電車

河俣かわまたは今どうしているだろうか、仕事中に訪問するのは申し訳無いが、重要な用事が入っているか、あるいは私的な用事があるとなおさら申し訳ない。


僕にとって最も都合がいいのは、河俣が別の能力者と会っている場合だ。

僕は知らない人と接するのが好きな人間であり、能力者になってしまった今、理解しあえる仲間が増えると考えれば既知の能力者が増えることも喜ばしい。


しかし、河俣はおそらく、僕のせいで静かな地獄と化しているあの住宅街で、心理カウンセラーとして今も働いている可能性が高いと思う。

本当は河俣に直接連絡を取りたかったが、僕は河俣が院長をしているフリーデン心療クリニックの連絡先しか持っていないから、まずは名刺に書かれた電話番号にコールしてみる。



「はい。こちらフリーデン心療クリニックです。」


「もしもし、河俣院長の知り合いの中野と申しますが、河俣院長はいま、クリニックにいらっしゃるでしょうか。」


「いえ、出張で外に出ておりまして、今日は一日、クリニックにはいません。院長に直接…」


「日和ですかね。」


「えと、すいません、何でしょうか。」


「河俣院長が向かわれたのは、埼珠県の日和駅でしょうか。」


「はい。その筈です。」


二言三言言葉を交わして、電話を切る。僕の予想通り、河俣はまだ日和にいるようだ。


「日和に行く。」


坂家に声を掛ける。


「私は、身分証明書、財布、鞄など、生活に必要な諸々を持ち合わせていません。」


「今日一日だけ付いてきてくれればいいから、手ぶらでいいよ。」


「自宅が日和にあり、資金不足のため、ここに転移してから今まで帰ることが出来ていなかったので、あなたが日和まで送ってくださることは願ってもないほど嬉しい提案です。」


「なんか、口調が訳文っぽい。」


まさか感謝されていたとは。僕は坂家のことを、人に感謝するような言葉を発しない人間だと思っていたから、その言葉には驚いた。


駅に入ると、僕の真横に立つ坂家の頭越しに、ニスの剥がれた木製のベンチに座る、一人のおばあさんと目が合う。


おばあさんは微笑ましそうな表情で僕らのことを見ている。


「坂家。すいませんがもう少し距離を置いて立ってくれないか。そう近くに立たれると照れる。」


「先程買った切符を1枚、私に下さい。私が降りるときに困ります。」


僕は手に持っている2枚の切符のうち、片方を坂家に渡す。


「なるほど、7足す5割る3足す6で10です。そちらは?」


坂家はいきなり何を言い出すのだろうか。この不思議ちゃん属性持ちの女性の思考には、理解が追い付かない。


「切符の端の4つの数字を足して、10を作る遊びです。私の地元では、誰しも嗜んでいた有名な遊びだったのですが、ご存じありませんか。」


「車のナンバープレートで10を作る遊びなら知ってる。」


「なるほど。この遊びには地域ごとの差異があるんですね。勉強になりました。」


「僕は7、5、3、7だ。10は作れそう………ではないかな。」


「7割る7で1、3引く1で2、5掛ける2で10です。残念、私の勝ちですね。」


本当だ。全く気付かなかった。冬の風にあてられて体が冷えていたから思いつかなかったのだろうか。


「勝ったので『赤橙色』には会いません。」


「なら切符返して。」


「嫌ですよ。今のは、ほんの冗句ジョークです。」


坂家は僕の方を向いてニマッと笑う。顔がいい。さっきまでは無表情だったから気付かなかったが、笑うと、上品でありながら愛嬌のある顔をしている。


「さっきに比べて生き生きとしてるね。」


「勝ったので当然です。私の信条は『勝ったら上機嫌、負ければ不機嫌』なので。あなたは?」


それは信条というのだろうか。


「僕の信条は『君子危うきに近寄らず』。」


「うっすい信条ですね。私の地元の豆腐屋が独学で作った質の悪い湯葉かと思いました。」


僕は突っ込みが苦手だ。こういう時にどういうリアクションを取ればいいのか分からない。


「うっすい反応ですね。私の地元の…」


「分かった。うん。分かったから。」


さっき僕を殺そうとした人間に対して、こんなにフランクに接することの出来る僕は才能があるのではないかと思う。


「分かった?…でも、私の地元に来たことないですよね。私の地元、川口県なんですけど。来たことあるんですか?『國友とおふ屋』の湯葉を見たことも聞いたこともないのに、何が分かるんですか?あの店の湯葉の厚さをノギスで測ったんですか?それともマイクロメーターですか?」


なんとなく、お洒落な女性は文系の大学や学部に進むものかと思い込んでいたが、今、確信した。

坂家は理系だ。しかも結構厄介にひねくれた理系だ。


「しかも、中国地方の端にある川口県から、わざわざ日和まで引っ越してきている。」


「思考が口の端から漏れてますね。」


日和の近くにある大学で、全国から学生が集まるほどの理系大学と言えば一つしかないだろう。


「埼珠大学の学生ですか。」


「そうです。よく分かりましたね。工学部2年の中野サトルくん。」


「なぜ僕の名前を?」


「まず、日和に住んでいる18から25歳の学生のうち何%が埼珠大学に通っているか知っていますか?」


「まず、いつ僕が日和に住んでると言った?」


「今朝のニュースで、昨晩、日和で『黒』の能力を用いた人がいたと知りました。つまり、あなたは昨晩、日和にいた。また、能力が確認された場所から三角法で『黒』の能力者の位置を大まかに求めたところ、能力者は住宅街の中心で能力を使っている。住宅街というのは観光地ではないので、基本的には住民しかいません。偶然、その住宅街には行ったことがあったので、さきほどあなたが名乗った『中野』という苗字の人間がいたかと思い出してみると、歩いているときの視界の端に写ったアパートの二階の一部屋に『中野』という表札が写っていました。そこから、あなたが日和の住民であると仮定しました。どうやらこの仮定は当たっていたようですね。実は私、視力が2.1あって、しかも、フォトジェニックメモリの才能もあるんです。」


その一言から、続きを聞かなくともなんとなく、脳内の膨大なデータから理論的に僕の所属を導き出したのだろうということは分かった。


「坂家はコンピュータなのか?さっきの、意図の全く理解できない32行32列の塔を立てた理由も、坂家がコンピュータだと考えれば理解できる。」


「違います。あれは理系ジョークです。面白かったでしょう?」








僕が絶句していると、2両編成で、古臭いベージュ色を基調とした丸っこいデザインの電車がホームに着く。

列車の到着を知らせるベルの音はなく、電車の扉がガチャガチャと建付けの悪そうな音を出しながら開くので、扉が完全に開くのを0.5秒ほど待って電車に乗る。


「ちなみに今の推理は嘘です。こんな荒唐無稽な。フィクションの名探偵みたいなマネが私に出来るわけないじゃないですか。中野くんこそ、私に見覚えはないんですか?」


必死に大学の記憶を探るが、顔も、名前も僕のメモリの中にはない。2年も大学に通っていれば、周囲にいる人のことは全員記憶しているはずだが。


「1年生になりたての4月6日、サークルの体験会で、チーム対抗のオセロをしたじゃないですか。あのとき、相手チームにいたんですよ私。中野くんと直接戦ってはいませんが。」


1年も前のことだ。確かにオセロサークルの体験会でチーム対抗戦をやったが、少なくとも十数人はいた相手チームの全員の名前を鮮明に覚えているわけがない。僕の記憶力では、直接オセロを打ち合った相手の名前すら、すぐには出てこないくらいだ。


「他には?」


「それだけ…です。」


坂家は恥ずかしそうに俯く。


その記憶力があれば、十分、名探偵みたいなマネは出来るだろうと僕は思う。



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「若草色」#90F010


無限に増殖し、布状に結合する群体生物。「若草色」の布は見た目、手触りがよく、どれほど鋭い刃物によっても傷つかない。そのため、別世界では最高級の布として知られていた。宿主の皮膚が傷ついたとき、「若草色」は傷口からあふれ出て、宿主の傷を修復する。

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