焼肉

ところで、なぜ僕は手足を椅子に拘束された状態で、目隠しをされながら、同級生の女子に「あーん」されているのだろうか。


「この部位は何ですか?」


「小腸。」


「お、惜しい。正解は、胆嚢でしたー。ちなみに、人間の小腸はこんなに細くないです。」


そんなん分かるわけねえだろ。









 ◇


15時52分。図らずも昼食を抜いてしまった僕にとって、早めの夕食としてバーベキューを始めるにはちょうどいい時間になっている。




綺麗に積み上げられた降幡さんの四肢や内臓を、四角く成形した「黒」を使ってゼラチンの要領で固める。

「黒」の内側にあるものは見えず、においを外に漏らすことも無いので、数人分のバラバラ死体と思われてもおかしくないほどの量の肉塊を運ぶのに、「黒」は適しているといえる。


しかし、光を反射しないほど黒い、楽器箱ほどの大きさの直方体は、見た目がとても怪しい。


降幡さんの「若草色」で黒い直方体を包んでみると、ベンタブラックで塗ったような元の状態よりは幾分マシとは言え、どことなく怪しげというか、見た目で言えばマジックショーで人体切断ショーをするときの箱によく似たものが出来上がる。


「うん。これでよし。」


と、降幡さんは満足げだ。




僕の指示を受けていない「黒」はかなり重く、手で持ち上げようとすると、まるで鉄塊を人力で持ち上げようとした時のような、「全く動かない」感じがする。と、今、自分で持ち上げようとしてみて思った。

これを運べるのは「黒」を使える僕しかいないだろう。


「じゃあこの箱は僕が運びますね。」


「ハコをハコぶのですね。分かりました。」


ここで僕がリアクションをしなければ、今、スベったのは僕の発言を駄洒落だと捉えてしまった坂家ということになるのだろう。


「中野くん。ハコをハコぶのですね。」


坂家ぇ…。ここで黙れば墓穴を掘ることはなかったのに。

以前の「地元の豆腐屋の湯葉」のときもそうだが、誰かがリアクションを取るまで、自分のジョーク(坂家が言うには冗句ジョーク)を天丼する趣味でもあるのだろうか。


「中野くん。ハコを……」


「ああ分かった。僕が悪かった。変なダジャレを言って済まない。」


ああもう。なんでこうも円滑に物事が進まないのだろうか。





僕の頭の真上に若草色の長方形が浮かぶ。




地下室の扉を開け、2メートルほどの廊下の先にある階段を1階分と少し、上がったところにある扉を開ける。

コンクリート打ちっぱなしの幅1メートルもない階段には、天井の電気もなく薄暗い。

こういう空間はサイコホラーかスプラッタ、あるいは脱出系の映画のような僕の苦手とする非日常を感じる。例えば、今握っている丸いステンレス製のドアノブを回すと、外から鍵が閉まっているようで、ガチャガチャと何かがドアノブに引っかかるような感触が僕を絶望させる。突然、水の滴る音がコンクリートに反響して…





そんな瞬間が、日常においても多少の非日常においても起こるはずはなく、ドアノブは僕の手の動きに合わせて素直に回り、押し出すと自然な動きで、ドアノブと同じ重そうなステンレス製の扉が滑らかに開く。


外に出ると、見慣れた日常の景色が目の前に広がる。


建物と道を隔てるように隙間なく並べられた均一でやや細長い長方形のコンクリートブロックから、人一人だけが通れる程度の幅だけを開けて引かれた白線。

白線に挟まれた、乗用車1.5台分の幅の、一方通行ではないが交差することも難しいほどの太さの車道。


スマホを取り出して現在位置を調べようとするが、みんなが降幡さんに付いて歩き出すので僕もスマホをしまい、慌てて後を追う。


「悟なら、この場所に見覚えあるんじゃない?」


と、降幡さんに言われて周囲を見渡すと、僕らが向かっている方の、一つ十字路を越えた先に見える二軒の居酒屋に気付く。


「『スナックこみち』、と『桜』。二つ並んだ、あの足元の小さい看板は記憶にあります。」


昨晩、僕が「黒」を通して見た半径400メートルの中に、あの居酒屋は入っていた。しかし、フリーデン心療内科クリニックを見た記憶は無いし、十字路の手前側である、6本の珍しい、五角形のポールの列も記憶に無い。


「僕の視界に入ったのはちょうど、あの辺までまでです。」


そして、思い出す。


「この十字路を渡って…もう一つ十字路を渡ったすぐ左側のマンションの、確か3階でしたね。降幡さんの家は。」


そして、思い出す。


「あそこって、ベランダ無いですよね。バーベキューできなくないですか?具材がこれじゃあマンションの外の、小さな公園でやるというわけにもいかないですし。」


「そもそもあそこはバーベキュー禁止だからね。」


「となると、バーベキューじゃなくて部屋の中で…実質、焼き肉をやることになるんですね。」


「焼肉でも立って食べればバーベキューさ。」


そして思い出す。


「でも、降幡さんの部屋ってかなり狭いですよね。それに、立って歩くのも難しいんじゃないですか?確か信じられない量のゴミが…」



列の先頭に立って歩いていたはずの降幡さんの顔が、いつの間にか目の前にある。


僕の臍から十数ミリ上、胃の真下辺りから横隔膜にかけて、瞬間的に僕の体が握りこぶしの形に押しつぶされ、肋骨に加わる衝撃が僕の体全体を宙に浮かせる。

直後、地に着こうとした僕の足は左右バラバラに動き、バランスを崩した僕は頭から地面に激突する。


「えっっほっおぼ!えっへいいいえいうえべええ!(ええっ!だって事実じゃないですか!!)」


「何言ってんのか分かんないけど、女性のプライベートには滅多に踏み込まん方が良いかもね。」


正論に僕は何も言い返せず、喉まで出かかった酸っぱい吐瀉物を飲み込んで口を閉ざす。



体に力が入らないから、しばらくはここから動けないと言うと、まるで俵に見えるほど何重にも念入りに「若草色」の布に包まれて、長座体前屈のような姿勢で足が攣りそうになりながら降幡さんに担がれた。


巨大な緑色一色の直方体と俵を担いだ女性は、傍目から見ればかなり異様だろうと思うが、平日の昼間過ぎの今、住宅街に人影は無い。








16時11分、僕が俵に包まれてから大体10分くらいが経って、降幡さんの部屋に着いた。


荷物と一緒に降ろされ、布が解かれてやっと体をリラックスさせる。

居間に敷かれた薄紫色のフローリングに体を横たえ、僕は違和感を口にする。


「ゴミはどこ行ったんですか?」


「ゴミなんて無いわよ。って言いたいところだけど、まあ私の『若草色』で包んだあと、河俣に頼んで焼却場に直送してもらったわ。」


初対面の人からそんなことを言われて、暇でもないのにわざわざ引き受けるとは、河俣さんもいい人だ。


「さて、今、脚立とコンロを持ってきたから……」


降幡さんは脚立を広げ、その上に大きいガスコンロを乗せる。それだけで、粗雑さも相まって、まるでバーベキューコンロのような見た目の物が出来上がる。


「それと、悟は私の肉食べたくないんだっけ。」


「…ええ、まあ、ハイ。」


ぶっちゃけ腹も減っているし、食べてもいいかな。くらいの気分にはなっているが。


「じゃあ、こういうのはどうだろう。」


降幡さんはいつの間にか、市販の豚肉を持っている。発泡スチロールの容器に入ったバラの切り落としだ。


「目隠しして、私が肉を口に入れるからその肉の種類を当ててみて。外したら私の肉を食べる。当たったらもう一回、私が悟の口に肉を入れる。」


「種類も何も、降幡さんの肉と豚バラしかないですよね。」


「いや私ね、肉しか食べないのよ。だから冷蔵庫にいっぱい、肉が入ってるの。」


人間って、肉だけ食べていても生きていけるんだっけ。


「確か…豚肉もあと2種類くらいと、牛肉が3種類、鳥は好きだから5種類はあるわね。あとラム子羊マトンと、…うん色々あるわよ。毎日同じ肉ばっかり食べてたら飽きるからね。」


なるほど、


「僕、そんなに種類があったら当てられる気がしないですよ。」


「ええ。だから食べさせる肉の種類は10種だけに絞るわ。種類はあなたが選んでいいわよ。」


それならできそうだ。


「ただし、私の肉を食べた時もその種類を当てること。」


「え?」





いつの間にか用意された木の椅子に、僕は押し付けられて座る。


後ろから手首を握られる冷たい感触。引っ張られるままに手を後ろに回されて、細い紐で坂家が後ろから僕に話しかける。


「同級生から後ろ手に縛られて、抵抗もせず。どんな気分でしょうか。」


ああ。………楽しいなあ。と思う。




あ、そういえば知ってますか、小学生以来友達と一緒に外に遊びに行ったり、一緒に食事をしたことのない人間が大学に入って、女性を含め4人くらいで焼肉に行った時の感情。


つまり今の僕の感情なんですけど…






めっちゃ楽しい。





て、大げさに言うほどでもないが、まあ楽しい。


後ろから、ガムテープを引っ張る音と、鼻につんと来る接着剤の香り。坂家はガムテープを両目に張り付け、躊躇なく髪の毛にも貼り付けながらぐるぐると僕の頭に2周も巻く。



「じゃあ俺は肉、捌いてきますので…」


青天目さんがキッチンに歩いていく音。そして、キッチンにいた降幡さんが居間に戻ってくる。


肉の種類が読み上げられ、十種を選ぶ。鶏手羽元、手羽先、鶏ムネ、鳥モモ、鳥レバー、タン、豚バラ、鳥ハツ、ラム、牛ミノ。

鶏肉の比率が多いのは、バラ肉とロースとヒレとボンジリと…無数にある牛とか豚の部位ごとの区別のつく気がしないからだ。鶏ってどの部位にも個性があって良いよねと思う。



暫くして、肉が焼ける音と香りがかなり強くなってくる。


一食を抜いている人の自由を奪い、その目の前で肉を焼くというのは新手の拷問ではあるまいか。


僕の正面に人が立つ気配がある。


「あーん」


と、坂家の声。僕は口を開ければいいのだろうか。


「ほら、あーん。」


僕の頬の皮膚に、鋭い痛みが奔る。違う、これは痛みじゃなくて熱さか。


「口を開ければいいの?」


「ええ。」


開けた口に、無造作に放り込まれる肉。これの種類は一発で分かる。


「とりかわ。」


選択肢の中に無かった気もするがまあこれは確実にとりかわだろう。


「外れです。これは鶏ムネの一部ですので鶏ムネです。」


「…………」


「不満そうな顔されましても、降幡さんがそう言いますので。」


「誰が何と言おうと、鶏ムネよ。さて、残念ながら間違えてしまった悟には私のどの部位を食べさせてあげようかしら。」


「…………………」


そのやり方は卑怯だろうという不満はあるが、口にするほどではないと思う。しかしどうやら、表情にはその不満が出ているらしい。


「これは……どうでしょうか…」


「いいわね。」


再び「あーん」されて、口の中に肉が入る。


人間の肉はおいしくないとか、酸っぱいんだとかそういう説を唱えている人がいたが、あれは嘘だったのだとはっきり分かる。

牛や豚とまったく違いのない、おいしい内臓の味が口内に広がる。


「この部位は何ですか?」


と、初めに戻る。


_____________________________

「紫」#B000B0


無限に増殖し、宿主の形に結合する群体生物。別世界では宿主を殺し、死体を冒涜する悪性の寄生虫として恐れられていた。「紫」は寄生して一日以内に宿主を内側から爆発させ、その肉片を食べ尽くす。その後、結合した「紫」は宿主と全く同じ姿、言動を為す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る