暗闇
スマホを開くと、僕の登録しているニュースサイトから、2つ通知が来ている。
「【速報 埼珠県】高校生 不審死 「突然、内側から破裂した。」...」
「埼珠県に謎の石塔!? 地元住民「初めて見た。」...」
埼珠県というのは僕の住んでいる県で、日本の首都である東亰県に隣接した大きな県である。
朝早くに僕が見た光り輝く何かは、確かに埼珠県上空にあった。埼珠県、高校生という単語から、朝、僕と一緒に空を見上げていた長身の高校生を連想する。
僕の手に入れた「黒」には、やり方によっては宿主である僕が死んでしまうほどの力がある。
あの高校生が僕と同じような「能力」を手に入れて、それのせいで死んでしまったとしたら。そう考えると指が震えて、スマホの画面を上手く押せない。
焦りと動揺のせいで手元が狂って、高校生の記事の一つ下にあった、石塔の記事を間違って押してしまう。
ニュースサイトが開かれ、表題の下に大きく表示されたトピックの写真が目に入る。
その写真を見た瞬間に、僕は察する。
「灰色。」
これは石塔ではない。山を背景に広がる寂れた村の中で、異彩を放ち聳え立つ巨大な塔は、灰色一色に染まっている。
これは「黒」と同じ、別世界の神的存在なる者から与えられた「色」の一つだろう。現代の技術で、これほどまでに均一な質感をした巨大な建造物を作り上げることは出来ないと、僕は思う。
ニュースをスクロールして読むうちに、僕の知らない場所にも僕と同じ能力を持つ人がいることを確信する。同時に、おそらく「色」によるものだろうと思うが、内側から破裂して不審死した高校生も、僕の知るあの高校生ではないだろうと思いこむ。
18時10分。閉じたままだった遮光カーテンの隙間から漏れる光は暗くなり、暗い部屋の中でスマホをじっと見つめる時間。
そろそろ電気を点けようと思い、部屋の天井に吊るされた円形の蛍光灯から伸びる細いチェーンを手探りで掴む。
「アパートの向かいの借家に住んでおります。堂本と申します。」
低く冷たい声が、何の遮蔽物もない僕の真後ろ、1メートルも離れていないような近距離で聞こえる。
冷静さを装うような口調の中に、狂気の響きが感じられる。口角を上げて、僕の後ろで言葉を発する見知らぬ堂本さんを幻視する。
狂気に対する恐怖で、背筋が凍るような感触を得る。
「黒」
僕の部屋は一切の光の消えた暗闇に変わる。
「僕を覆い、守って。」
部屋に充満していた「黒」が全て僕に張り付くのを感じる。僕が後ろを向くと、元の薄暗闇に戻った部屋の中には誰もいない。
「『黒』ですか。同じ能力者同士、仲良くしましょう。私は『紺』ですので、色の相性も良さそうですね。」
そう言い残して、声は消えた。
履き慣れたスニーカーを素早く履いて部屋の外に出る。光の反射しない黒い人が外を歩いていたら立派な怪異だろうと思い、近所の人をむやみに驚かせないように配慮して、「黒」は体の中にしまう。
廊下に足を踏み出すと金属が軋み、うるさく音を立てるが、僕は意に介さずに階段を下りて向かい側の家に行く。
堂本さんの家の玄関はアパートとは向かい合っておらず、僕は、アパートの目の前の道路と平行に伸びる一本奥の道路まで、一分ほどかけて歩く。日が暮れたばかりなのに外は寒い。
玄関に回り、確かに表札に「堂本」と書いてあることを確認する。家の中からは楽しげな子供と夫婦の声が聞こえる。
会話を盗み聞きすると、夕食の途中に小さな子供がサラダをこぼしてしまったらしい。苦笑いしながら床に落ちるキャベツを拾い上げる父親が「仕方ないな~。玲は。」と子供の名前を呼ぶ。
「さっき聞いた声と違う。」
会話の声はどれも、さっき聞いた声とは似ても似つかない温かい声だ。声質も、さっき聞いたやや低い、ノイズの走るような声とは違う。
「そうですよ。」
また、僕の真後ろから声が聞こえる。自分を騙した相手に対する怒りを、一瞬だけ感じる。
「黒」
「この一帯を覆いつくして。」
僕の体から、膨大な量の「黒」が溢れ出る。18時17分。勢いよく吹き出す黒は一切絶える様子がなく、1分後、僕自身で「黒」を止める。
目の前、左右、上、下。首の向きでしか、自分の向いている方向を認識することが出来ないほどの暗闇の中で、僕は「黒」に話しかける。
「感覚を共有して。」
目の奥に鋭い痛みが走り、僕は意識を失いかける。
「戻っ」
僕は馬鹿だ。「黒」との接続が弱く、一部の感覚しか得られなかったおかげで今、僕は生きているが、思い通りに感覚を共有出来ていたら、多分僕は死んでいた。
「黒」から得られる情報は多すぎて、僕の脳では処理しきれない。黒を戻した後にも、脳が焼き付くような熱い頭痛が消えない。
しかし、欲しい情報は得られた。
「紺」の能力者は、今、僕がいつも利用している日和駅のすぐ近くの駐輪場にいる。
彼は夜の暗闇に紛れる紺色の糸を使って僕の動きを把握し、声を掛けていた。
何も知らされずに真の暗闇に覆い隠されたとき、冷静でいられる人は稀だ。「紺」の能力者は動揺して体のバランスを崩し、駐輪場に留められた自転車のサドルに突っかかって転び、地面に頭をぶつけて気を失っている。
僕は、僕を中心とした日和駅までの半径400メートルの範囲のあらゆる視覚情報を手に入れている。
家に入り込んで自らを覆い包む暗闇に恐怖し、ただ気を失う人、夕食の用意をしている途中にパニックに陥り、持っていた包丁を取り落とす人、自分の腕を切り裂いて冷静さを保とうとする人、泣き叫ぶ子供、衝動的に子供を殴りつける親、自分の目を確認しようとして手を滑らし、指で目を抉る人、壁に何度も自分の頭を叩きつける人、排水溝の穴に足を滑らせ、地面に後頭部をぶつけたサラリーマンと、打ち所悪く衝撃で開いた頭蓋から顔を覗かせる大脳。人を乗せたまま車道に飛び出す自転車、左右から自転車を押しつぶすワゴン車とセダンの乗用車。そして、自らの能力を用いて「黒」に対抗する能力者。色は「赤橙色」と「若草色」。
脳内に綿密に作り上げられたこの町は地獄絵図と化している。僕は堂本さんの家に目を向けることが出来ない。
どうしようもなく心からせり上がる悲しみと、「黒」に対する怒りと、嫌悪感と罪悪感と恍惚と浮遊感と喜びと楽しさと、後悔と謝罪の言葉と気持ち悪さと気持ちよさと、殺意と諦観の中で僕は壊れる。
「黒」
震える声はどんな感情を映しているのだろうか。
「紺」を殺せ
言葉は要らない。僕の感情に従って黒は動く。コウモリの大群のように道に沿って、標的まで飛んでいく「黒」を認識する人は誰もいない。
「黒」は「紺」とその宿主を包み、嬉しそうに、自分の中で行われる惨状を僕と共有する。
無数の穴の開いた腕、頭、「黒」に貪り食われる「紺」、小さく、様々な色の粒子として分解され、飛び散って空気に溶けて消える宿主。
黒は僕の体の中に戻り、僕は感情の発露に疲れて地面へとしゃがみ込む。そしてそのまま、涙と鼻水と涎と憎しみでぐちゃぐちゃになった顔で眠りについた。
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「紺」#002040
無限に増殖し、糸状に結合する群体生物。闇夜と同じ色をした細い糸状を為すため、隠密性に優れる。別世界では、その存在はオカルトの一種として扱われ、実際に存在していると知るものは少なかった。宿主の体から常に一部を飛び出させており、外に出るためのトリガーは必要ない。
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