面影
「これ、なんて言うアニメなの?」
彼女が指す作品は私の口からは発し難い名前であった。
「いやー、見ないんだったら名前なんて関係ないんじゃない?」
「いや、試しに見てみるよ」
そう言われた時、心臓に一抹の棘が刺さった。
「止めとこうよ!もっと君に合った作品が沢山ある。そうだなぁ・・・」
私がそう考えている間に、彼女は作品概要を閲覧していた。
「「妹さえいればいい」?」
背中に粘り気のある汗が流れた。同い年の女子に余りにも激しい名前の作品を視聴していることがバレたからである。
「いやぁ、まぁ、ね、作家の苦悩を描いた素晴らしい作品なんだよ」
「初っ端全裸の女と、パンツ食ってる兄貴の話が?」
「そこだけ切り取ったらね!先が、先があるんだ!」
「そっか、じゃあこれ観ようかなぁ」
「え、本当に⁉︎それ結構刺激強いけど?」
「でも、視聴履歴に入ってるってことは面白いんでしょ?」
「うん・・・」
「何が駄目なん?」
「その、そう言う作品が好きだって知られるのが恥ずかしい・・・特に作品の内容まで知られると」
「はぁ…」
「で、でも、本当に素晴らしい作品何だ。好きすぎ
て原作小説を買うくらいには」
「へぇ、小説ってアニメになるんだぁ。マンガとかがなるのは知ってたけど、アニメが原作?少ないの?」
「少ないね、基本アニメは原作があるよ。まあ、小説って言うかラノベが多いけど。森見登美彦の「四畳半神話体系」とか「氷菓」とか「新世界より」とかは小説が原作だけど」
「へぇ」
やばい、オタクの悪い癖で長々と早口で喋り過ぎた。
「物知りなんだね」
「そうかなぁ?」
「うん、私の知らないことばかり」
「僕はただ、」
そこで何といえば良いのか、わからなかった。
「ん?」
不思議そうに僕の顔を伺う彼女に、飾らない言葉を届けた。
「君と、触れてきた世界が違うだけだよ。僕の知らない世界を君は沢山知っている。そっちの方が、僕は羨ましい」
「羨ましい事なんてないよ、私はただ早く人生を終えたいだけ。毎日が暇潰しだよ」
そう言う彼女の瞳は、芯から詰まらなさそうにタブレットの画面上を泳いでいた。彼女は、普段こういう一面を他の友人に見せているのだろうか?アンニュイなそんな一面を。もし、僕だけが知っているのだとしたら何て光栄なことだろう。嬉しくて小躍りしそうだ。でも、きっとこの空間がそうさせているのだ、僕と彼女以外誰もいないこの家で、普段は顔も合わせない僕と彼女だからこそ。
「それは、勿体無いね。僕は時間が足りないくらいだよ」
「へぇ、何に時間を使うの?」
「読書かな、読んでない本がこの世には沢山有る。と言うか、家の書斎に有る。」
「そう、エッチなアニメじゃなくて?」
「エッチなものばかりじゃない!…でも、アニメも見てないのが沢山ある」
「そう。私の方こそ、そんなことが言えて羨ましいよ」
彼女はそう言うと、一つの作品を僕に提示した。
「この、化物語?ってどう?」
「それはね...」
僕は、出会いの奇跡に感謝しながら。
「猫物語黒、から観るのがオススメだよ!」
「はぁ、」
彼女の何処か興味なさそうな視線が、帰る頃にはギラギラ、モヤモヤした目つきに変わることを未だ知らない。まあ、そうなると良いなぁ。
それは、僕がテスト勉強を始め、彼女がアニメ視聴してから3時間後と経たなぬ頃のこと
「ねえ、」
「うん?」
「見終わったけど次何見れば良い?」
「何って、別作品?」
「違う、続編!」
「あゝ、化物語だよ。さっき開いてたやつ」
「そう、」
彼女は短く答えると、夢中になって画面に齧り付いていた。わかるよぉ、面白いよね。特に世界観と西尾維新御大の文章、シャフトのアニメ表現。どれをとっても非の打ち所がない、素晴らしい作品だよね、それは非オタも明日からオタクにする作品だよなぁ。流石名作。
僕はそんなことを考えながら、科目を数学に変えた。テスト範囲は一度なぞったら、少し漬けるのが僕の勉強方法だ。意外とわからなかったところも、時間が経つと自分の脳みそが良い感じに噛み砕いてくれる時がある、それもあって僕はテスト期間中一日に四教科は勉強する。あゝ、虚数。何と甘美な響きであろう、厨二心擽ぐる、素晴らしいネーミングセンス。数学者とはきっと、終わらない厨二病患者のことを指すのだろう。でなければ、群論やゼータ関数などと言うものを思いつかないはずだ。(群論やゼータ関数について何もわかっていない、ただ名前を見かけたことがあるだけの阿呆の意見)そんなことを考えてニヤニヤしていると、彼女が不意に口を開いた
「このヘッドホン、音よくね?」
「違いがわかるのか!」
「え、うん」
戸惑う彼女に僕は親切心で、その戸惑いを払拭しようとした。
「このヘッドホンはね、まずノイズキャンセリングがすごく強いのだから、外音に気を取られる事のもない。それに、コードレスなのに音質が良い重低音まで綺麗に聞こえるし、スマホのアプリからイコライザー迄弄れる。それで何と12,000円!お買い得でしょ!」
「え、これそんなに高いの?」
「え、高いかなぁ。良いヘッドホンの中だったら安い方じゃない?りんごの会社のやつだったら3倍はするね」
彼女は、少し寂しそうな顔をして
「そっか、私のやつとは大違いだ。じゃあ大事に使うね」
彼女が見せたその笑顔に僕はとても、胸が苦しくなった。自分の普通を、彼女に押し付けてしまった。それは、結局この場所を彼女にとって落ち着ける居場所ではなくしてしまう行為だ。迂闊だったと後悔し、それでも知って欲しいと言う欲望もあった。彼女に僕の好きを、僕の世界を。
「音無はさぁ、」
「うん?」
ヘッドホンを片耳にはめアニメに戻ろうとする姿勢で彼女は僕の問いかけに耳をかした。
「バックとか化粧品とか買うだろ?」
「そりゃあね、身だしなみだし」
「僕は鞄は一つしか持ってないし、化粧どころかハンドクリームも香水も持ってない」
「マジ?」
信じられない、新生物を観る様な目で僕を見ていた
「でも、ヘッドホンもタブレットもゲームも君より沢山買ってきた。それが、僕の世界にとって大切な物なんだ」
「...」
「君には、それも知って欲しいんだ。僕の生きてる世界、小金持ちに生まれた一人っ子の世界を。だから、君も教えてよ君の見ている世界を」
「私は、」
戸惑いながら、視線を落とす彼女。顔を上げそして
「この話見終わってからでも良い?」
「うん!ごゆっくり!」
僕は、恥ずかしくてトイレで泣いた。
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