逃走
「黒、足に刺さった『レモンイエロー』を食べて。」
「食べて」でも「削り取って」でも黒は同じような行動をするから、どちらの言い方で指示しても問題ないが、「食べて」と指示した方が格好良く感じてしまうのは僕の中二病心のせいだろうか。
関口少年を見ると、地面にへたり込んでいる。彼はもう放っておいて良さそうだ。
謎の能力者のところに向かいたいが、位置が高すぎて、どうやって向かえばいいのか分からない。ここにいても、彼(か彼女と表現すべきかどちらかは分からないが、便宜上、彼と表現することにする)を攻撃することは出来るが、声は届かないから、会話することは出来ない。
僕は話し合いで解決できるなら話し合いで解決したい質なので、何も言わずに攻撃するということはしたくない。だから、どうにかしてマンションの屋上に行きたい。
……しかし、相手が先に攻撃してきたわけだから、敵と見做してしまっても問題ないだろう。
決して、意味を為さなさそうな会話をするためにわざわざマンションの屋上まで行くのが面倒くさくなったわけではないが、僕は攻撃を仕掛けることにした。
「黒、あの辺に密度の濃い部分を作って。」
言葉では曖昧でも、脳内ではっきりと位置をイメージしておけば、思い通りの座標を指定できる。
密度を濃くした場所は「レモンイエロー」の能力者の周囲だ。
僕の「黒」は、密度が最大であっても空気が通るほどの細かい隙間があることは以前述べたが、密度の濃い層を分厚くすれば、通る空気の量は少なくなる。
能力者とはいっても、肉体は元の人間のままのはずだから、空気が無くなれば窒息する。
息が出来なくなれば彼はいずれ意識を失うだろう。そうすれば、一旦は無力化できるはずだ。
「群青」のように、能力者の意思とは関係なく働くような能力ならばこの方法は使えないが、意思を持って僕に攻撃してきたことからその可能性は低いと思う。
ところで、なぜ、人は息が出来なくなると喉を掻きむしるのだろうか。苦しそうに地面に倒れ、血が出るほどに爪を立てて喉を引っ掻くレモンイエローの能力者を見ながら、いつの間にか上がっていた口角を一直線に戻す。
力を失い、仰向けに倒れ込んだ彼の周辺から、「レモンイエロー」の針が無数に発生する。
針は発生した直後から加速し、「黒」を貫いて四方八方に飛び散る。
そして飛び散った針は空中でランダムに向きを変えながら、徐々に一方向を指しはじめる。
精神的なダメージによって冷静さを失った昨日の僕の姿が、僕の脳裏に浮かぶ。
もしも「レモンイエロー」の発現が何かしらの感情をトリガーとするものならば、身体の危機によって暴走することは十分にあり得るだろう。
そして、その暴走の矛先となるのは自身の敵。つまり、何故か「レモンイエロー」に攻撃されている様子のない関口少年を除いて、僕か、坂家のどちらかということになる。
と、考察するまでもなく、無数の針は明らかに僕に向かってその先端を向けている。
既に最大密度の「黒」を貫いている針なので、僕の全面に纏った「黒」も簡単に貫通することだろう。
僕を指向する、攻撃的で、かつ防御出来ない能力に対して僕に出来ることといったらほぼ一択だろう。
僕は、逃げるしかない。
その前に少しだけ、後のことを考えた行動をしておく。
「黒、最大密度の球体になって、僕の上空で待機。」
わざわざ外に出した「黒」を回収してしまうのはもったいないから、ひとまとめにして僕の分かる場所に置く。
「あ、僕の周辺のヤツだけはそのままで。」
と、追加で指示。
「羽って
と訊くと、僕の周囲にあった「黒」が形を変え、僕の背中にはコウモリのような巨大な黒い羽が生える。
「あれ?僕って悪役だっけ?」
と呟きながら、羽根を大きく羽ばたかせて宙に浮く。
ちなみに羽根を生やさなくても直接「黒」を操作すれば飛べるにもかかわらず、羽根を生やしているのは、「黒」を操作しながら素早く移動する僕自身を上手くイメージできなかったからである。
もしかすると、自分の羽根で空を飛んだ初めての人間かもしれないと思うと、嬉しくなってしまうし、羽ばたきによって一定周期で伝わる推進力に心地よさも感じるが、今はそんな幸福に浸っている場合ではないので、とにかく、急いで距離を取る。
領域を失ったから、周囲の情報は五感からしか探れない。しかし、「黒」には目にあたるパーツがないから、前を見ながら後ろを見ることもできない。針は空気抵抗が少ないから、風切り音がほとんど生まれないだろうと考えると、聴覚も頼りにならない。触覚も、体表を流れる風の抵抗のせいでかなり鈍っているし、味覚と嗅覚は役に立つはずもない。
つまり、ここからは勘で「レモンイエロー」に対処していかなければならないということになる。
全速力で飛びながら、危機に瀕しているからか妙に冴えた思考で、どうやって逃げようか考える。
多分だが、「レモンイエロー」の針は直線に飛ぶとき最も速度が大きい。しかし、曲線的な動きは出来ないのではないだろうかという気がする。
なので、針の狙いをずらすために上下左右に動き回る……のはダメか。
小学校の3、4年生くらいの夏、市民プールで友達と遊んでいた時だっただろうか、水鉄砲を避けるとか言って、無駄に変な動きをしながら逃げ回っていたときのことを思い出す。
後から客観的に考えてみれば、手足をめちゃくちゃに動かしながら走り回る変な少年だったわけである。恥ずかしい思い出だ。
結局、真後ろを向いて逃げているとき、相手から見れば僕は真正面にいることになる。だから、動き回ったところで相手が冷静に狙えば水鉄砲でもBB弾でも簡単に当たってしまう。
ならば、「レモンイエロー」の能力者を中心に、円状に動くのはどうだろうか。こうすれば横目で針の位置を確認できるから、飛んできてもすぐに避けられるだろう。
姿勢を変えて、能力者の位置を確認する。
夕方も終わりかけの薄暗い空に、無数のレモンイエローの線が集中線のように広がっている。
「もう、飛んできてんじゃん。」
急いで羽根をたたみ、きりもみ回転しながら落下する。
地面がすぐ近くに迫ってから、羽根を広げて姿勢を正し、地面に降り立つ。
今は川沿いに続く一方通行の自動車道と、舗装されていない歩道が交差する丁字路のちょうど真ん中に立っている。
学校帰りだろうか。セーラー服と学ラン姿の学生が数人、歩道を通って僕の方に近づいてくるのが見える。
仲の良いグループのようで、会話に集中してしまっているせいで僕の存在には気づいていないらしい。
上空では、レモンイエローの針たちが僕を見つけて向きを変え始めている。一本一本が独立して飛んできてくれるのなら各個撃破というか、避けて、突き立ったものから削っていけばすぐに全ての針を消せるのだが、同時に何十本も飛んできてしまうと、その作戦はとれない。多分、針が地面に突き立つ前に僕が死ぬ。
学生グループの一番後ろを歩く少年が顔を上げ、僕と目が合う。
青みがかった灰色の瞳孔。日本人にしては珍しい色の目だが、存在しない、といえるほどありえない色ではない。
しかし、ぼくの脳に、その色の名前が浮かぶので、彼が能力者であると分かる。
「ブルーグレー。」
確認するように、声を掛ける。少年は感情を失っているかのように冷静な目で、僕を見つめ続けている。
僕は人差し指を立てて上を指す。少年は何もかも理解しているという目で頷く。
グループの全員が僕のことに気付く。
流した長髪の少女が驚いたように地面にしりもちを突く。男子にしてはやや長髪の少年は足を振るわせて立ち尽くし、その隣で似たような髪型の、ボーイッシュな印象の少女が少年の手を強く握る。
グループの先頭に立っていた、赤ブチ眼鏡に不自然に整ったおかっぱの少女が驚いたように目を丸くして僕を凝視する。
その瞳孔は、やや緑がかり、くすんだ茶色である。
「鶯色もいるのか。」
小さな風が吹き、少年少女の髪型を揺らす。
「色」の能力者は、群体生物に感染した時点で瞳孔と髪色が変わるらしい。ということは河俣さんや降幡さんの姿を見た時に察していたが、この能力者の二人はどちらも黒髪だった。
それで、目を見るまで能力者かどうか気付かなかったのだが、今、納得した。
二人の髪が風に流れた時、インナーカラーのようにはっきりと、ブルーグレーと鶯色の髪が見えた。
僕は自分の頭を触りながら二人に言う。
「カツラ?」
と。空気が凍るような沈黙が広がり、目を逸らすように上を見上げると、「レモンイエロー」の最後の一本の針が僕の方を向いたところだった。
やっべ。逃げなきゃ。と思うも、体というのはすぐに動くものではない。
やけにゆっくり僕の方に近寄ってくる黄色い針たちと、金縛りのように動かない僕の体の間に、学ランを着た長身の少年が飛び込む。
日焼けした肌に、長めのスポーツ刈りの、「紫」色の髪。
僕が能力を手に入れた日、僕の隣に立っていた少年だ。
全ての針が少年の体に突き刺さり、その衝撃で少年の体が痙攣するように波打つ。しかし針は貫通せず、少年の体から、血が出るような様子もない。
時間がもとの速さで動き出し、針に貫かれた少年が地面に落ちる。
「
と、鶯色の少女が少年に駆け寄る。彼は輝弥という名前らしい。
僕は動揺して、未だに体が動かない。鶯色の少女が僕を睨みつけるが、僕は事情を全く把握していないし、少年がなぜ身を挺して僕のことを守ったのかも分からない。
「あなた!輝弥を見て、何も思わないの!?」
「あーー」
凄まじく腑抜けた声が口から零れ出る。この数分間に色々あったせいで、そろそろ頭が回らなくなってきている。
「あなた、『黒』の能力者よね。昨日の事件は、てっきり能力が暴走して起こったのかと思ってたけど……勘違いだったみたい。こんなに人の心が無い人を見たのは初めてかも。昨日あなたは、意図的に起こしたのね?あの事件を。」
意図的と言えば意図的かもしれないが、違うといえば違う。
人と接してこなかったせいで、こういう時に何て言えばいいのか分からない。
頭痛がする気がする。
「ごめん。色々ありすぎて頭が回ってないんだ。」
「へえ。そう。強そうな見た目して、ずいぶん弱々しいのね。」
「だって、僕だってこんな能力欲しくなかった…ところもある。」
「どっちよ。あいまいな答えをして。ほんとは欲しかったんじゃないの。私の方が、こんな能力欲しくなかったわよ。断言できるわ。こんな能力欲しくなかった。」
いつの間にか鶯色の少女は、瞼を赤く腫らして泣いている。
「輝弥を返してよ!」
「僕が殺したわけじゃ…」
「ねえ!」
少女の手首を、輝弥の手が掴む。
「やめてくれ。
「輝弥…大丈夫?」
泣きながら輝弥に抱き着く、鶯色の少女。
輝弥は当然のごとく少女の背に手を回して、頭を彼の胸に押し付けて泣く少女の背中をさする。
青春のワンシーンを見せつけられて、僕は、アニメの感動シーンを見ているときのような恥ずかしさを感じる。
目を逸らすと、ブルーグレーの少年と目が合う。
「君、彼が来るの、知ってたでしょ。」
少年は静かに頷く。
「中野さん。こんなニュースは見たことないですか?…『高校生、変死。同級生、『内側から爆発した』と語る』。……なるほど。これが、
「なぜ、僕が知ってると分かった?」
「中野さん、今、中空を見上げた後に、納得したように二回頷いたじゃないですか。自分の行動くらいちゃんと把握した方が良いですよ。……というのはどうでもよくて、今のニュースから言いたかったのはつまり、轡田って、一回、死んでるんですよね。」
「たしかに。」
「ちょうどその場にいたのが、僕とそこにいる
神屋敷ってずいぶんと珍しい苗字だな。実は祓魔師の家系でしたとか言われても驚かない気がするくらい神々しい苗字だ。
「でも、群体生物というものが宿主を利用して生きてきた性質を持つならば、わざわざ宿主を殺す群体生物がいるとは考えづらい。だから、僕の『ブルーグレー』を使ってずっと『紫』の動きを探っていたんです。」
「おお。頭いい。」
「17年間一緒に過ごしてきた幼馴染兼恋人が目の前で爆発したんですから、神屋敷は動揺してしまって、宥めるのが大変でした。僕は、轡田が死んだはずはないと信じていましたので冷静だったんですが、それがかえって、神屋敷を刺激してしまったようで、申し訳なかったと思っているのですが。」
17歳の高校生で、男二人に女一人……幼馴染の三人組で二人は恋人、一人は冷淡そうな少年。少女の方は感情的なタイプで、恋人の方の少年はスポーツマン。ということは、導き出される答えは…
「実は、神屋敷さんのことが好きだったが、いつの間にか恋人の立場を取られてしまっていたとか。」
「中野さん。僕の話、真面目に聞いてなかったでしょう。」
「いや、聞いてはいたけど、別のことを考えてただけ。」
「そんなことしてるから、神屋敷に、人の心がないなんて言われてしまうんですよ。」
なるほど。
「ところで、轡田君はどうして僕のことを助けてくれたの?」
「そんなこと、知りませんよ。本人に直接聞いてください。」
青春真っ只中の二人に、割り込めというのかこの幼馴染は。
なんか小学生のときの思い出とか語り合い始めてるみたいだけど、こいつのほうこそ、会話に混じらなくてもいいのだろうか。
そうだ、今はそれどころではないんだ。元いた場所に戻らなければ、坂家たちがどうなっているか不安だ。
でも、その前に一つ聞いておきたいことがある。
「そろそろ元の場所に帰ろうと思っているんだけど、一つだけ聞いていい?『ブルーグレー』ってどんな能力なの?」
「超感覚のようなものです。僕の知りたい情報は大体、分かる。そういう能力です。」
便利そうな能力だな。と思う。
さて、多分何かの機会でこの三人には会うことになりそうだが、一応、三人の方から僕に会えるように情報だけ伝えておこうかな。
僕に会いに来るかどうかは置いておいて。
「僕はもう行くけど、仮に僕に会いたくなったら…」
「名前も家ももう知ってますよ。」
「でも、突然家に押しかけられたら嫌じゃん。」
「では、フリーデン心療クリニックに行って、河俣さんに連絡した方が良いでしょうか。」
うわあ、絶対、敵に回したくないタイプだ。
羽根を広げ、飛び立ちながら僕は思う。
あ。彼の名前を聞くのを忘れてた。まあ今度でいいや。
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「シアン」#00AAFF
無限に増殖し、硬く結合する群体生物。別世界ではある種の昆虫と共生して分布を拡大していた。宿主の意思をトリガーとして任意の形を作り出すが、発現した時点で硬化して、宿主の体から分離することは出来ない。
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