線路
和田駅から電車で20分移動すると、小さいながらも国有鉄道との接続駅として栄える、
和田駅にいた時の僕は何を考えていたのか、ICカードを持っていたにもかかわらず切符を買ってしまっているので、日和駅までは改札を出るわけにいかない。
埼珠慈明寺駅から道路を一本跨いだところにある大手スーパーマーケットの二階に、ガーデニアの看板が設置されているのが見える。
13時48分。そろそろ14時が迫ってきていて、腹も減ってきている。発車ベルとともに電車の扉が閉まり、ゆっくりと動き出す車窓の外に流れていくガーデニアの看板をぼんやりと眺める。
「灰色」
隣で呟く坂家の声とともに、体が跳ね上げられるような感覚。
「え?」
電車の中で、僕の体が浮く。坂家が僕の腕を掴み、引き寄せる。どうやら僕と坂家は電車ごと空を跳んでいるらしい。
「坂家?」
「能力者ですよ。」
言われて、僕は窓の外を見る。巨大な濃青色の棒が線路の真下から伸びているのが見える。
「群青色でしょう。」
坂家が僕の思考を訂正するように囁く。
そうだ。実は僕らは、能力者の色を瞬時に判別できるようになっている。
地面から生え、ミミズのようにうねうねと動くあの柔らかい棒の色は、間違いなく群青色だ。
「黒を呼べますか。」
「黒」
僕の皮膚の下で「黒」が外に出ようともがく感触がある。
「感情が足りない。黒が出てこない。」
僕の言葉に対し、坂家は躊躇なく僕の頬を平手で叩く。なぜ叩かれたのか分からず、僕は混乱する。
今の平手打ちは、僕の言葉を理解したうえで僕に驚きの感情を抱かせようとしたのか、あるいはただ平手打ちしたくなっただけなのか。後者である可能性が高いように思われるが、なんにせよ僕は驚きで一瞬だけ、理性を緩める。
「黒!」
裏声で発せられた声に反応して僕から吹き出した「黒」は、一瞬で車両の中に充満し、窓枠、通気口、そしてドアの隙間を通って車両の外に吹き出す。
「電車を覆って。」
「『灰色』、四本。」
暗闇に閉ざされた車内が、真下から「灰色」によって突き上げられる。
地面から隙間を空けて立った四本の「灰色」に車両が挟まる。車両は空中で反転したまま動きを止め、僕と坂家は重力に従って電車の天井に叩きつけられる。
「『黒』、とりあえず、収束して僕と坂家を覆ってくれ。」
周囲から黒が消えて、視界が元に戻る。割れた電車の窓ガラスから下を覗き込むと、線路から生えた「群青」が所在なさげに体を横たえ、蛇行させるように体を揺らしている。
坂家を見ると、「黒」に覆われたままでぼんやりと中空を眺めている。
「“前”が見えないんです。」
「それは困った。」
そう言いながら僕が車窓から外に飛び出そうとすると、坂家が僕の腕を掴む。
「私、中野君のせいで前が見えていないんですよ?」
「見えてんじゃん。」
「これは『灰色』の視界です。私は、私自身の視界が欲しいんです。」
仕方なく、坂家の体を覆う「黒」を回収する。
「黒」で覆っておけば体が傷付きづらくなる。戦闘をするのであれば体を覆っておいた方が有利だと思ったのだが。
「ありがとう。またね。」
そう言うとすぐに坂家は「灰色」から飛び出した突起に座り、遊園地のフリーフォールのような速さで地上まで降りて行った。
僕は、天井にへたり込んだままで僕のことをじろじろと見ている乗客たちを一瞥したあと、坂家に倣って車窓から
まるで質の悪いCGのように、ただ群青色だけで構成された物体が線路の上を蠢いている。
自由落下したときの衝撃で地面に突っ伏している僕の横に、静かに坂家が立つ。
「私がやります。『群青』とは、相性が良さそうなので。…中野くんはそこで見ていて下さい。」
横たわる「群青」の体の真下から、灰色の塔がそそり立つ。
「群青」は跳ね飛ばされるように体を浮かせるが、傷ついた様子もなく、ダメージも受けていないように見える。
「あれじゃ、傷は付いてないね。僕の『黒』なら、『群青』を傷つけられるよ。」
「中野くん。あなたが攻撃したら、宿主まで死にます。」
「『灰色』ではダメージを与えられなさそうだけど。」
「うーん。そうなんですよね。」
坂家は頭を傾けて、考え込む。相性が良いのではなかったか。
「勢いよく突き刺せば、刺さると思ったのです。『灰色』の視覚から宿主の場所は分かっているので、そこへの攻撃をしなければ、宿主は傷つかないと思っていたのですが。」
「宿主、どこにいるんだ?」
「『群青』の地上部分の中央くらいです。」
「なら、地下の部分は僕が攻撃する。」
「地下は、40センチメートルくらいしか埋まってません。分からないんですか?」
「『黒』の領域内の物なら完璧に分かるんだけど、ここで『黒』を広げたら、坂家は怒るよね。」
「それは、私が怒るかどうかという問題ではありません。中野くん自身が一番自覚していると思いますが、『黒』は、日和駅周辺一帯で大量の人間の精神を破壊しているんです。そんな能力を無差別に行使する『何者か』は、もはや、人類の敵でしょう。あなたはこんな、強敵とも思えない『群青』を倒すためだけに、一生、人類の敵として生きたいんですか?」
「黒」を収納して地面に座っている僕は、首を縦に振る。たしかに坂家の言う通りだと思う。
「今、良い方法を思いついたので、私が倒します。」
蠢く『群青』は直径10メートルを越える太さがあり、長さは少なくとも100メートルある。
『群青』が少し体を動かすだけで、架線や捻じ曲がった線路、コンクリート製の柵、踏切の遮断機など周辺にあるものが千切れ、放物線を描いて、遠巻きに『群青』を見物するまばらな人混みに落ちる。
運よく、人の隙間を縫って落ちた鉄やコンクリートの塊が人にぶつかることはなく、誰も怪我しなかったが、続いて降り注いだ大量の敷石が見物者の頭や背中に当たる。
痛そうに頭を押さえて仰向けに寝転がる人や、敷石がぶつかり、痛む腰を触りながら上空を見上げる人、自分の顔の横を通り抜けていった敷石に驚きながら、恨みがましそうに上空を見上げる人。
その視線の先には、敷石を跳ね飛ばしながら線路の下から生えた、十数本の『灰色』の塔がある。
「坂家。君が跳ね飛ばした敷石が見物人に当たってるけど。」
「もとから怖いもの見たさで見物してる方々です。本当にヒヤッとする体験が出来て、あの方々も喜んでいるのではないでしょうか。」
「痛がってるっぽい人もいるけど。」
「はい。その通りですが、中野くんは私に謝罪を求めているのですか?私は昨晩あなたが能力を使ったときほどの被害を出していませんし、被害を受けたのも、いつでも逃げられたのにむしろ何が起こるか分からないような危険な場所に近づいてきた自業自得としか言えないような野次馬ばかりです。
もう一度聞きますが、中野くんは私に謝罪を求めているのですか?」
僕は言い合いで坂家に勝てる気がしない。僕の方を向いて勝ち誇るようにニマッっと笑う坂家を軽く睨み、僕は押し黙る。
地上から見上げるような角度で見ているから、角度が悪く、『灰色』に隠れて、坂家のしようとしていることの全貌が見えない。
「何をしようとしてるの?」
「『灰色』の枝で全方位から群青を抑え込み、動けなくした状態でさらに枝を突き刺そうと考えています。」
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「群青」#000080
無限に増殖し、巨大な柔らかい円柱状に結合する群体生物。別世界では「ディープブルー」という名前の伝説上の巨大な海蛇と考えられていた。宿主の意思に関係なく、「群青」自身が望むときに宿主を飲み込み、太い円柱状に結合する。
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