第4話 妖怪博士。
それからの私は、毎日、妖怪パトロールが続きました。
ある時は、危機一髪なこともあったり、怖い目に遭ったこともありました。
でも、かなり充実して、楽しくてスリル満点の毎日でした。
そんなある日のこと、子供が行方不明になるというニュースが、世間を
賑わせていました。私は、いつものように、テレビでニュースを見ていると、
キャポ爺さんが話しかけてきました。
「どうも気になるのぉ……。一度、パトロールしてきた方がよさそうじゃ」
「えっ、このニュースのこと?」
「警察でも手がかりがないらしい。ひょっとしたら、ひょっとするかも知れん
じゃろ」
「妖怪の仕業ってこと?」
「そうかもしれないってことじゃ。違ったら、それは、それでいい」
そう言われたら、行かないわけにはいきません。妖怪パトロールの一人と
して、ここは、私の出番です。
「わかりました。行ってきます。カパちゃん、行くわよ」
「ケケケ、あっしらの出番でゲスな」
そう言って、鼻息荒く、早速、出発します。
「ちょっと待て。あんまり、調子に乗るなよ。この前みたいに、うまく行くとは限らないんだからな」
「わかってるわよ」
えんまくんに出鼻を挫かれたみたいで、つい言い返してしまいました。
「いいか、何度も言うけど、下手に関わる前に、逃げるんだぞ」
「ハイ、わかってます。行こう、カパちゃん」
わたしは、えんまくんの言葉を最後まで聞かないで、カパちゃんの手を
引いて、地獄城を後にしました。
「最近、えんまくんて、口うるさくなったわよね」
「ケケケ、それは、雪子はんのことが心配だからでゲス」
「そうかしら?」
「そうでゲス。アレでも、えんまくんは、雪子はんのこと、気にしてるんでゲスよ」
「そうは見えないけどなぁ~」
私たちは、そんなことを言いながら現場に向かいました。
確かに、言われてみると、えんまくんは、いつも私を助けてくれます。
危なくなっても、どこからか颯爽と現れて、私を助けてくれました。
呼べば、いつでも、すぐに、やってきて、悪い妖怪をやっつけます。
何だか、ヒーローみたいでした。
「着いたわ。事件が続いてるのは、この辺よ」
「別に、普通でゲス」
見ると、閑静な住宅街でした。高層マンションなどもなく、高級住宅街で
新しい一軒家ばかりです。
しばらくそんな家を見ながら歩いていると、児童公園に着きました。
ファミリー層がたくさん住んでそうな家があるのに、なぜか、子供の姿が
見当たりません。
「おかしいわね。子供がいないわよ」
「そう言えば、子供の声も聞こえないでゲス」
余りにも静か過ぎて、なんか妙な雰囲気でした。
さらに歩いていくと、この地域で一番大きいお屋敷みたいな家に出ました。
「なんか、教会みたいね」
「ここに、人が住んでいるんでゲスか? ドンだけ、金持ちでゲス」
カパちゃんの言うように、ここが家だとしたら、余程のお金持ちなの
でしょう。少しの間、大きな門柱から中を覗いていると、黒塗りの車が
やってきて、前に止まりました。
私たちは、思わず端に避けました。すると、ドアが開いて、中から出てきたのは
偉そうな黒いスーツ姿の年配の男性でした。
すると、家からたくさんの人たちが出てきて門を開けると、その男性は中に
入っていきます。
「お帰りなさいませ、御主人様」
左右に並んだ、男性たちが、一斉に頭を下げて言いました。
「すごい人なんだね。なんて人なんだろう?」
私は、普段は決して見ないような光景を見て、感心仕切りでした。
でも、気がつけば、表札がありませんでした。
その男性は、当たり前のように、家の中に入っていきました。
そのとき、チラッと、私たちの方を向いたような気がしました。
「カパちゃん、行こうか」
私は、そう言って、カパちゃんを促しました。でも、カパちゃんは、なぜか
その場から動きません。
「どうしたの?」
「雪子はん…… 出たでゲス。こりゃ、えらいことでゲス」
「カパちゃん、いったい、なんだって言うの?」
「髑髏魔人でゲス」
「髑髏魔人?」
「こうしちゃ、いられないでゲス。早く帰って、えんまくんに知らせるでゲス」
なんだか、ホントにえらい事になりそうで、私はカパちゃんと地獄城に
急ぎました。
「なんじゃと! 髑髏魔人て、それは、本当なのか?」
「ケケケ、この目で見たでゲス」
「こりゃ、えらい事になったのぉ」
キャポ爺さんが、困ったような顔をしました。
「ねぇ、いったい、なにがどうしたのよ?」
私が質問しても、返事をなかなかしてくれません。
「えんまくん、教えてよ」
仕方がないので、えんまくんにも聞いて見ました。
「そうか、髑髏魔人か…… 相手にとって、不足はないな。でもなぁ、あいつが相手じゃ、俺でも勝てるかどうか」
「ちょっと、そんなに強いの?」
「大王様の最大の敵じゃ。地獄界でも、持て余しているくらい、最強の敵じゃ」
「そんなに強いんじゃ、どうするのよ?」
「やかましい、ちょっと黙ってろ」
えんまくんに怒られて、私は、自分の部屋に行きました。
「まったく、すぐに怒るんだから。えんまくんは、短気よね」
そんなことを独り言のように言っていると、いきなりドアが開きました。
「雪、ちょっと話がある」
私は、ベッドから起きました。
「なによ、真面目な顔して」
「これから、地獄界に行ってくる。その間、雪は、地獄城から絶対に出るな」
「いきなり、なにを言ってるのよ」
「買い物は、カパルにやらせる。だから、お前は、ここから出るな」
「ちゃんと説明してよ。出るなって言っても、そんなの無理だし」
私が食い下がるように、ちょっときつい口調で言いました。
「うるさい。俺が、帰ってくるまで、絶対出るなよ。わかったな」
そう言うと、えんまくんは、ドアを閉めました。
「なによ、いきなり、偉そうに」
私は、ちょっと腹が立ってきました。
「ねぇ、カパちゃんなら、知ってるでしょ。どういうことなの?」
私は、カパちゃんに詰め寄りました。
カパちゃんは、少し考えてから、珍しく思いつめたような顔をして言いました。
「えんまくんは、雪子はんのことが心配なんでゲス」
「それは、なんとなくわかるけど、ここから出るなって言うのは、大袈裟
でしょ」
「イヤイヤ、ちっとも、大袈裟じゃないでゲス」
カパちゃんは、顔を左右に忙しく振りながら言いました。
そして、静かに話し始めました。
「髑髏魔人て言うのは、恐ろしい妖怪なんでゲス。昔、大王様に逆らって、地獄を統一しようとしたんでゲス」
「統一? 閻魔大王にケンカを売ったの?」
私は、驚いて、椅子から転げ落ちました。
「そうでゲス。地獄の鬼たちを配下にして、大王様を倒そうとしたんでゲス」
「それで、どうなったの?」
「もちろん、大王様に勝てるわけがないでゲス。でも、大王様もかなり手こずったんでゲス」
「それで、それで」
「負けた髑髏魔人は、懲役五百年の刑を受けて、地獄の牢屋に閉じ込められたんでゲス」
話が壮大すぎて、私は、言葉が出ません。
「その髑髏魔人が、どうして人間界にいるのか、不思議でゲス」
「もしかして、脱走したとか?」
「ありえないでゲス。アソコから、逃げられるわけがないでゲス」
それでも、カパちゃんは、難しい顔をして考えています。
「地獄に髑髏魔人の手下とか、スパイがいるかもしれないでゲス」
「なるほど。それなら、脱獄とかできるわよね」
私も考え込みました。
「それと、私が、ここから出るなって言うのと、どう関係があるのよ?」
「当然でゲショ。雪子はんの身に万が一のことがあったら、どうするんでゲス」
「でもさ、私がどうして、そんな目に合うのよ?」
「決まってるでゲショ。雪子はんは、妖怪パトロール隊でゲスよ」
「だから、狙われているって言うの?」
カパちゃんは、何度も首を縦に振りました。
「そんな……」
「髑髏魔人のことだから、あっしらのことは、当然知ってるはずでゲス。
仲間に、雪子はんがいることも調べてあるはずでゲス。雪子はんは、人間だから狙われて当然でゲショ」
「そうかもしれないけど……」
私は、そこまで言って怖くなりました。
「それで、えんまくんは、地獄になにしに行ったの?」
「きっと、大王様に髑髏魔人のことを聞きに行ったんでゲス」
「それなら、大王様に、また倒してもらったらいいじゃない」
「大王様は、人間界には、来られないでゲス。地獄を留守にすることは出来ないんでゲス」
私は、また、考え込みました。なにか、髑髏魔人を倒す方法はないか……
「ねぇ、えんまくんは、勝てるの?」
「わからないでゲス。さすがのえんまくんでも、難しいでゲス」
「それじゃ、どうするのよ?」
カパちゃんは、それについて、なにも言いませんでした。
「髑髏魔人に弱点とかないの?」
「ないでゲス」
「なんかあるでしょ」
「ないでゲス」
「それじゃ、勝てないじゃない」
カパちゃんは、本当に困った顔をして頭を抱え込んでしまいました。
「えんまくんが帰ってくるまで、私に出来ることはない?」
「ないでゲス」
「もう、カパちゃんは、そればっかり。いいわよ、一人で考えてみる」
そう言って、部屋に帰りました。
いくら最強の妖怪と言っても、どこかに弱点はあるはずです。
私は、地獄城の中にある、書斎に行きました。そこには、妖怪に関する本が
たくさんありました。とにかく、手当たり次第に本を手にしました。
でも、日本語でも英語でもないので、人間の私には読めません。
「もう、なんて書いてあるのよ」
妖怪文字なのか、全然わかりませんでした。今度は、リビングに戻って、
テレビをつけました。
「ねぇ、妖怪のことを教えて」
私は、テレビに向かって言いました。チャンネルをカチャカチャ変えながら、どこかで妖怪に関する放送がやってないか、探しました。
でも、普通に民放の番組しか映りません。
「もう…… 頼りにならないなぁ~」
私は、カパちゃんともう一度相談しようと思いました。
でも、カパちゃんは、どこにもいませんでした。呼んでも返事もないし、
もしかしたら、買い物に行ったのかもしれません。
「よし、こうなったら、自分で調べてみるわ」
私は、えんまくんには、きつく言われたけど、地獄城を抜け出しました。
まずは、図書館に行って見ました。妖怪についての本は、たくさんありました。
でも、これって、人間が想像で書いたものや小説ばかりで、実際にあった地獄界でのことなど書いてある本は、一冊もありません。
かと言って、誰かに聞くわけにもいきません。どうしようか、考えていると
不意に肩を叩かれました。振り向くと、そこには、あおはるくんがいたのです。
「久しぶりだな、雪子」
「あおはるくん!」
「どうした、そんな顔して?」
あおはるくんは、いまや、ゲームの世界では、知らない人はいないくらい有名になっていました。
「あおはるくん、助けて」
「どうした? なにがあった」
私は、泣きそうでした。頼れるのは、えんまくんの幼なじみのあおはるくん
しかいません。
あおはるくんに会えたことで、私は、思わず抱きついていました。
「なにがあった。えんまは、どうしたんだ?」
私は、あおはるくんの顔を見て、安心して涙が自然と溢れてきました。
あおはるくんは、外に私を連れ出し、ベンチに座らせました。
私は、少し落ち着くと、涙を吹いて、あおはるくんに向き直って、髑髏魔人の
ことを話しました。
「髑髏魔人か…… そりゃ、強敵過ぎるな」
「なんとかならない。髑髏魔人に弱点とかないの?」
「俺の知ってる限りじゃ、ないな。悪いが、えんまでも勝てない」
「そんな……」
あおはるくんも淋しそうな顔をしました。
「それじゃ、これからどうなるの?」
「さぁ、俺にはわからん。髑髏魔人にでも聞いてみるんだな」
「そうか、聞いてみればいいんだ」
私は、そう言うと、立ち上がりました。
「おいおい、冗談だぜ。行っても相手にしてくれないし、場合によったら、
お前、死ぬぞ」
「でも、じっとしてられないもの。私だって、妖怪パトロール隊よ」
すると、あおはるくんは、短い頭をガリガリかくと、バッグからメモ用紙を
出して、なにか書きました。
「ほらよ。ここに行ってみな」
渡されたメモを見て、私は、あおはるくんに尋ねました。
「そこに、妖怪博士がいる。地獄界で、唯一、人間界で暮らすことを許可された奴だ。もう、二千年くらい人間界にいるんだ」
「二、二千年!」
話が非常識すぎて、ついていけません。でも、これは、手かがりになります。
「ありがとう、あおはるくん。私、行ってみる」
「言っとくけど、すっげぇ顔してるからな。腰抜かすなよ。それと、手土産に
鮎を持ってけ。好物らしいぞ」
「わかった。ありがとね」
私は、あおはるくんの手を取って、強く握って、何度も頭を下げました。
「雪子、がんばれよ。えんまを頼む」
「うん、任せて」
私は、図書館を出ると、走り出しました。
メモの住所をスマホで調べながら、目的地に行きました。
そこは、東京の奥多摩の、そのまた奥の山の中でした。
歩道などもなく、獣道のようなところでした。生え茂る木や草を分けながら、
ひたすら歩きました。
何しろ、ミニスカの着物でゲタなので、歩くのも大変です。
手には、お土産に駅前で買った、釣ったばかりの鮎をぶら下げています。
「もっと、先に行くの……」
歩いても、歩いても、目印の井戸は見えてきません。だいたい、こんなところに、井戸なんてあるのか?
剥き出しの足も擦り傷だらけで、血がにじんでいます。
「バンソーコー持ってくればよかった」
私は、かなり後悔しました。でも、ここまできたのに、引き返すわけには
いきません。
そろそろ暗くなってきたし、森と林に囲まれているので、夜になったら、
前も見えません。
早く井戸を探さなきゃ…… 私は、気持ちばかりが先走っていました。
それでも、あっという間に、真っ暗になってしまいました。外灯もないので、自分の足元も見えません。
「どうしよう…… このままじゃ、遭難しちゃう」
私は、急に心細くなって、足が止まってしまいました。
「もうダメだ……」
私は、その場にへたり込みました。
「あぁ~ん、もう、妖怪博士は、どこにいるのよ。妖怪博士ーっ、どこに
いるの~、いたら返事してぇ」
私は、大きな声で妖怪博士を呼びました。
「妖怪博士、出てきてぇ~」
私は、泣きたくなりました。こんなことなら、やっぱり、来なきゃよかった。
かと言って、こんなに暗いんじゃ、帰ることも出来ません。
聞いたことがない鳥の鳴き声や、虫なのか、コウモリなのか、見えない中で
飛んでいて私は、頭を抱えて蹲りました。このまま、こんなとこで、死んじゃうのかな……
私は、そんなことを思いました。えんまくんも助けに来てくれないし、
カパちゃんも来てくれない。
やっぱり、私は、普通の人間だから、結局、何も出来ない無力の存在なのか。
妖怪パトロールなんて言っても、何の役にも立たない非力な人間なんです。
「わしを呼んだのは、お前さんかい?」
暗闇の中から、人の声がしました。私は、ハッとして、顔を上げました。
「妖怪博士ですか?」
「わしに何の用じゃ」
「お願いします。教えて下さい」
「なにを?」
「髑髏魔人を倒す方法です」
「なに!」
小さく呟くと、それっきり、また静寂が襲ってきました。
「妖怪博士、どこですか? どこにいるんですか? お願いします。髑髏魔人を倒す方法を教えて下さい」
私は、もう一度、言いました。すると、目の前の草がざわざわと揺れて、
誰かが現れました。
「人間に会うのは、久しぶりじゃな。百年ぶりくらいかのぉ……」
私は、ゆっくり顔を上げて、目の前にいる物体を見ました。
でも、回りが真っ暗なので、顔がよく見えませんでした。ただ、臭いニオイ
だけが、鼻をつきました。
「人間、そのまま、わしについてこい。ここじゃ、話にならんじゃろ」
「妖怪博士ですか? どこにいるんですか」
「わしは、お前の目の前におる」
そう言うと、目の前が、ポッと明るくなりました。
その明かりの向こうに見えたのは、世にも不気味な顔をした妖怪でした。
「ヒィッ!」
私は、悲鳴を上げそうになって、手で口を押さえました。
「なにをしとる。そんなとこにおっては、話も出来ん。こっちにこい」
私は、腰が抜けて立つこともできませんでした。今日まで、いろんな妖怪を
この目で見ました。
恐ろしい妖怪、怖い顔をした妖怪、見るに絶えないような妖怪たち。
でも、その中でも、妖怪博士の顔は、とても直視できません。
崩れていたのです。
「まったく、最近の人間は、だらしがないの」
そう言うと、妖怪博士が私に近寄ってきました。吐きそうなくらいの体臭が
私の鼻を襲います。妖怪博士らしい手が私の腕を掴みました。
その感触は、ヌルッとして、気持ちが悪いとしか思えません。
それでも、私は、妖怪博士に体を支えられて、震える足で歩きました。
連れて行かれたのは、小さな洞窟でした。その洞窟の前に、目印の井戸が
ありました。
妖怪博士は、ろうそくの明かりをつけると、洞窟内が明るくなって、やっと目が見えるようになりました。
でも、私は、妖怪博士の顔を見ることが出来ません。見たら、絶対、吐くと
思ったからです。妖怪博士は、焚き木に火をつけました。
狭い洞窟の中が、少し暖かくなりました。
しかし、その中が明るくなると、不気味な妖怪博士の顔が見えてしまいました。
「人間、さっき、髑髏魔人がどうとか言ってたな」
「ハイ、髑髏魔人を倒す方法を教えて下さい」
「なぜじゃ?」
「えんまくんを助けたいんです」
「えんま? 閻魔大王のことか」
「大王様の甥っ子の、えんまくんのことです」
「ほほぉ…… あのえんまか。なぜ、お前が知ってる」
「私は、えんまくんの仲間です。妖怪パトロール隊の一人です」
そこまで早口で言って、つい、前を向いてしまいました。
そこに、妖怪博士の顔が目に入って、思わずウッと何かがこみ上げてきました。
口を押さえて、必死に我慢します。
「妖怪パトロール隊じゃと。そんなこと、また、やっとるのか。大王も、好き
じゃな」
私は、妖怪博士の顔を見ないように、横を向いて話しました。
「あの、妖怪博士は、ご存知なんですか?」
「わしと大王は、生まれたときからずっと知っとる。それで、他に仲間は?」
「カッパの妖怪のカパルとキャポ爺さんです」
「なに? キャポーじゃと。あやつ、まだ、生きとるのか」
そう言うと、声にならない、動物のような声で笑いました。
その声を聞くだけで、嗚咽がこみ上げます。
「キャポーにえんまか。大王でも手を焼いた髑髏魔人を倒すなどと、また、無謀なことをするのぉ」
妖怪博士は、独り言のようにぶつぶつ言い始めました。
私は、なるべく顔を見ないように後ろを向いています。
そして、持ってきた、鮎を後ろを向いたまま、差し出しました。
「あの、これ…… どうぞ」
「わしに? よいのか」
「ど、どうぞ、召し上がって下さい」
「すまんのぉ。鮎は、大好物でな」
そう言うと、妖怪博士は、鮎をムシャムシャと、その場で食べ始めました。
しかも、生です。焼くとか、煮るとかじゃなくて、そのまま食べたのです。
「うまかった。馳走になったな。お礼に、いいものをやろう。ちょっと待っとれ」
妖怪博士は、井戸に向かって歩き出しました。
私は、下を向いていると、妖怪博士の足が見えました。
でも、それは、足というより、ナメクジかカタツムリみたいに地面を張っているという感じで、足には見えません。
歩くというか、這っている妖怪博士のあとは、銀色のヌルッとした物が地面に
光っていました。
そして、井戸の中に消えていきました。後を追おうにも、これ以上、不気味なものを見てはいけないと思って、じっと待つことにしました。
しばらくすると、井戸の中から、妖怪博士が出てきました。
「ほれ、これを持って行け。それがあれば、勝てるかもしれん」
「あの、これは?」
渡されたものは、透明のガラス玉でした。なにか、占いに使うものみたいな、何の変哲もないガラス玉です。
「人間にはわからんが、えんまなら、使えるじゃろ」
「ありがとうございました」
「構わん。鮎のお礼じゃよ」
「ハイ、それじゃ、これで失礼します」
私は、一刻も早く帰らなければなりません。これをえんまくんに渡さないと……
でも、足が傷だらけで、痛くて立つこともできませんでした。
「その傷では、今夜は無理じゃ。それに、こんなに暗い中を、一人で歩けるわけがない。今夜は、ここに泊まって、明るくなってから、帰るのがよかろう」
確かにその通りかもしれません。でも、妖怪博士と一夜を共にする方が、
イヤでした。
「大丈夫です。帰れます」
私は、足に力を入れて立ち上がります。
でも、すぐに座り込んでしまいました。
「ふぉふぉふぉ、無理するでない。今夜一晩、ゆっくり休みなさい」
「で、でも……」
「わしのことなら、気にするな」
そう言って、私に水をくれました。
「心配するな。その水は、そこの沢から汲んできたものじゃ」
そう言われて、私は、それを一気に飲み干しました。喉に流れる冷たい水が、とてもおいしくて、喉が潤いました。すごく生き返ったような感じがしました。
「足を出せ」
「えっ?」
「薬を塗ってやる。わしの薬なら、一晩できれいに治るはずじゃ。明日は、
カラスに麓まで送らせてやる」
妖怪博士の薬なんて、怖くて足に塗ることは、絶対無理です。
そんな怪しげなものは、絶対に信用できません。私は、硬く足を閉じていました。でも、妖怪博士は、私の足を掴むと、大きく開かせました。
「あの、ちょっと……」
足を閉じようにも、傷だらけで力が入りません。それよりも、ミニスカ着物の裾から、パンツが見えそうで足を開くなんて、嫁入り前の娘だけに、それだけは出来ません。
なのに、妖怪博士は、緑色のクリームみたいなものを私の足に塗り始めます。
「これは、わしが作った、自然の薬草じゃ。万能じゃから、何でも効くぞ」
「イヤ、あの、その……」
私の足が、緑の薬草で、緑っぽくなりました。自分の足が緑色になるのを
目にして言葉もありません。
「ほれ、これで、もう大丈夫じゃ。しかし、えんまも人間の女に惚れるとは、
ませたガキじゃな」
妖怪博士は、また、不気味な声で笑いました。
「寒くないか?」
「ハイ、大丈夫です」
「だったら、朝まで寝ろ」
「ハ、ハイ、おやすみなさい」
私は、そう言って、洞窟の壁に寄りかかって目を閉じました。
でも、ホントに寝たわけではありません。もし、寝ているときに、妖怪博士に
なにかされたらと思うと安心して寝られませんでした。
寝たふりをしているだけです。
「昔々、そのまた、ずっと昔のことじゃ。髑髏魔人は、地獄の鬼どもを騙して、大王を倒して地獄を自分のものにしようとしたことがある。閻魔大王に代わって、地獄を乗っ取ろうとしたんじゃな」
妖怪博士が話し始めました。私は、子守唄のように思いながら聞いていました。
「あの時の争いは、地獄のすべての妖怪どもを巻き込んで、まさに大戦争じゃった。大王もかなり苦戦してな、やっとのことで、髑髏魔人を封じ込めた。
その髑髏魔人が、人間界にいるというのは、信じられん。だが、それが事実だとすれば、人間界はもちろんじゃが、地獄界にとっても、大事なんじゃ。
だから、えんまは、なにが何でも、勝たねばならん」
私は、寝たふりをしたまま聞いていました。
「しかし、大王でも手こずった相手じゃ。えんまの力でも、倒すのは難しいじゃろ。よくて、引き分けじゃな」
それじゃダメなんです。えんまくんが勝たなきゃダメなんです。
私は、思わず言いそうになりました。
「勝ったとしても、えんまもただではすまんじゃろ。お前さんも、それを覚悟
して、えんまを助けてやれ」
私は、心がホッとしてきました。妖怪博士も、実は、えんまくんのことを
心配していることがわかったからです。
「妖怪パトロールとか言ったな。わしがやってた頃は、江戸時代じゃったのぉ。それから、三百年以上たって今度は、大王の甥のえんまが、妖怪パトロールとは、これもなにかの縁かもしれんの」
妖怪パトロール隊の最初は、妖怪博士、本人だったの?
そんなこと、聞いてないけど……
「おっと、独り言ですまんの。年寄りは、独り言が出てしまうんじゃ。起こしてしまったかな?」
私は、それでも、寝たふりをしていました。なんか、いい話というか、昔話を聞いてしまって
妖怪博士のことを信用する気になりました。
安心すると、なぜか、眠くなって、いつの間にかそのまま寝てしまいました。
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