第2話 私は手錠をはめて、恋に似たときめきを感じて否定し、彼女の名前を尋ねる

もしも、あの時、私が少女の言葉に従い『手錠をはめる』という選択をしていたら、未来はどう変わっていただろう……?


そう、きっと、未来はこんな風に変わっていたはずだ……。


私は自分の両手を身体の前にして『手錠をはめた』

静かだった部屋が、さらに静まり返った気がする。


「手錠をはめてくれたのね」


彼女はそう言って、薄布の向こうから姿を現した。


「……っ」


私は、息を呑む。

ほっそりとした身体つきで、触れたら壊れそうな繊細な雰囲気を感じる。

何より、印象深いのは彼女の目だった。


細心の注意を払ってカットされ、磨き上げられた宝石に、意志の光を宿したような目が、真っ直ぐに私を見つめている。


「遠目から見たら、背が高いように思えたけれど、華奢なのね」


「それなりに筋肉はありますよ。たぶん、あなたよりは」


「そう? わたしはあまり運動はしないから、きっと、筋肉はそんなに無いと思うわ」


「……娼館の外に出られないのですか?」


思わず尋ねると、彼女は曖昧に笑った。

……余計なことを言ってしまったようだ。


「すみません。立ち入ったことを聞いてしまって」


「いいの。……籠の中にいることは、わたしが選んだことだから」


「……」


私は、寂しげな彼女を見つめながら二つの感情がわき上がるのを感じていた。

『恋に似たときめき』と『傷つけないように気をつけよう』という思い。


より強い感情は『恋に似たときめき』だと私は感じた。

その直後、私は自分の感情を否定する。


「……っ」


女同士で、恋に似た感情などあるわけがない。

私は、自分にそう言い聞かせる。

雇い主の馬鹿息子を見すぎていて、男性に幻滅しているから、こんな気持ちになったのだろうか。

それとも、目の前にいる彼女があまりにも美しく、寂しげだったからだろうか。


「どうしたの?」


彼女が小首を傾げて、私に尋ねる。


「いや、なんでもない」


「……そう」


そう言った後、彼女は私の顔をじっと見つめる。

美しい目で見つめられていると、自分の顔が赤くなっていくのを感じて、私は彼女から目を逸らした。


「申し訳ないが、じっと見つめるのをやめてもらえるだろうか」


「ごめんなさい。……やっぱり、心がわからないのね」


謝った後、小さな声で彼女が何か呟いたが、私には聞き取れない。

その直後、涼やかな鐘の音が響く。


「……もう、お別れの時間ね」


私に彼女が言った。

私は『彼女の名前を知りたいと思う気持ち』を抑え込み『クライヴに会わないようにと言わなければ』と思う。


口を吐いて出た言葉は彼女の名前を知りたいと請う言葉だった。

私は『彼女の名前を知りたいと思う気持ち』を抑えられなかったのだ。

彼女の名前を知りたい。

きっと、もう会えないだろうから、せめて、名前だけでも知りたい。


「お願いがあるのですか……」


「なあに?」


「あなたの名前を、教えて頂けますか?」


「……リリィよ。わたしの名前はリリィ」


「リリィ。……綺麗な名ですね。よく似合っている」


私がそう言うと、リリィは少し躊躇った後、カーテンの向こう側に姿を消した。

そして、何かを手に戻ってくる。


「このカードを持っていて。受付で見せれば、わたしにまた会える」


「このカードは……?」


問い掛けると、彼女は俺の唇に人差し指をあて、早口で言った。


「すぐにしまって。見つからないようにして」


「……っ」


切羽詰まった声音に、わけもわからず、私はそのカードをしまった。

その直後、扉が開く。


最初に部屋に案内してくれた、案内人が私の手錠を外した。


「お楽しみいただけたでしょうか?」


私は、迷った末に肯いた。

リリィにクライヴに会わないようにと頼みに来たのに、自分が彼女に魅了されただけのように思う。


「……」


彼女は私に言葉を掛けず、彼女は薄布の向こう側に姿を消した。


「……」


私はリリィに心を残しながら、案内人に案内され、娼館の入り口まで歩を進める。


「ありがとうございました。またどうぞ、お越しください」


案内人が私に、深々と頭を下げた。


「……」


私は、再びこの娼館に来て、リリィに会うことができるのだろうか。

ため息を吐き、そして、私は娼館を後にした。


屋敷に戻り、リリィと会い、彼女にクライヴを説得するように依頼したと告げると、クライヴの父親は私をねぎらってくれた。


「ご苦労だったね。今日はもう、帰っていい」


「はい。失礼いたします」


思いがけず、休暇のような時間を得ることになった私は弾む心を押し隠して一礼する。

そして、頬が緩まないように気をつけながら、部屋を出た。


出勤時に使用するようにと、与えられた部屋に向かう途中、名を呼ばれ、私は足を止めた。

……振り返ると、クライヴがいた。

思わず、顔をしかめてしまう。


「君は今日、外出していたようだね。何をしていたの?」


「旦那様に命じられ、用事を済ませておりました。帰宅して良いということなので、もう宜しいですか?」


さっさと話を切り上げたい、という気持ちをにじませながら、それでも、礼を失した物言いはできずに、私は目を伏せた。


「少し、話がある。僕の部屋に行こう」


クライヴが勝手なことを言う。

私は、なんとかクライヴを煙に巻こうと考えた。


「……」


だが、良い言葉が思いつかない。


「さあ。早く行こう」


クライヴに促され、私は彼の後に続いた。


「……」


クライヴの気が変わり、私を解放してくれないかと願いながら、彼の背中を見つめて歩く。

どうやら、クライヴの部屋に向かっているようだ。


ああ。この背中に蹴りを入れて、逃げ去ることが出来たら、どんなに気が晴れることだろう。

だが、そんなことをしたら職を失う。


……クライヴの部屋に着いた。


「……」


クライヴが私に向き直る。

正面から真っ直ぐに見ると、クライヴの顔立ちは整っていて、男の私でも美しいと感じる。

中身を知れば、その感情は霧散するのだが……。


「父上から、何を命じられた?」


クライヴが私に問い掛ける。

今、この部屋には私とクライヴしかいない。


「お答えしかねます」


私は目を伏せ、言った。

クライヴは私の主だが、彼の父親には逆らえない。

このまま、話を終わらせて立ち去ろう。


「用件がそれだけでしたら、私は失礼致します」


「答えるまでは、帰ることは許さない。もちろん、嘘も駄目だ」


クライヴはしつこく食い下がってくる。

嘘も駄目、というが、私の言葉が嘘かどうか、彼にわかるはずもない。

そこまで考えて、私は、ある考えに行きつく。

まさか、クライヴは私が今日、どこに行ったのかもう知っている……?


「……」


クライヴが私の答えを待っている。


***


※『傷つけないように気をつけよう』を選んだ場合は(五話へ)


※『クライヴに会わないようにと言わなければ』を選んだ場合は(五話へ)

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