広い世界で

紗音。

広い世界で

 私の自我が目覚めたのは、二歳の頃だったと思う。

 たくさんの大きな柵が、私を囲うようにあった。つまり、私は柵の中に存在していたのだ。

 柵の中には、ポツンと四角いものがあるだけだった。その四角い物の中には、また小さな四角いものがあった。その小さな四角には、何かが動いているのだ。

 大人になって、それがテレビだったのだと知ったときは衝撃的だった。この頃の私にとって、テレビが生きているものだと思っていたからだ。


 ガタガタと音を立てながら、柵の外で何かをしている人がいる。私は気になってあーっと声を出すが、振り向きもしなかった。

 その人は柵の中に入る時は、私にご飯を与えるときだけだ。それ以外はずっと柵の外にいるのだ。その人はどこかに居なくなると、また別の人がやってくる。それがずっと繰り返されていた。ただ、連続して同じ人が来ることはなかった。


 私は柵の外にいる人を見る以外は、ずっと小さな四角の動くものを見ていた。

 そんな日々を過ごし続けて、四歳になった頃だ。

 いつものように、小さな四角の動くものを見ている時に柵の外から音が聞こえたのだ。近くを誰かが話しながら通ったのだろう。私は初めて、この場所からその先にも何かがあるのだと知ったのだ。

 外に興味を持った私は、どうにかしてここから出ようと試みた。ここから出るには、柵についている扉から出るしかない。だが、扉は閉められており、開けることができないのだ。

 一度、柵の外にいる人が中に私のご飯を持ってきたときに、柵の外へ出ようとした。だが、外に出ないように押し戻されて扉を閉められてしまっていた。

 何度か外に出ようと頑張ったのだが、出ることはできなかった。


 柵の外に出ることができない私は、徐々に柵の外の世界へ行くことを諦めるようになった。いつものように、小さい四角の動くものをずっと見つめていた。

 この頃の私は、誰かと話をすることや、何かをして遊ぶことを知らなかった。ただただテレビを見て、一日を過ごすことが当たり前だと思っていた。


 私が初めてハイハイや歩き始めたのは、いつのことだったろうか。気づいたら、もうできていたのだ。柵の外にいる人をいつも見ていたので、真似をしてできるようになったのだと思う。


 ある時、私のご飯を持ってきた人が何かあったのか、ご飯を置いて居なくなったのだ。いつもなら、ご飯を食べるまで見ているのだ。食べ終わった途端、お皿を回収して柵から出ていくのだ。

 だが、今日は違ったのだ。お皿を持っていくこともなく、どこかへ行ってしまったのだ。私は不思議そうに柵の方を見ていた。

 その時、気づいたのだ。柵の扉が開いていることに。


 第六感と言うべきなのだろうか。今、ここで柵の外へ出ないとこれからも外へ出ることができない気がしたのだ。

 扉を押して、私はゆっくりと柵の外へ出た。

 初めて柵の外へ出た私は、辺りを見渡しながらゆっくりと歩いたのだ。どこへ行こうかと考えていると、また声が聞こえてきたのだ。

 声のする方へゆっくりと向かうと、透明とうめいの扉があったのだ。その先には緑色の何かがあるのだ。私は透明の扉を押すが、ビクともしないのだ。

 扉だと思っていたが、これは窓ガラスだったのだ。その先は庭で、外から家の中が見えないように植えられた生垣いけがきだったのだ。

 今まで柵の外は見えていなかったので、それが何なのか私は知らなかった。ガラスに手を付けて左右に手を動かすと、カラカラと音がしたのだ。その音はどうやって出したのだろうか。気になった私は先ほどと同じように、左右に手を動かすと、右に手を押した時に扉が開いたのだ。


 そこから私は、外に出たのだ。段差があるとは知らなくて、落ちて生垣に突っ込んでしまった。痛いと言うよりは、不思議な感じだった。生垣に頭を突っ込んでいた私は、目の前に見える葉っぱを触ったり、噛んだりした。

 何かわからないまま、私は家の周りを歩き始めた。ここも柵のように囲いばかりだと思っていたが、途中でさらに外へ出れるところを見つけたのだ。私は裸足はだしのまま玄関を出た。


 そこには、柵の外にいた人のような人達がたくさんいたのだ。柵の外にいた人のように静かに動く人や、音を立てながら歩く人がいるのだ。

 初めての世界に、私は驚きと感動を覚えた。こんなにも世界は広いのだと。

 今まで上は白いカクカクとした世界だったが、ここは青い世界が広がっていた。


 ここからどう歩いて行ったかは覚えていないが、私は外の世界を楽しんでいた。

 どこまでも見渡せる世界、いろんな匂いのする世界、キラキラとした世界。

 そんな世界があるのだと初めて知った私は、とにかく歩いたのだ。


 初めて外の世界に出て、初めてこんなに歩いたのだ。足の裏は痛くなり、お腹が空いて動きたくなくなってしまい、私はその場で座り込んだのだ。

 先ほどまでいた場所とは異なり、あまり人がいないのだ。どうしようかと考えていると、目の前で音がしたのだ。

 ゆっくりと顔を上げると、私と同じくらいの人が私を見て音を立てるのだ。通じないとわかったのかその人は、私の手をつかんでどこかに引っ張るのだ。


 どこかに連れられた私は辺りをキョロキョロとしていた。その人は私に向かって、いろいろと音を立てていた。私はじっと見ているだけだった。

それが私に問いかけているとわかったのは、私があーっと声を発した時に目を大きく見開いた後、音を立てながら目を細めて口を大きく開いたからだ。

 今まで、私が何を発しようと誰も反応しなかったのに、相手は私に話しかけてくることはないと思っていたのだ。だから、自分の声に反応して音を立てるこの人は、私と話そうとしていることがわかったのだ。


 それから、私はその人が連れてきたさらに大きな人からご飯をもらい食べたのだ。その後は大きな人に連れられて、元の柵のある場所へ帰ることになった。


 だが、その日から柵は無くなっていた。そして、柵の外にいた人もいなくなったのだ。

 いつものように、小さな四角い動くものを見ていても、誰も来なくなったのだ。お腹が空いてしまったので、私はまたあの場所を目指して歩いて行ったのだ。


 それから私の居場所は柵のあった場所ではなく、私に話しかけてくれる人達のいる場所が居場所となった。

 いろんな言葉が飛び交うこの場所で、私はたくさんのことを教えてもらった。言葉や食べ物、用の足し方、お風呂に服等、その他諸々もろもろを教えてもらったのだ。

 この人達と関わることで、私は自分が人間であることを知ったのだ。そして、この人たちは異国から移民してきたため、このようにまとまって暮らしているのだと教えてくれた。


 それから私が小学校に入るまで、ずっとここに居たのだった。小学校に入学する直前まで、私はあの策のあった場所に、自分と血のつながる家族と言うものがいることを知らなかったのだ。

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広い世界で 紗音。 @Shaon_Saboh

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