絹布

降幡ふりはたさん。あなたは先ほど、自分も異常なのだと言っていましたが、あなたのどこが異常なのでしょうか。」


青天目なばためさんの雰囲気に呑まれて静かになっている空気を破り、坂家が降幡さんに聞く。


「それは、私が正常そうに見えるってこと?」


「そうです。」


確かに、降幡さんはまともな精神をした人のように見える。しかしこの人は、傍から見れば今ここにいる4人の中で一番異常に見えるほど、異常だ。


「『黒』の少年は知っているような顔をしているけど…そういえば、『黒』の少年は既に私が能力を使うのを見ているんだったね。」


「ええ、まあ。あと、僕の名前は中野さとるです。」


「そうか。私が『若草色』を使えるのは、私が異常だからだ。まともな人間が『若草色』を貰ったとしても、私のようには使えないだろう。

悟も、私のマネをするのは無理だと思うだろう?」


「そりゃあもう、絶対にマネしたくないですね。」


「黒」を通して見た降幡さんの奇行を思い出す。


「中野くんは随分と降幡さんに詳しいのですね。」


「悟、想い人を嫉妬させるなよ?」


「べつに、想い人じゃないですけどね。」


降幡さんは僕の返答をつまらなそうな顔でスルーし、話を続ける。期待外れみたいな顔をしているが、僕に話を振ったのはあなただろう。


「まあ、健全な青少年にはちょっとショッキングかもしれないけど、『灰色』ちゃんなら見ても大丈夫でしょ。」


「私の名前は『灰色』ではなく、坂家、栄奈です。」


「そう。それじゃあ栄奈ちゃん、見てて。」


降幡さんは自分の左腕を掴み、思い切りよくひねる。

ブチブチという精神衛生に悪そうな音とともに左腕の肘関節の皮膚が千切れ、皮膚の内側が見える。


「緑…」


破れた皮膚の隙間からあふれ出てくるのは赤い液体ではなく、光沢のある若草色をした布だ。


降幡さんは肘の骨が見えても自分の腕をひねるのを止めず、関節の軟骨が外れるような、ボコッっという鈍い音を鳴らしながら腕を引きちぎった。

腱や血管のぶら下がった汚い断面をした自分の腕を、降幡さんは僕の方へ投げる。


「うわっ。何するんすか。」


「あげる。」


全く要らない。


降幡さんは、千切られた側の腕を僕らに見せる。そこにグロテスクな断面はなく、絹のように滑らかな若草色の布が傷口を覆っている。


傷口からあふれ出て、降幡さんの腕を埋め尽くすように増殖する若草色の布の中で、徐々に降幡さんの腕が伸びていくのが分かる。

そして数秒後、布の端が降幡さんの手から零れ落ち、腕が完全に元の形に戻る。

僕は手に持った降幡さんの古い腕をどうしようか迷う。


「これ、どうしますか?」


「あとで焼いて食べようか。」


腕の元の持ち主にしか言えないようなブラックジョークだな。


「僕は人肉食べたくないですよ。」


「私は食べてみたいです。」


「いいね。じゃあもうちょっと『肉』を増やして、後でバーベキューやろう。」


自分の腕を肩から引きちぎろうとする降幡さんを見て、僕は暗い気分になる。


「どうした。悟はバーベキュー嫌いか?」


「仕方ないです。中野くんには、友人とバーベキューをやった経験がありませんので。」


適当なことを言わないで欲しい。確かに友達と行ったことはないが、サークルでバーベキューに行った経験なら僕にもある。


「なるほどね。私も悟はどことなく陰キャっぽいと思ってたんだ。ところで、どこか食べたい部位はあるかい?」


「左乳房。」


「いいね。」


左腕に続き、自分の左足を千切った降幡さんは、リクエストに応えた部位をもぎ取ろうして、ふと気づいたように僕の顔を見る。僕は慌てて目をそらす。


引き千切られている本人が全く痛そうにしていないとはいえ、人間の体の一部ががぼとぼとと地面に落ちていく中で冷静に話す二人はまともじゃない。


「本当に、異常者ばかりだ。ここは。」


「今更ですよ…」


足元で賛同してくれる青天目さんに共感を覚えながら、僕も地面に足を延ばして座る。

床が冷たい。


「均は、私のどこ食べたい?」


「え、あー…脳みそ…」


青天目さんもバーベキューには反対派だと思っていたのに、ノリノリで一番やばそうな部位を指名する。

何だよ、ここ。まともな奴が僕以外にいないじゃないか。


「脳みそはどうだろうなー、リスクもあるし今回はダメ。」


「なんでみんな、人肉食に躊躇無いんですか?」


全員、僕の方を見て驚いた顔をする。僕はただ、バーベキューに参加するのが苦手だから断ったものかと思われていたらしい。


「人肉より……バーベキューのほうが苦手です…」


青天目さんはさっき、なぜ自分が異常かどうか確認したのだろうか。こんな優先順位をつける人が異常じゃないわけがない。


「それに、好奇心は満たすべしと…幼いころから教わってきたものですので…」


「そうです。好奇心を満たす意欲のない学生は理系学生とは言えません。」


「それに、女性を食べたいという意欲のない学生は男子学生とは言えないわ。」


最後の発言は男子学生に対する偏見が極度に混じっているように感じるし、おそらく男子学生の言う「食べたい」は、今、降幡さんが言っている「食べたい」とは違うものだ。


三人は盛り上がりながら、バーベキューの具材を決めていく。




美しい若草色の絹布の上に無造作に放られているのは、降幡さんの四肢が数本ずつと、腹に手を突き刺して取り出していたハラミ横隔膜、異臭を放つ、降幡さんが「恥ずかしいからあまり見ないで」と言っていた1つ目の食道と腸、胃、そして「若草色」によって修復された後にもう一度取り出したきれいな腸。

せめてナイフか何かで切り取れば、直視できるような状態になるだろうに、あらゆる部位が雑に引きちぎられた状態で落ちているから、断面とか皮膚の千切れ方とかがめちゃくちゃグロテスクで、僕には直視しがたい。


テンションの上がった坂家が延々と要求し続けたいくつかの部位は、女性経験のない僕には刺激が強いだろうと判断されて、一か所にまとめて布が被せられている。

「趣向を凝らす」とか言って、わざわざパープルとラメのネイルで丁寧に爪を塗り重ねた後に千切られた手は、他の部位に混ざって汚れてしまわないように遠くに置いてある。

千切られた各部位は部屋のすぐ外にあるらしい風呂へ一旦、青天目さんによって持っていかれ、血抜きされた状態で戻ってくる。家庭感の無い見た目をしながら意外にも料理が好きだという青天目さんは、血抜きもせずに雑に放置された肉を見ていられなかったらしい。「血抜きをしないとレバーみたいな臭みが肉に染みついて……鮮度も味も落ちてしまうんです…」と、青天目さんは言っていた。


無数の生肉が美しい若草色の絹布の上に置かれ、床は死屍累々と豪華絢爛を足して二で割ったような状態になっている。壁には赤黒くなった血が付着し、部屋には鉄のような異臭が充満している。

河俣さんが部屋に戻ってきたら、この惨状を見て、多分溜息をつくだろうなと思う。あの人は寛容だが、苦労人のような雰囲気を感じさせる。


「そろそろ肉も鮮度が落ちてきそうだし、バーベキューを始めようか。」


「どこで?」


「え、私んち。ここから徒歩10分のところ。」






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「鶯色」#808000


無限に増殖し、巨大な柔らかい円盤状に結合する群体生物。空気より軽いため、空に浮き、円盤のふちを揺らしながら飛ぶ様子から別世界では「ワーブラー」という名の伝説上の怪鳥として知られた。宿主の意思に関係なく、「鶯色」自身が望むときに宿主を覆うように発現する。

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