部屋

一瞬の浮遊感と、直後に背中から受ける衝撃。僕は自分が地面に落ちたのを感じる。


僕の苦労を意に介さないような爽やかな青空と、僕の近くに落ちた「群青」の宿主の、光を反射しない黒い体。


僕は「黒」に覆われたままでも自らの視界を得られているが、他の人はそうもいかないらしい。


真っ暗闇の中で、「群青」の宿主は何を考えているのだろうか。

僕は疲れて、身を倒したまま、いずれ助けに来てくれるだろう坂家を待つ。




14時13分。真上から2人の顔が覗く。わりと近い距離から覗き込む坂家と、その上から僕の顔を覗き込む河俣さん。


「河俣さんも来てたんですね。」


「『群青』が現れたって、SNSで話題になっていてね。急いで、文字通り『飛んで』来たよ。」


「坂家とはどこで合流したんですか?」


「今、中野くんのところに来る途中でね。灰色の髪の女性が歩いているから、もしかしたらと思って声を掛けたんだ。」


「一般人かと思って『灰色』を使った攻撃をしなかったのですが、その判断は間違いでした。」


「声を掛けたとたんに坂家君から殺意を感じてね。思わず身構えたら、自然に振り返って挨拶してきたから私の方が驚いたよ。」


初対面の人にとんでもないことをしようとしている。


僕は坂家に体を支えられながら立ち上がる。


「私の瞬間移動は、複数人に対して使えるんだ。そういえば、坂家君には言っていなかったが、『赤橙色』の能力は、瞬間移動だ。

さて、中野君。坂家君と、『群青』の能力者と手をつないでくれ。『赤橙色』が君の体まで流入できないからね。」


坂家の手を握ると、皮膚の表面がやや熱を帯び、視界が薄く『赤橙色』で覆われるのを感じる。


「女性の手を握るのは初めてですね?」


「小学生以来だけど。何か?」


「いえ、中野君は平均的な人間より体温が高いようです。」


そこは察して、言わないのがマナーだろう。僕の常識の範囲内では、ふつうの男性はその日にあったばかりの女性と、握手以外の目的で手を握らないのだ。


「私の知識では、『手を握る』というのは『こういうの』を指していました。」


わざわざ恋人繋ぎに手を握り直して、僕の反応を見る坂家。

おそらく得意げな顔をして僕を見ているだろう坂家の顔を見ないように、『群青』の能力者の手を取る。ちなみに『群青』の男は、髪色と無精髭の色が派手な群青色をしていること以外は特徴のない、覇気のない男だ。サラリーマンらしくスーツを着ているがスーツには皺が寄っていて、どことなくだらしなく見える。


「では、瞬間移動しますね。それと、移動する場所は埼珠県内ですので、各々帰宅しようと思えばいつでも帰宅できるので安心してください。」


「私は財布すら…」


坂家の声をかき消すように焚火が燃え上がるような轟音が鳴り響き、目の前が赤橙色に覆い尽くされたと思うと、次の瞬間に僕らは濃いブラウンの木目柄を基調とした大きな、何もない部屋にいた。

窓もない。


「ここは?」


「フリーデン心療クリニックの地下で、私が普段、寝泊まりしてる部屋だよ。」


河俣が指差す先には、扉と、そのすぐ近くの、部屋の隅に置かれたベッドがある。

ベッドの周りには何もなく、広い部屋の端に一つだけ置かれたベッドはどことなく寂しげだ。

こんなにも広く、何もない部屋で寝泊まりをしていたら、僕なら確実に心を病む。


「河俣さん。ここに一人で寝泊まりできるあなたはいじょ…えと、…あの、…普通でないです。」


坂家の顔が引きつっている。


「あはは、坂家君は言葉にナイフを潜ませるのが本当に上手いね。君の言う通り、どうやら、私は人と少し違うらしい。」


「ええ。」


一言呟き、坂家は黙る。


「見たところ『黒』の少年。と、『灰色』の少女かな。君たちは河俣に騙されてここに連れてこられてしまった。可哀そうに。」


後ろから声が掛かり、振り返ると鮮やかな若草色をしたショートヘアの女性がいる。体のラインの出るような黒いショートパンツと、丈の短いノースリーブのシャツ越しに分かるスタイルの良さが、目を惹き付ける。

この人のことも僕は知っている。「若草色」の能力者だ。


「変なことを言わないでくれ。降幡ふりはたさん。ここは出入り自由で安全な場所だということは、あなたこそよく分かっているでしょう。」


「だって、この二人、なんだかいい感じじゃない。からかってみたくって。」


僕は「いい感じ」だと言われる根拠が分からず、ちらっと坂家の顔を見る。


偶然僕の方を向きかけていた坂家と目が合いかけ、すぐに目をそらすが、どことなく気まずい。まったくいい感じではない。


「え?待って待って草。君ら、高校生か?」


「私は大学2年生です。」


「僕も大学2年生ですよ。坂家と同い年だって、坂家が言ってたんじゃなかったっけ。」


坂家が当然な顔をして頷く。分かってるなら一緒に紹介してくれても良かっただろうと僕は思う。


「へー-、ねえ、この二人について、心理カウンセラーの河俣先生はどう思います?」


「私からは何とも。」


どことなく、河俣さんの顔が赤い。なにか恥ずかしいことでもあったのだろうか。


「ねえ、お熱い二人のその『恋人繋ぎ』は、いつ離すんだい?」


「「あ。」」


言われて、そういえば手をつないだままだったことを思い出す。

素早く手を離し、今までの人生で思い当たらない不思議な感情を抑えるように、焦ったようにズボンで手を拭く。これは恋愛感情ではない。繰り返す。これは恋愛感情ではない。


「これは、坂家がやったんですよね。ね。坂家。」


「私が恋人繋ぎしたのは、中野くんの反応が面白いだろうと思ったからです。決して恋愛感情を理由とした行動ではありません。」


そういう風に冷静になられると、僕も冷静にならざるを得ない。


「そうです。そして僕が思い通りのリアクションをしなかったので、坂家は残念そうな顔をしていました。」


坂家の顔を指差しながら、真面目くさった顔で言う。


「いいえ。今、中野くんは私の求めていた反応をしました。私は満足しています。」


坂家はニマっと笑う。


「でも、坂家も一瞬、照れくさそうなリアクションしてたじゃん。」


「じゃんってなんですか?縦浜市民ですか?焦って縦浜方言が出ているようですが、大丈夫ですか?」


「ええ僕は縦浜出身だよ。でも、じゃんって語尾はわりかしよく聞く表現だし、語尾だけで縦浜市民だって決めつけるのは良くないんじゃない?」


「いいえ、中野くんからは縦浜市民特有の傲慢な……」


「ねえ、そろそろ良い?お二人の仲はよく分かったから、私の話を聞いて。」


言葉が止まる。


「私は『若草色』の降幡はるかよ。よろしく。」


「よろしくお願いします。」


「…よろしくお願いします。」


「では私は、日和の事件の後処理がありますので失礼します。」


やっと僕らと降幡さんがコミュニケーションを取れたことで、自分がいる必要が無くなったと感じた河俣が消える。


「あ、ちょっと…ここどこですか?…て聞こうと思ってたのに…」


僕のすぐ横で足を延ばして座り、俯く『群青』の宿主。


「いつ起きたんですか?」


「今、降幡さんが名前を言う直前で目を覚ましたようで…」


「言葉が尻すぼみで、最後まで聞き取れないわね。」


「あの、『群青』は被害を出していなかったでしょうか…」


降幡さんはじれったそうに首を左右回りに回すと、意味もなく首の後ろに腕を回して二の腕辺りの筋を伸ばしながら部屋の端の方へ歩いて行ってしまった。


「まあまあ、そこそこの被害は出してましたね。」


「中野くんは言葉を濁していますが、あなたは甚大な被害を出していました。」


『群青』の宿主は分かりやすく落ち込み、がっくりと肩を落とす。


「やっぱり…」


「全然、大丈夫だよ。この坂家の方が周りに被害をまき散らしてるし、それよりも僕の方がよっぽど甚大な被害を出してるから。」


「そうです。中野くんの『黒』が傷付けた人間の数は100や200では収まらないほどでした。」


「本当に!?」


「ニュースサイトによると、現時点で確認できた限り死者122人、負傷者1701人、精神的被害者が5000人超だそうです。」


「それはさすがに嘘ですよね。」


「中野くんには、帰宅ラッシュの時間帯に日和駅ほどの大きい駅の近くで、直径2kmにも及ぶ完全な暗闇を作り出すことの異常さが理解できないらしいですね。ならば優しい坂家栄奈えいなちゃんが分かりやすく教えて差し上げましょう。」


坂家はニマっと笑う。


「僕の『黒』は、僕の感情に反応して発現するんだ。ところで、坂家の説明を聞いて僕が自暴自棄になったら、この周辺の人達はどうなっちゃうんだろうね。」


僕も不敵そうな笑みを浮かべてみる。


「あのー、能力者ってこんなに異常な人ばっかりなんですか?私、耐えられそうにありません。そう思いませんか?降幡さん。」


坂家は後ろを向いて、降幡さんに同意を求める。


「大丈夫、あなたも私も充分異常だから。」


「僕も…異常なんでしょうか…」


『群青』の能力者に対し、降幡さんはあからさまに苦手そうな表情をする。暗い人間とは反りが合わないんだとでも言いたげな雰囲気だ。


「ところであなた。名前は?」


青天目なばためひとしです…」


「青天目…初めて聞いたわ。ねえ、苗字ランキングはどのくらいなの?ネットで調べたことない?」


「たしか、16000位くらいだったと思います…」


「ちなみに坂家は34000位くらいよ。」


「へえ、よくある名前かと思ったのに、青天目より低いんだ。意外。…ちなみに僕の『中野』は49位です。」


「今調べたら、降幡は6000位くらいだったわ。ほらそこ、『中途半端だな』って顔しないで。」


降幡さんが僕を指差して僕の表情に文句を言う。どうやら僕は考えていることが表情に出やすいタイプらしい。


「僕は…」


俯きながら、青天目が呟く。自分が異常なのかどうか、という質問に対する答えが欲しいのだろう。


「多分、異常よ。だってほら、自分の出した被害を気にしている風を見せてたけど、話題を変えればすぐに談笑をし始めてるわ。本当は、被害なんて気になってないのよ。」


その言葉に青天目は何か思うところがあったのか、一瞬目を見開く。

そして伸ばした足に肘を置き、唇に手を当てて考え込むような姿勢で動かなくなってしまった。


_____________________________

「赤」#FF0000


無限に増殖し、宿主の中で液状に結合する群体生物。別世界では、それはあらゆる生物に循環する「血」だった。宿主の強い変身願望に応えて、「赤」は宿主の外に発現する。

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