第8話 私はクライヴに見とれ、様々な未来を夢想する

クライヴに見とれた。


「……」


睫毛が長い。

……綺麗な目。


クライヴが口を開いた。


「君は美しいな」


「……っ」


「僕の婚約者が、君ならよかった」


「……お戯れを。私では、家柄が釣り合いません」


「だから僕は、家柄の釣り合う、父上の選んだ醜い娘と婚約することになった」


「……旦那様が選んだ女性です。きっと、聡明な方です」


「君は、カエルに口づけできる?」


「え……?」


突然、話を変えられて私は混乱する。


「僕はカエルに口づけはしない。たとえカエルがとても美しい心の持ち主だとしても……」


クライヴの言葉を聞いて、彼が自分の婚約者をカエルに例えているのだと気づいた。

私は女性をカエルに例えるなんてひどすぎると思った!!

怒りがこみ上げて来た私は、勢いに任せて、クライヴの股間を思いっきり蹴り上げた。


「っ!?」


予想外の攻撃だったようで、無防備に直撃を食らったクライヴは悶絶している。

私は力任せに彼を押しのけて、立ち上がった。


「女性はカエルじゃない!!」


そう叫んで、私は足音荒く部屋を出た。

今から、私に与えられた部屋に戻り、退職願を書こう。


私の雇い主は有能で信用できると思っていたけれど、こんな愚かな息子を育てた男を信じていては痛い目に遭う。

私は自分を奮い立たせて、再就職への思いを強くした……。


この未来はそう、三下り半を突きつけるという結末になりそうだ。

最悪ではないけれど、良くもない。

私はどうしたら、私が望む未来にたどり着けるのだろう。


もし、もしもあの時。

クライヴの言い分に共感して『確かにカエルにキスは出来ない』と思ってしまったら、未来はどうなっていただろうか……?


確かにカエルにキスは出来ない。


「……」


私は、クライヴの言葉に納得してしまった。

クライヴが、婚約者を醜い娘と言い切り、父親の金を使って娼館に通い詰めていると知っているのに、彼の顔を美しいと思った時から、私は……。


……美しい心を持っていても、カエルはカエル。

そして、最低な心を持っていても……。


「……」


クライヴの顔が、近づいてくる。

私は我に返った。

迫ってくるクライヴの唇を避けて、横を向く。


「離れて……っ!!」


「っ!!」


私の大声に、クライヴは身を竦ませた。

その直後、扉をノックする音がした。


「クライヴ様!? どうなさったのですか……!? 失礼致します!!」


扉を開けて入って来たのは、屋敷で働いているメイドだった。

私の叫び声を聞いて、部屋に入って来たようだった。


「クライヴ様。何を……っ」


彼女は私を押し倒しているクライヴを見て、青ざめた。

私と彼女は休憩時間が合えば、互いに愚痴を零し合う間柄で、私がいつもクライヴの愚痴を零していることを知っている。


「誰か、誰か来て……っ!!」


「違う。これは……っ!!」


クライヴが私から離れて、彼女を追いかける。


「……」


一人になった私は、そのままの姿勢で、しばらくぼんやりとしていた。


「っ!!」


そのうちに、我に返る。

乱れた髪を整え、急いでクライヴの部屋を出た。

……自分の身体を両手で抱くようにしながら、足早に廊下を歩く。

すると、先ほど遭遇したメイドがメイド長を連れて走って来た。


「話は聞いたわ。大丈夫?」


メイド長が私を痛ましげな表情で見つめて、言う。


「はい。……あの、大事にしたくはないのです」


「そうね。ええ。……とにかく、少し話しましょう」


そう言って、メイド長はメイドの彼女に視線を向けた。


「あなたは仕事に戻りなさい」


「でも……っ」


「これは、あなたには関係の無いことです。この屋敷で働き続けたいなら、仕事に戻って」


「……っ」


彼女は申し訳なさそうな顔で、私を見た。


「メイド長を呼んでくれてありがとう。あとは、私一人で話せるわ」


私がそう言うと、彼女は小さく頭を下げ、そして足早に去っていった。


「私の部屋でいいですか? ……屋敷の中は、どこも、人目があるので」


そう提案すると、メイド長は肯いた。


……私に与えられた部屋に到着した。

屋敷に住み込んで働く使用人には、それぞれに部屋を与えられる。

メイドや侍従は複数で一つの部屋を与えられることもあるようだが、私は一人で使える個室を与えられていた。

ベッドと最低限の家具があるばかりの狭い部屋だが、ここなら、邪魔が入らずに話が出来る。


「さっき、青い顔をして走って来た彼女と、それを追って来たクライヴ様に会って、少し話を聞いたの」


「……」


「クライヴ様はずいぶん興奮していらっしゃったから、とりあえず、他のメイドを呼んでお茶を飲んでいただいているわ」


「……そうですか」


「それで、何があったの? その、そういう体勢に至るまでの、原因や経緯があれば教えてほしいの」


「……」


「ごめんなさいね。怖い思いをしたのに、こんなことを聞くなんて……。でも、旦那様に報告をしなければならないから……」


「言わなくていいです」


「え?」


「……報告はしなくていいです」


「でも……」


メイド長は言い淀む。

私は『「ここで働き続けたいので」と言う』か『「ここを辞めるので」と言う』か迷いながら口を開く。


「ここで働き続けたいので」


「クライヴ様と顔を合わせられるの?」


「……はい」


私は肯いた。

たぶん、クライヴは私が挑発しなければ、襲うことはないだろう。


「本当に大丈夫なの?」


「はい。……クライヴ様は、ご結婚されますし」


「でも、屋敷には居続けるわよ。何かあったら……」


心配なのは、私ですか?

それとも、クライヴですか?

そう問いかけたくなって、ぐっとこらえる。


「大丈夫です。ご心配をお掛けしました」


「あなたがそう言うのなら、私は何も報告しません」


「ありがとうございます。あの、今日はもう、部屋で休みます」


「今日の仕事はもういいの?」


「はい。旦那様から今日はもう良いと言われて、その後、クライヴ様に呼び出されたので……」


「……そう」


「今日のことは、お忘れください。……私も、そうします」


「本当にそれでいいの?」


「はい」


私は肯いた。

今回のことは、私にも非がある。


「……わかったわ」


不安な顔をして、それでもどこか安堵したように、メイド長が言う。


「ゆっくり休んでね」


「はい」


メイド長に肯くと、彼女は微笑んで、そして私の部屋を出て行った。

……扉が閉まる音を聞いた後、私は自分のベッドに座り込む。


「……っ」


長いため息を吐いた後、じわりと涙が出て来た。

今は、私一人。

だから、泣いても大丈夫……。


「うう。ううう……っ」


私は一人、涙をこぼし続けた……。


……良い未来を夢想していたはずなのに、最悪な結末になってしまった。

私は別の未来を夢想する……。



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