌を打っておく。
「でも、放課後にクッキーと二人で落とし物センターに確認したら御守りの落とし物は届いてなかった。だから、御守りは他の人が立ち入らないところ、つまり部室に落ちてるはずだって思ったんだけど、結局一時間かけてくまなく探しても見つからなかったの。その時思ったんだよね。私たち二人が見落としてることが何かあるんじゃないかって」
「なるほど」
「つまりね! 田渕君には、話を聞いてて気になったこととか、何か見落としてそうなことを一緒に考えてほしいの!」
「分かった。とりあえず落ち着け」
話している最中にどんどん前のめりになっていった姿勢を立花が戻すのを待って、俺は話を続ける。
「まあ、そういうことなら、まだ力になれるかもな」
実際、肉体労働より百倍マシである。協力的な姿勢を示すがてら、早速先ほどの話で気になっていた点を聞いてみる。
「そういうことなら、さっきから気になってたんだが、九鬼はどうやって体育館を調べたんだ? 体育館くらいの広さを一人で探すのは厳しいだろ」
俺の協力的な姿勢に立花は俄然やる気になった様子である。また、その質問の答えはすでに持ち合わせていたらしく、すぐさま返答が来る。
「それは私も気になってクッキーに聞いたんだ。今日の朝練の時に体育館を使ってる他の部活のマネージャーたちに声をかけて、それぞれが使ってるスペース内に御守りみたいな落とし物が落ちてないかざっと確認してもらったんだって」
まあ、よく考えてみたら体育館なんてだだっ広いだけで特に何もないのだから、自分たちが使うスペースに物が落ちてたらすぐ気づくか。
そのとき、俺はふと、一つの可能性を思いつく。
「でも、体育館を使うのは今日朝練をしてた部活だけじゃないだろ? 例えば、この前の土日に体育館を使ってた他の部活の奴が拾って持ってるって可能性はないか?」
まあ、あり得ない話ではないだろう。
さらに、この可能性に立花が興味を示し『よし。普段体育館を使う他の部活にも声をかけてみよう』と考えたなら、それは俺が立花の期待した役目を一定程度果たしたということになり、この件から解放される方向に話を持っていけるのでは、という期待もあった。
「うーん。でもやっぱり、普通は他の人の御守りなんて持っておかないんじゃない?」
しかし、立花はあまりしっくりきていない様子である。
ここで、お前の言う普通が世間一般の普通と一致してるとは限らない。少なくとも、俺はそもそも拾わない、などと言うこともできる。しかし、立花の主張も一理ある上、『どちらが普通か』という話が水掛け論になって収拾がつかなくなるかもしれない。
何か、拾った御守りをそのまま持っておくことがあり得るシチュエーションはないだろうか。脳内で、自分が床に落ちている御守りを拾う光景を思い浮かべてみる。当たり前だが、自分の御守りならば拾ったまま持っておくだろうが…。
そのとき、また新しい仮説が頭に浮かぶ。
しかし、それを話す前に、まずはそれが成り立つための前提を確認する必要がある。
「なあ。聞きたいんだが、その勝負事の御守りはこの高校の近くの神社のやつなんだろ? 他の部活でも買ってたりするんじゃないのか?」
立花は、この学校では珍しく、部活に入っていなかったと記憶しているが、さすが顔が広いだけあって運動部の事情も詳しいようで、またしてもすぐに答えが返ってくる。
「そうだね。ウチの運動部の間では結構ある話だって聞くけど」
俺は前提を確認し、本題に入る。
「だったら、 他の部活の奴が、自分の部活の誰かのものだ、って勘違いして拾ったまま持ってる、っていうのはあり得るんじゃないか?」
「まあ、あり得なくはないけど可能性は高くはないんじゃ…」
依然難色を示す立花の台詞を遮って、俺は物申した。
「おい、ちょっと待て。こういう、高くはないがあり得る可能性を潰すために俺を手伝わせてるんじゃないのか?」
その後も、立花は少しの間考え込んでいたが、最終的には
「…それもそうだね。確認する価値はあると思う」
と俺の意見を認めた。俺は心の中でガッツポーズする。これで解放されるに違いない。
しかし、じゃあ明日以降はそんな感じで頑張れよ、と続けようとしたところで、立花は
「ちょっと待ってね」
と言って俺を制し、その場で電話をかけ始めた。
「ああ、九鬼ちゃん? 今ちょっといい?」
相手は九鬼らしい。立花は今の話をかいつまんで説明し始める。
「ああ、そうなんだ? 分かった。ありがとう」
数分後、電話を切った立花は開口一番
「体育館を使う主要な部活にはもう大体聞いたって。別の案ない?」
と、あっさり言った。それを聞いて力が抜ける。なら最初からそう言ってほしい。
俺は渾身の説得を簡単にスカされて、正直もう考える気力が起きないでいた。
そもそも、さっきの話ではないが、もし同じ種類の御守りが落とし物として届けられていたとしてもそれが自分の物だという保証はない。結局、『同じタイミングで同じ落とし物をする奴はいないだろう』という状況証拠以外に自分の物だとする根拠はないのだ。
「…そうだな。ちなみに落とした御守りってどんなやつだ? 神社のサイトとかあるか?」
「ああ、そういえば詳しくは言ってなかったね。えっとね、さっき九鬼ちゃんから教えてもらったページがあって…」
立花は話しながらスマホを操作し、
「ああ、これこれ。これの竜の方だよ」
と言って、いくつかの種類の御守りの画像が並んでいる画面を見せてきた。立花が示す、勝負事関連の御守りのデザインは虎と竜の二種類だけだ。そして、値段は
「1200円か…」
思わず口から出てしまった俺の呟きを聞いて、立花の表情が急速に冷えていく。。
「えっと、田渕君さ。もしかして今、新しく御守りを買ってきて探し物が見つかったって嘘ついて渡そう、とか考えてないよね?」
「いや、そんなことは微塵も考えつかなかったが」
なんで分かったんだこいつ。時々妙に勘が鋭い。
「まあでも、今その話を聞いて思ったんだけどな。結局、本人だって落としたやつと新しいやつを見分けられないと思うんだよな。だったら、最悪の場合はあり得るかも」
「いや、あり得ないでしょ。こういうのは本人が買ったものじゃないと無価値だから」
俺の発言を遮って、立花は吐き捨てるようにそう言った。
「…そうですよね」
俺は立花が露骨に示した嫌悪感に気圧されてしまい、それ以上は何も言えなかった。
気持ちが表に出すぎたという自覚があったのだろう、立花がわざとらしく咳払いをして表情をリセットする。
「とにかく、そういうのは無しで、他に何かない?」
しかし、そう簡単に出るものでもない。その後、目ぼしい案は中々出なかった。
「まあ、今日のところは帰りますか」
と言って教室に掛かっている時計の方に視線を向けた立花に釣られ、俺も視線を移すと、時計の示す時刻はすでに六時を回っていた。今日解放されるのはありがたいが、その前に俺には聞かなければならないことがある。
「あの、立花さん。今のセリフからして、俺は明日以降も拘束されるんですか?」
「そうだなあ。今日は色々考えてくれたしね」
うんうん。と頷く俺。
「明日は九鬼ちゃんと三人で考えよっか」
だが、結びは、うんうん、とは承諾しかねる内容だ。俺は声を張り上げる。
「いや、他の人には秘密言わないって約束だっただろ!」
「別に秘密は言わないよ。ただ手伝ってもらってるっていうだけで」
立花は動じる様子もなくそう言い放った。しかし、俺が立花を手伝っていること自体が不自然である。それをクラスメイトが知った後、どう展開しても悪い未来しか見えない。
「ほんとにバレたくないんだよ! 許してくれよ!」
俺のなりふり構わない懇願に、立花も動かされたようである。
「うーん。分かった。じゃあ、明日以降は遠隔匿名で参加してよ」
いや、それもおかしいだろ。
「なんでだよ! 色々意見出したし、もう解放してくれよ!」
「えー、でもあんまり有益な意見は無かったしなあ。一個くらいあり得そうな案を出してくれたら考えたけど」
悪気がなさそうな顔で無茶苦茶言いやがる。
「分かった。じゃあ、もう少し残って考えようぜ」
明日九鬼が参加するなら今日残る方がマシだ。だが、やる気を出した俺とは対照的に
「えー、さすがに今日はもう帰ろうよ。そろそろ雨降りそうだし」
と立花は帰りたがった。確かに、外は日が暮れ、厚い雲のせいで深い闇が広がっている。
しかし、そんな立花に対し、口論が始まってから情緒がおかしくなっている俺は
「雨が何だ。雨ぐらい降るだろ梅雨なんだから」
と、変なテンションで返答する。その瞬間何かが引っかかった。
ちょっと待て。今は梅雨だ。最近も雨ばかりだった。
ハイテンションから突如黙り込んだ俺を、立花が心配そうに見ている。
「どうしたの?」
「昨日って雨降ってたよな?」
「え? うん。昨日はお母さんに頼まれてコインランドリーの乾燥機を使いに行ったから」
この親孝行者が。いや、そんなことはどうでもいい。
「野球部はどうだ?」
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