悶着
「そう。今、思いついたのですが、あなたが私と戦って勝ったら、あなたに付き合って『赤橙色』に会ってあげても良いです。」
「僕が負けたらどうしますか。」
「私はあなたを殺します。」
「さすがに条件が釣り合いません。殺すのはやめてください。」
「なら、あなたが私に勝てばいい。」
「え、本当は殺さないよね?」
「『灰色』。このうるさい男の足元から巨大な円錐を生やしてください。」
坂家の声とともに、僕の真下から灰色の巨塔が突き上がる。これがいわゆる問答無用というやつかと僕は思う。
咄嗟に後ろに飛んで塔を避けるが、側面に足を取られ、バランスを崩して尻餅をつく。
立ち上がろうとする僕の足先から、突き上がる巨塔。僕は前のめりに体形を崩す。本気で殺しに来ているのだと察した瞬間に、恐怖が僕を襲う。
「黒!」
僕の体からあふれ出る「黒」は、一瞬にして僕と坂家を含む周辺の半径500メートルを覆いつくす。
「止まれ。そして感覚共有。」
昨晩は住宅街で感覚を共有したから、情報量に頭がパンクしかけたが、今は情報量の多いものが周囲にほとんど無いから、僕の脳は「黒」の覆う領域を完全に把握できる。
戦闘前と変わらず細いコンクリートの道と、道でない場所に広がる、何もない田んぼ。僕の目の前の丁字路には、戦闘前と全く変わらない姿勢で呆然として中空を見つめる坂家の姿がある。
冷静さを失っているのだろうか。それならば僕の勝ちだと思い、坂家に向かって一歩踏み出す。
背中の後ろにある「黒」が歪み、危険を感じて咄嗟に横に飛ぶと、灰色の太い円錐が、直前まで僕がいた場所を貫く。
中空を見つめている坂家が喋る。
「見えてます。『灰色』を通して。」
「そうですか。『黒』。僕の後ろの灰色を喰って。」
黒の粒子が灰色の巨塔を削り取り、完全に消滅させるのを感じる。
「それと、目の前、左右の塔も。」
坂家の背後にあった2本の塔が消滅する。坂家は口を開く。
「黒の領域を埋め尽くすほどの塔を。」
「僕を守れ!」
無数の塔が僕の体を跳ね上げる。跳ね上げられる直前に密度の大きい「黒」が僕を覆い、体に伝わる衝撃を受け流す。
打ち上げられたときに仰向けの姿勢を取ったせいで、地面の様子が全く見えない。
体を少し傾けると、うまい具合に体が反転して下を向く。そして下を向いたときには既に僕の目の前に塔があり、防ぐことが出来ない。
塔に正面から衝突した僕は、「黒」で体を覆っているおかげで塔に体を貫かれることはなかったが、塔に弾かれた衝撃できりもみ回転をしながら地面に落下していく。
姿勢を整える余裕もなく、頭から田んぼに突き刺さる僕。坂家から見ればさぞ間抜けだろうと思う。
今、僕には何も見えず、土の青臭いにおいが鼻につく以外の五感が働かない。
「際限なく広がってくれ。」
口に土が入らないように、口の中だけで「黒」に指示を出す。
手を必死に上下に動かし、体を左右に揺らしたりしていると、体が土から抜けて、僕の体は田んぼに横たわった状態になった。
立ち上がると、「黒」の視界に覆われる。坂家は僕を認識できていないらしく、僕に向かって『灰色』の攻撃は来ない。
「少しだけ、感覚共有。」
半径500メートルを目安に感覚を共有する。
感覚の共有により、僕は初めに戦っていた場所から少し遠くに来てしまったらしいと知る。灰色の塔の乱立する場所まで行くには、少しの距離、歩かなければいけない。
「面倒くさいな。…あ。」
と僕はつい笑う。良いことを思いついた。
「灰色の塔は、32×32の1024本。縦横をきれいな正方形に並べているのは、坂家の性格か、『灰色』の能力の制限なのか…」
独りごとを呟きながら、一本一本の塔を丁寧に認識する。
「今、認識した塔を消滅させて。」
指示とともに、灰色の塔が600本ほど消え去る。1000本全てを一度で消すつもりだったが、残った400本はどれも一部は削れているが、塔としては殆ど完全な状態で残っている。
まだ僕は、「黒」を使いこなせていないらしい。
残った400本の塔を消そうと、塔の位置と大きさを丁寧に確認する。戦闘が始まってから既に15分ほどは経っているだろう。
突然、僕の腕をかすめるように灰色の巨塔が生えた。
驚いた僕が坂家の状態を確認すると、僕が消し去った塔の隙間から、坂家が僕の方を向いている。
「見つけた。」
どうして見つかったのだろうか。
僕の周りで塔が乱立し、僕はさっきの反省を生かして戦術を変える。
「僕の周囲の塔を喰ってくれ。」
僕は「黒」に指示を出しながら、坂家に向かって走る。
そもそも、僕の能力は無差別の攻撃に特化している。「黒」の範囲にあるもの全てを喰らい、消滅させてしまえば、坂家に勝つことも容易いが、僕は言うなれば坂家自身を人質とされながら戦っているから、こんなにも戦いづらい。
「フェアじゃないんだ。」
僕は弱音を吐きながら、田んぼの土を踏んで走る。一歩踏み出すごとに足を取られ、転びそうになりながら前傾姿勢になって移動する。
まだ田んぼに水を張る時期ではないはずだが、水を含んで柔らかくなった土に足がとられる。
ちょうど一週間前にあった集中豪雨のせいで、土壌が緩んでいるのかもしれない。
「黒」が「灰色」を消滅させる速度を見ると、「灰色」の塔の生成速度を上回っている。これなら、坂家に近づくまで妨害されることはないだろう。
坂家に触れられるほどに近づいた瞬間に、一瞬、僕の周囲の「黒」を回収して坂家までの視点を通す。
坂家はまさか僕が「黒」を取り除くとは思わなかったのか、驚いたように僕を見る。
僕は坂家の腕を掴む。華奢で冷たい手だ。
「覆って。」
僕の声とともに「黒」は僕と坂家を堅く覆う。
僕は坂家の手を放し、自分の周囲にある「黒」と、周囲に充満する「黒」を回収する。
これで、僕は坂家を捕まえた。坂家はここから動けないし、僕の勝ちと言ってしまってもいいのではないだろうか。
しかし、坂家にも一応、僕の勝ちを認めさせておく必要があるだろう。
「『黒』。戻れ。」
坂家の周囲を覆っていた「黒」剥がれ、僕の中に戻る。
坂家は何事もなかったかのように立ったまま、スカートや袖を払う。
「高い服に黒い塗料が付いてしまったらどうしようかと思いました。」
「僕も、塔に突き刺されて自分の服が破れてしまったらどうしようかと思いました。」
「それで。私に何か言いたいことがあるのでしょう。」
「僕の勝ちです。」
坂家は苦々しい表情をする。僕は今更、河俣のために僕がここまで頑張る必要があったのかと疑問を抱く。
「僕が勝ったので、坂家は僕に付いてきてください。」
「坂家さん。と呼んでください。呼び捨てにされるほど私たちは親しくありません。」
「坂家」
溜息を吐く坂家から目をそらし、駅に向かって歩き始める。13時19分。まだ昼食の時間の範囲内だから、坂家を誘ってどこかのエキナカのファミレスにでも入ろうか。
と、この後の予定を立てながら、僕は歩く。
「好きなファミレスとかある?」
「…先ほどまでは敬語で話していましたね。」
「………好きなファミレスとかある?」
「………ガーデニア。」
ガーデニアといえば学生がよく行きがちな、安さを売りにしているファミレスだ。堅苦しいように見えて、坂家は案外、ジャンクな食べ物も好きなのかもしれない。と思う。
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「灰色」#CCCCCC
無限に増殖し、巨大な円錐形に結合する群体生物。別世界では、ある小国の王族が代々宿主となり、王の権威の象徴として用いていた。人が宿主の近くにいるとき、宿主と相手との心の壁がトリガーとなり、発現する。
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