仮面
暫く味覚だけを駆使して肉を味わった結果、肉の部位で焼いたときに一番おいしいのはハツだった。という結論が出た。あと、人間と豚のハツは食感もよく似ているということを確認できた。
バーベキューというのは楽しいものだが、肉だけだとやっぱり飽きてくるもので、野菜を買ってきて欲しいと坂家から要求された。
嫌だと言ったら、坂家もついてくると言うので断れなくなった。
近くのスーパーマーケットは「スーパーハタヤ」という。降幡さんの住んでいるマンションを出て、道沿いに真っすぐ歩いて大通りを渡ったところにあるそこは僕も使ったことがあるし、僕や降幡さんの近くに住んでいるらしい坂家も行ったことがあるらしい。
で、場所も分かるしルートもなんとなく分かるから買い出しに行くときに特に問題は無いだろうと思っていたら、残念ながら、大きな問題が発生した。
「やあ。」
と、僕と坂家の前に立って親しげに左手を挙げているのは中学生だろうか。小柄でやや痩せた体格の、輝くような赤髪をした、知らない少年である。
僕と坂家は、つい顔を見合わせる。
「『赤』の、関本
「年上に対する礼儀すら知らない子どもに名乗る名前はございません。」
ずいぶん丁寧に煽るなあと感服する。
「えっと、じゃあ僕も名乗りません。」
「そうかよ。」
ちょうど中二病くらいの年だろうか。なにやらニヤニヤしている少年に対して、坂家も軽く笑う。
「『赤』の能力者の方ですか?」
「そうだっつってんだろうが。」
坂家は僕の方を向いて、手で何かを合図する。僕にはその意図を察せない。
「何しにここまで来たんですか?」
「力試しってとこかな?」
は?何を言っているのだろうかこの少年は。こんな住宅街の真ん中で能力を使う危険性くらい分かる歳だろうに。
もしくは、絶対安全な能力を使う…という可能性はないか。力試しとか言ってたし。
「どうぞ。」
と、坂家。
「多分、戦うことになるんだろうと思うけど、本当に大丈夫?」
「以前にも言いましたが、私は能力を使うことを躊躇しません。この少年に現実を見せて差し上げます。『灰色』、交戦準備。」
なんか、好戦的な性格が羨ましいな。
何故かとても嫌そうな顔をしながら僕の手を握る坂家に動揺しながら…というか、今なら僕も能力を使える気がする。
「『黒』、ストップ。僕を覆って。」
と、僕の周辺に、ちょうどいいくらいに広がった「黒」を、慣れた言葉で体に纏う。
「あは、お前ら、ショッカーみたいだな。」
という言葉をスルーする。左に立つ坂家を見ると「黒」に覆われたままプルプルと震えているので、急いで、坂家の分の「黒」を回収する。
「行くぜ、『赤』!!」
関本少年のテンションのせいで、ニチアサの世界線に来たような気分になる。
赤く大きなベルトに赤いコスチューム、それに赤い仮面。少年の体からあふれ出し、体を覆う「赤」は、ニチアサといっても戦隊モノのレッドというよりも、バイクに乗る類のあのヒーローに見た目が似ている。
手に持っている、切れ味の悪そうな剣に当たれば、やっぱり火花が散るんだろうか。一回当たってみたい気持ちもあるが、万が一、凄まじく切れ味が良かった時に大けがを負うことは避けたいから、やめておく。
「貫け。」
コンクリートの舗装が盛り上がり、僕らと少年を隔てるように灰色の巨塔が聳え立つ。
「あれ?座標ずれた?」
確かに「灰色」は、少年の真下から生えたように見えたが、体に当たったような様子はない。
灰色一色の塔に一本の赤い線が走る。そして塔は、さらさらと崩れ落ちるように消える。
「相性が悪いようですね。」
坂家のつぶやきに不安を覚える。
消え去った塔の奥に、少年の姿が見える。大きな二つの目のみが黒く複眼で象られた表情の読めない仮面の下で、ニヤニヤ笑っているのだろうか。どうだろうか。
「残像だ。」
と格好付けて言う少年。さっきの坂家の攻撃は、残像に当たっていたらしい。ずいぶん高い位置に剣を構えているのは、剣の根元辺りに空いている銃口と関係あるのだろう。
赤い光が僕の腕を掠め、コンクリート塀にぶつかって消える。
僕は傷ついていないし、コンクリート塀も傷ついた様子はない。
「もしかして、君、弱い?」
少年は憎々しげな顔をしている、気がする。
「違います。おそらく、『赤』の能力はご都合主義です。」
僕は少年を睨みつけて牽制しながら、坂家の話を聞く。
「先程、私の塔が破壊されたとき、崩れ落ちるように消えたでしょう。あのとき、『赤』が『灰色』を侵食するような感触がありました。どうやら、私の『灰色』が都合よく綺麗に崩れ落ちるように内部構造を削り、脆くして、その結果、塔が重力に従って塔が崩れたのだと思います。」
「つまり?」
「『赤』の能力は少年の想像を最大限に再現することだと考えられます。」
「だから?」
「例えば少年が勝つと思っているならば、理論上、私たちは勝てません。」
「まあ勝ち負け以前に、僕には攻撃手段が無いんだけどね。」
「話にならないですね。あの『領域』を使えばいいでしょう。」
領域……かっこいい響きだな。多分、放出された「黒」を僕が放置しているときの状態のことを領域と呼んでいるのだろうと思う。
領域はどちらかというと僕には制御できない「黒」の基本的な能力だけど、名前があったほうが呼び易そうだしそう呼ぶことにしよう。でも、ぶっちゃけあんまりあれは使いたくないんだよなあ。全然関係ない人に被害が及ぶと思うと気分悪くなるし。
「赤」の少年の背後、僕の正面に続く道の先、派手な手持ちマイクを持っている男性が交差点から現れる。直後に現れた巨大なカメラは、テレビ局のものだろうか。
厄介な予感がしてきた。一度大きな被害をもたらしている「黒」の能力者としては、ここで顔をばらしたくはない。
「黒!」
焦燥感の混じった言葉に反応し、僕の体から「黒」が出てくる。考えてみれば僕は「黒」に覆われているから顔がばれることはなかったが、能力はもう使ってしまったのだから仕方ない。
「黒。僕の視界になる部分だけ、視覚を共有できるかな。」
声に反応し、僕の視界が元に戻る。以前のように範囲内の全ての物を見てしまえば、精神的にきついだろうと思って試しに指示を変えてみた。
見たくないものは見ないスタンスでいれば、案外、精神的には楽なものだとよく分かる。
正面には焦ったように左右を見回す少年、隣を見るとぼんやり中空を見上げる坂家がいる。
テレビの取材班らしき集団は肝が据わっていて、重そうな鞄を持った若そうなスタッフ一人を除いて動揺している人はいない。
「黒、ストップ。」
どのくらいまで広がったかは分からないが、今はこれだけの量の「黒」があれば十分だろう。黒の流出を止める。
隣で呆けている坂家の、髪でも撫でたら坂家は驚くだろうかと思ったが、試してみるのはやめておく。
手を近づけようとした瞬間に、坂家の体がぴくっと動くのが分かった。多分、今の状況も把握している可能性が高い。ここで悪戯でもしようものなら、きっと僕の真下から巨大な塔が生えてくることだろう。
今、僕がしなければいけないことの優先順位を付け終える。
18時21分。とりあえず時計を見て心を落ち着けて……少年に近づく。
黒の密度は、僕の操作できる限りで3段階ある。
1つ目は、僕が体を覆ったり、球体を作るときに使っている、いわば固体の状態である。これは、空気は通すが音や光を全く通さない状態である。
2つ目は、黒が僕の体から噴き出すときの密度だ。このとき、黒は光を通さないし、音も伝わらなくする。黒は気体に交じって、鼻や口から気管に入ったりするが、健康被害は今のところ聞いたことないから、多分安全なんじゃないだろうか。
3つ目は、黒の取れる形態の中で最も密度の低い状態で、この時、滑らかに声が伝わるようになる。でも光は当然のごとく通さない。
その、3つ目の密度の「黒」で少年の周りを覆う。
「なあ、関口少年。」
少年はくるっと僕の方を向く。そのまま手に持っている剣のような武器を振りぬくが、距離を見誤っているから僕の体には掠りもしない。
「今、『黒』の能力で君の視界を消した。君の攻撃は僕には当たらない。」
敢えて威圧的に、脅すような口調で話す。
「僕は今、君を攻撃するつもりがない。しかし、僕がその気になれば君は一切抵抗できずに攻撃を受けることになる。」
「そんな……」
「降参してくれないか。降参してくれれば、僕は君を受け入れよう。」
……口調が悪役っぽくなっている気もするが、今、僕は少年にとって間違いなく敵だから、高圧的なほうがそれらしくて良いだろう。
「どうする?」
「敵には屈しない。」
なるほど。この返答は考えてなかった。見たところ中学生らしい少年だから、軽く押せば諦めると思ったがそうもいかないらしい。
「なぜ、僕が敵だと思う。」
「自分が何をやったのか理解していないのか?」
ああ、昨日の夜のことを言っているのだろうと察する。
「もしかして、少年。巻き込まれた?」
「この辺の人で、巻き込まれていない人はいない。俺の友達は一人、大けがして今日学校に来なかった。」
「それは不幸なことで…」
なんか、今日一日で何回も言われたからか、僕が昨晩やったことに対する罪悪感が薄れているような気がする。やってしまったことは仕方がないという気持ちがある。
「ふざけんなよ!」
少年の全身から赤いオーラが出てくる。これは「赤」の能力だろうか、何が起こるか分からないが少しまずい気がする。
「黒、関口少年の表面にある分だけの『赤』を食べて。」
指示すると、少年の周りに漂っていた赤いオーラが消え去る。赤が抵抗しているのか、少年を覆うコスチューム的な部分を削り取ることは出来ないが、問題ない。
「何をするつもりだったのかは知らないけど、僕には効果がないようだね。」
「……」
「そろそろ分かってくれるかな?君が降参せざるを得ないってこと。」
「…………」
これで、時間さえ経てば少年は僕と戦うのを諦めてくれるだろう。今は、予想していなかった事態に対して考えなければいけない。
気付いたのは少年と会話している途中だった。
「黒」の領域の中で、やたらと活発に動き回っている人がいる。さっきまで僕がいたマンションの屋上で今、動きを止めたが、僕のことを遠くから観察しているのだろうか。
ほぼ間違いなく能力者だと思うが、何が狙いだろうか。まさか、少年とチームでここに来たということはないだろうと思う。
敵か味方か、中立かもしれないが、もしも敵だったとき、僕は対処しきれないから…多分、坂家に何とかしてもらうことになるだろう。
黒の密度を変化させ、坂家との間に音の通り道を作る。
「坂家。マンションの屋上に人がいるの、分かる?」
「……分かります。言われて初めて気付きました。」
「対処、任せていい?」
「問題ありませんね。」
ということで、何かあったら坂家に対処してもらうが、それはそれとして僕も謎の人物のことが気になるので、少年と会話を続けつつ、感覚の端で動きを観察する。
「残念だね、関口少年。負けちゃったね。」
「……………」
「何か言いたいことはない?」
「……」
少年は悔しそうに俯いていて、何かを言いたいのだろうと思うが僕の質問には答えたくないらしい。
少しだけ、やりすぎてしまっただろうか。
中学時代に軽い気持ちで同級生をからかったとき、その同級生はちょうど目の前の少年のように立ったまま俯いてしまって、今思うと涙をこらえていたのだろうと思うが、そのまま全く動かなくなってしまったことがあった。
関口少年の様子は、あの時の彼に似ている。
あの時は確か、どうすればいいのか分からずに動転して、同級生を置いたまま教室に逃げ戻ったんだったと思う。
それ以来、その同級生とは一言も喋っていない。というか、中学の同窓会に参加するつもりもないからこれから一生、僕と彼が話すことはないと思う。
嫌なことを思い出した。あの時みたいに、この場から逃げ出したい気分だ。しかしそうもいかない。
余計なことを考えないように、少年を無言でじっと見つめる。
マンションの屋上にいる人物が、何か言葉を呟く。周囲の「黒」の中に、ノイズのように細い隙間が生まれる。
隙間はせわしなく動いているようだが、細すぎて認識できない。
手首が鈍く痛い。
坂家が自分を覆うように六本も「塔」を立てている。
足の甲に痛みを感じ、視線を向けると、太陽のように明るい黄色の針が足に刺さっている。この色は、レモンイエローに間違いない。
手首には細い穴が開き、そこから血がぽたぽたと垂れている。
「黒、僕の表面だけの密度を最大に。」
周囲に「黒」が集まるのを感じる。
「レモンイエロー」の能力者が、今のところ、僕に敵対しているらしいということは分かった。
さて、どうしようか。
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「ブルーグレー」#99AABB
無限に増殖し、樹状に結合する群体生物。別世界では世界一巨大な樹として知られていて、その根元で暮らす一族が代々宿主を務めていた。宿主の、知りたいという欲求をトリガーとして、地上、あるいは地下に萌え出る。
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