石塔

 昨日、1本だけだった石塔が2本に増えたらしい。


 東武蔵鉄道で東京から2時間弱。埼珠さいたま県の奥地の児珠こだま郡に行くことにした。


 ◇


 今朝、目を覚ますと堂本家の向かい側の家の、新しく白いコンクリート塀に寄りかかっていた。

 目の前には利発そうな若い女性の救急隊員が一人、心配そうに僕を覗き込んでいて、昨晩、ここで何があったのか聞いてくる。


 僕は昨晩のことを必死に思い出そうとするが、ひどい頭痛がして、よく思い出せない。


「黒だ。」


 僕は「黒」という能力を手に入れたんだと思い出す。


「黒ですか?皆さん、一言目にはそう言われるんですが…」


「ここで何があったんですか。」


女性隊員は、この場で少しの時間待つように僕に伝え、立ち去っていく。


時計を見ると、9:09を差している。

出席する予定だった1限目の講義は既に始まっている。今の僕は、立ち上がろうと足を動かすだけで後頭部から眼窩、そして頭頂部と鈍痛が反響するような状態。1時間半後に始まる2限目までに体調が回復することはないだろうから、今日の午前中は学校を休むしかなさそうだと思う。


とりあえず、僕は今、起きた時から全く同じ姿勢でコンクリート塀に寄りかかっていることしかできない。



灰色に細く黒いボーダーの入ったジャケットとズボン、黄色がかった白い長袖シャツに赤い柄無しのネクタイをした、赤髪の、背の低い壮年の男が僕に近づいてくる。

後ろから、先ほどの女性隊員が僕を指差し、男に何事かを説明している。距離が遠く、何を言っているのかは聞き取れない。


そのうち、男は僕のところに近づいてくる。何故か、僕はこの男を知っている。


「赤橙色。瞬間移動の能力者だ。」


「昨晩の記憶はないと聞いたんだけど、君がもし黒なのだとすれば、記憶がないというのは噓かい?」


そう言われて初めて、僕は昨晩の出来事を思い出す。『赤橙色』の男は、能力を使って僕の『黒』を避けた能力者の一人だ。


止まらない頭痛に苛まれ、僕は苦痛に耐えられずに叫び声を上げながら、記憶を取り戻した。

涙がとどめなく溢れ出る。


「ごめんなさい。」 と 「黒。周囲を覆いつくして」


二つの言葉が喉までせり上がり、互いに干渉しあって止まる。


「……」


「気持ちは分かる。僕は心理学者だし、能力者だ。強すぎる力を持った人の気持ちも、既に身をもって知っている。」


「僕は、どうすればいいんでしょうか。」


弱音に似た疑問が、口からこぼれ出る。


「僕は味方だ。このことは誰にも言わないよ。だから、君は少し休むと良い。」


そう言って、壮年の男は僕に名刺を渡す。


「君は今回の事件の”被害者”だ。だから、私の職権を使えば、精神的負担を理由に大学を休むことが出来る。1か月程度だけにはなると思うが。」


名刺には、「フリーデン心療クリニック 所長 河俣かわまたとうま」と、書かれている。


「それと、僕は『色』の能力者を集めているんだ。僕に協力するつもりがあるのなら、そして、君自身が暇なら、ここに向かって欲しい。」


河俣は僕に、一枚のニュース記事を渡す。ニュースで取り上げられていた村は日和駅から東武蔵鉄道で乗り換えなしの1時間くらいで行ける埼珠県、児珠郡にあるらしい。


しばらく河俣と話していると、頭痛も落ち着いてきた。僕は立ち上がる。


「今日は、まあ家族にも学校にも連絡しなくていいと思います。住んでいる場所から察してくれるでしょう。僕は児珠郡に行きます。」


「助かる。」


河俣が手を僕に差し出すので、僕は握手する。しっかりした中心軸を持っていて、礼儀正しくかつフランクさも感じさせる河俣には、人を引き付ける魅力がある。






日和駅から1時間、単線の続く東武蔵鉄道の遠崎線で、上り列車との待ち合わせを3回挟んで和田駅に着く。


片面のホームに降り立ち、乗ってきた電車が発車すると、線路の向こう側には広大な田んぼが広がる。

今はまだ、視界はドロドロと湿った土の茶色で埋め尽くされているが、あと3月もすれば青々とした若い稲が見られるようになるだろう。


灰色の塔は、線路の向こう側には見えない。


無人駅である和田駅には自動改札機がなく、簡易改札機だけが所在なさげに埃を被っている。

駅員の詰め所だった場所には使い終えた切符を入れる木箱が置かれ、その中に数十枚もの切符が入っていることから、少なからず利用者がいることは分かる。


駅を出て、景色を眺める。意識的に目を向けるまでもなく、巨大な灰色の円錐形が2本、遠くにそびえ立っているのが見える。



駅を出て、田んぼの畦道にただコンクリートを敷いただけのような細い道路を歩く。11時40分。そろそろ腹が空いてきたところではあるが、この田舎の中で昼食を食べられる場所を見つけられる気がしない。


まあ一日くらい昼食を食べなくても、死ぬものではない。



住宅やビルが乱立した都会とは違い、自然豊かな田舎には爽やかな風が吹くらしい。気持ちのいい冬晴れで太陽が僕を照らす下、吹きつけるそよ風が薄手の長袖シャツ越しに僕の体温を奪い、今が冬であることを否応なく感じさせる。


20分、2本の塔に向かって続く真っすぐな田舎道を歩いていると、突然、全身の皮膚が撫でられるような感覚を得る。


この感覚は、多分、能力者同士が近づくと互いに気づいてしまう類のヤツだと悟る。おそらく、今まで何人もの能力者に会っているのにこの感覚を得ていないのは、僕が能力を手に入れてから常に、僕の近くに能力者がいたからだろうと思う。

僕の住んでいるアパートの周りには少なくとも「赤橙色」と「若草色」という二人の能力者がいるし、大学まではたった3駅分の距離しかないから、大学の近くに能力者がいる可能性も大いにある。


しかしここは、僕の住んでいる、能力が与えられた人の多くいる地域とは電車の移動で1時間もかかるほどに遠い。だからこそ、能力者に近づく感覚を得ることが出来たのだろうと思う。


今なら、感覚から能力者のいる方向と距離が分かる。


人一人いない田舎道、細部まではっきりと見えてきた灰色の巨塔の根元あたりを歩くロングスカートの女性が、僕の捉えた能力者で間違いないだろう。相手も僕のことを認識しているようで、僕の方を向いて仁王立ちをしながら、僕が進み続けてきた細い道の延長線上で僕を待ち構えるように足を止める。


僕は、ゆっくりと女性に近づく。

相手の女性が「灰色」を使うためのトリガーが分からないから、僕はあらかじめ「黒」を体の外に出しておきたい。しかし、そのトリガーとなる感情が心に浮かばない。

結局、僕は女性の顔がはっきりと見えるほど近くまで、歩いてきてしまった。


見た目はやや薄い生地で濃紺のロングスカートに、プリーツというのだろうか、規則的に縦向きの折れ目のついた白いシャツ。薄いベージュのカーディガンを羽織った赤いアンダーリム眼鏡の若い女性である。


ぱっと見たところ、おしゃれだ。美しくムラのない灰色の髪は、自分で染めたものではないだろう。

理系大学に通う学生としては、おしゃれな女性と正面から向かい合って話すのは照れる。



「『黒』の能力者、中野と申します。」


「『灰色』の能力者、坂家さかいえです。能力者ということは、ここへは私に会いに来たんですね。」


「ええ。」


敬語で話しかけてみたが、敬語で返されると言葉が続かなくなる。


「『赤橙色』の能力者の依頼で、あなたに会いに来ました。なにやら能力者を集めたいとのことで。」


「なぜ。」


考えてみると、なぜ河俣が能力者を集めようとしているのか知らない。直感だが、心理学者として超心理学に興味があるのではないかと思う。それで、僕らは研究対象になるということである。


「詳しくは聞いていませんが、僕らを研究対象にしたいのではないでしょうか。」


「研究対象になったとして、私に利益はあるのかしら。」


「人目をはばかることなく、能力を使えること…ですかね。」


「私は人目をはばかりません。」


坂家は断言する。僕は仁王立ちする坂家の後ろに聳え立つ2本の巨大な灰色の塔を見上げる。


なんだろう、この説得力は。



_____________________________


「赤橙」#F05000


無限に増殖し、宿主を覆うように結合する群体生物。別世界では瞬間移動の特殊能力として「赤橙のオーラ」はよく知られていた。「赤橙」が発現するトリガーは「思い出」であり、「赤橙」は宿主が想起した思い出の場所へと瞬間移動させる。

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