お願い怖い
和歌山亮
お願い怖い
手のしわとしわを合わせてしあわせ、というのは幼いころよく耳にした言葉遊びだ。だが、手のしわとしわを合わせたとき、現実で生じるのはどうやら『シワ寄せ』らしい。
高校二年生になってからのこの数カ月で一つ分かったことがある。それは、俺の前の席に座る立花玲という黒髪ロングの女生徒は、学園のマドンナとまではいかないものの、その容姿と明るく社交的な性格から男女問わずたいへん人気のある生徒であるということだ。
立花のもとに多くの人間が集まってくるのは、彼女が頼みごとを断らない性格であるということも大きな要因の一つだろう。俺の知る限りでも、立花はこの数カ月で放課後の掃除、プリントの配布、学内行事のボランティアなど、『手を合わせて』頼まれた様々な雑用を引き受けていた。
本日最後の授業が終わり、担任がホームルームのために教室にやってくるまでの短い休み時間で、我らが二年C組の面々は帰り支度を整えていた。週始まりの今日は皆、休日への未練が抜けないのか、やっと終わったね、といった会話が教室内からちらほらと聞こえてくる。また、県内でそこそこの強豪らしい野球部の連中は、久々にオフの予定だった昨日に急遽練習が入ったらしく、後ろの方の席にたむろし、顧問の愚痴を大声で垂れ流していた。
教室内に飛び交うそれらの声に交じって、前の席で行われている会話もおのずと聞こえてくる。その内容から、どうやら立花がクラスメイトにまた何がしかを頼まれているらしい、ということが分かった。
「…大事なものなの。玲ちゃんお願い。探すの手伝ってくれない?」
「もちろんだよ! 特に予定ないし今日の放課後も手伝えるよ!」
そして、それを二つ返事で承諾する立花。俺には聞き慣れたやり取りだ。
その直後、担任が教室に現れた。それを見て、休み時間を自由に満喫していた教室内の生徒がバタバタと各々の席に着き始め、そのクラスメイトも自分の席に戻っていった。
俺と立花は席が前後というだけで今までほとんど話したこともない間柄である。だから、立花が何をしようと俺には全く関係がないとさえ言える。しかし、無報酬で他人のために時間と労力を割く、という自分なら絶対やりたくないことを快諾する姿を何度も目の前で見せられて、理屈はよく分からないが苛立ちに近い感情が溜まっているのを感じていた。
俺は担任が話す連絡事項を聞き流してホームルーム中に配られた学内新聞のコラム欄を斜め読みしながら、意図せずため息をついた。
「放課後まで人の物探しを手伝うなんて、ホントにご苦労なことだな」
ホームルームが終わった一時間後、放課後の教室に再び姿を見せた立花にそう声をかけたのは、単なる気まぐれだった、と思う。
件の物探しが解決した後に忘れ物でも取りに来たのだろう。自分の席に座り、机の中に残っていたノートを鞄にしまっていた立花は、話しかけられてすぐに顔をこちらに向けたものの、しばらく何も返さず目をぱちくりさせていた。
「え? 今私に話しかけてる?」
「そりゃそうだろ」
俺は周囲を見渡すが、この教室には俺と立花の二人しかいない。この学校は部活動が盛んなためか、放課後に教室に居残る人間がほとんどいないのだ。
だが、この反応も致し方ないのかもしれない。俺から立花にまともに話しかけたのはこれが初めてかもしれなかった。
しかし、立花は良いとは言い難い俺の態度にも気を悪くした様子はない。
「ごめんごめん。田渕君が私に話しかけてくるなんて思ってなかったから驚いちゃった。というか、田渕君こそ教室に残って何やってんの?」
「え? ああ、俺は、放課後はいつもここで本を読んでるんだよ」
俺は内容が逸れて行っていることに戸惑いつつも、開いていた本を掲げて見せる。
「家で読めばいいじゃん」
「家には姉貴が居てだな…って、そんなことはどうでもいいんだよ」
立花のせいでどんどん内容が逸れてしまったが、俺は別に立花と雑談したかったわけではない。俺は少し言葉を区切り、こう続ける。
「余計なお世話かもしれないが、人の頼み事をむやみに引き受けない方がいいと思うぞ」
俺は最初から、ただ一方的にこれを伝えたかっただけである。言いたいことを言った俺は視線を立花から手元のページに落とし、会話の終わりを仄めかした。しかし、相手はそうは受け取らなかったらしい。
「確かに。ねえ聞いて。今まで頼まれたことは私でもできることばっかりだったんだけど、今日は私、全然役に立たなかったんだよね。やっぱり、田渕君の言う通り、あんまり自分ができないことを安請け合いしないほうがいいってことだよね?」
そのまま会話を続けてきたうえに、なぜ頼み事を引き受けない方がいいのかの理由が腹立たしいくらい想定と違う。俺は自身の意図を訂正するため再び目線を立花に合わせる。
「ちがう。何でもかんでも安請け合いすると、都合のいい人間扱いされるだけで、良いことなんてないってことだよ。お前もそんなのゴメンだろ」
立花が初めて言葉に詰まる。今度はきちんと俺の意図が伝わったらしい。
しかし、それでも、真剣な表情で少し考えこんだ後、微笑みと共に返された答えは、俺が思ってもみないものであった。
「別にそれでもいいよ。友達の悩みを解決できるんだし」
「…あっそ」
その返答から、立花が持つ価値観は俺のものとは全く異なるのだ、ということを悟った。
これ以上言葉を交わしても無駄だと判断し、今度こそ会話を終わらせるべく、立花を無視して手元のページを読み進める。しかし、やはり立花にはそれが伝わらない。
「それにしても、田渕君が私の心配をしてくれてたなんて意外」
「…」
「田渕君って休み時間にもずっと本読んでて、なんか話しかけづらかったからさー、普通に話せる人だってわかって、なんかうれしいよ」
「…」
「ていうか、もし私のことが心配なら、今日の探し物のお手伝いとか、お願いできたりしないかな? なーんて…」
「いいぞ」
「あーだよねえー…って、え?」
「え?」
思わず顔を上げた俺と、思わぬ返答に固まっている立花の間に沈黙が落ちる。
マズイ。アレが突然耳に入ってきたせいで、条件反射で承諾の言葉が口から出てしまった。立花がまだ呆気に取られているのをいいことに、俺は全力で誤魔化しに掛かる。
「俺今なんか言ったか?」
「今、手伝ってくれるって言ったよね?」
「いや、言ってない」
「でも、さっき私が探し物手伝ってって」
「絶対に嫌だね」
「お願いしたら」
「あー…」
「『いい』って」
「…」
会話の途中で急に目線を外して黙りこむ俺を、立花がいぶかしげな顔で見てくる。
「ねえ、手伝って!」
「いやだ」
「お願い!」
「…」
再び繰り返される俺の反応。そこから、立花は何かを察してしまったようだ。
困惑気味だった立花の顔にニヤリと、人の悪い笑みが浮かぶ。
この数カ月で初めて見る立花の表情に、高二になってまた一つ知らないことを知れたなあ、と現実逃避気味の思考が頭をよぎった。
「お願い! 手伝って」
「…」
「お願いお願いお願いお願い!」
「分かった! 手伝うから! 『お願い』って言うのやめろ!」
俺は『お願い』という言葉が怖いのだ。
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