第3話 後編

 つぐみは先ず、テレビ台になっている本棚を見てみた。漫画雑誌が数冊立ててあり、その横には数体の美少女フィギュアが並んでいる。だが、部屋にほとんど物がないことから「オタク」という訳でもなさそうだった。本棚の上には、未開封のスナック菓子が置いてあった。つぐみの勝手な先入観であるが、無趣味な男性の部屋、という印象を受ける。


 机の上にはテレビのリモコンが置かれているのみで、携帯電話やスマートフォンはなかった。スマートフォンがあれば大抵のことが事足りるので、スマートフォンだけ持って失踪、ということも考えられる。


 コンセントを見ると、挿しっぱなしになっているスマートフォンの充電器があった。自らの意思で失踪した場合、充電器を残したまま、ということはありうるだろうか、とつぐみは自問する。外出用のポータブル充電器で足りるという考えなのかもしれないし、外出用に充電器をもう一つ持っているのかもしれない。室内に財布や鍵、外出用の鞄等が見当たらないことからも、近場まで外出しようと思って出かけたまま帰れなくなったのか、やはり判断はつかない。


 押し入れを覗いてお茶を濁している吉田を尻目に、つぐみはキッチンを調べてみることにした。廊下と一体になっている台所を見ると、シンクは乾いており、床に直接置いてあるゴミ袋の中には即席麺の袋や、空のコンビニ弁当の容器、靴の空き箱が入っていた。最近靴を新調したのだろう。


 ゴミ袋の中からコンビニ弁当の蓋を取り出す。消費期限七月二十八日。今日が八月八日だから、十二日前だ。このタイプのコンビニ弁当の消費期限は大抵当日だから、清水は少なくとも七月二十八日にはこの部屋に居て食事を摂った可能性が高い。他のごみも見てみたが、これより新しい消費期限の付いた弁当の類は見当たらなかった。弁当からこぼれたたれが手に付いたので、ポケットティッシュを取り出してぬぐった。今後はゴム手袋も携帯しよう、と思いながらちらりと横を見ると、大家がこちらを凝視していたことに気づいた。気まずくなったつぐみは彼女の視線に気づいていない振りをして、浴室を再度調べてみることにした。


 脱衣所と廊下を隔てる扉はなく、のれんがかかっている。のれんをくぐるとすぐに洗濯機があり、洗濯機の上には籠が乗っていた。洗濯は数日分まとめて行うのだろう。洗濯籠は洗っていない衣服で満たされている。つぐみは籠からはみ出していたモスグリーンのズボンの裾に植物の種がついているのに気付いた。くさむらを歩くとよく服についくる、黒くて細長い種子だ。子供の頃はこれを「引っ付きむし」とか呼んでいたっけ。清水さんは最近くさむらに入ったのだろうか。これは手掛かりになるかもしれない。洗濯機の中も覗く。ゴミをとるネットを外し、中身を見ると、ネットの中にも固まった埃と混じって黒くて細長い種子が入っていた。


 ゴミ取りネットにも種子が入っていたという事は、清水は種子の付着した衣類を少なくとも一回は洗濯している、つまり、洗濯前と洗濯後の二回は少なくともくさむらのようなところに足を運んだという事実を示していないだろうか。


 つぐみは洗濯籠に入っている服の数を数えた。靴下とパンツが同数で四着。これらは大半の人間が毎日交換するものなので、この洗濯物はおそらく四日分なのだろう。清水が極度のきれい好きで、一日に何度も着替えをしたりしなければ、という条件付きだが。


 種子がついていたモスグリーンのズボンを取り出してよく観察した。ズボンの裾が折り返してある。折り返しの中に、先ほどのくっつくタイプの種子とは異なる種子が入っていた。つぐみはその種を取りだし、携帯しているチャック付きの袋に入れた。彼女は、新米巡査らしい熱意から、鑑識官よろしく証拠品を入れる袋を制服のポケットに常備しているのだ。さらに彼女は「こんなこともあろうかと」木綿の手袋もポケットの中に忍ばせていた。


 証拠品をポケットに収めてから、念のためよくあるほうの細長い種子も、もう一つの袋に入れた。


「お前そんなもん持ち歩いてんのか」

「ひゃっ!」


 集中しているところに突然話しかけられてつぐみは飛び上がった。


「もー、驚かせないでくださいよ!」

「もうそろそろいいだろ」


 ここへきてから十数分経っている。


「そうですね。これ以上大家さんを待たせるのも悪いですしね」


 つぐみは、吉田が調べていた押し入れの中を自分がもう一度調べたいという気持ちがあったものの、さすがにこれ以上はやりすぎなため、大人しく撤収することにした。


 大家に再度施錠してもらうと、二人は清水のアパートを後にした。



 派出所に帰るパトカーの中でつぐみは吉田に自分の発見を語った。


「……という訳で、清水さんはここ数日のうちに頻繁にくさむらに入ることがあったのだと思います。もしかしたら今回もそこに行ったのかもしれません」

「大の大人が何しにくさむらに入るんだよ」


 吉田は面倒くさそうに答えた。


「それは分かりません。清水さんの仕事は缶詰の製造なので、仕事ではないと思います。あ、もしかしたら自然観察や虫取りが趣味なのかもしれません。私の弟もそうですから。夢中になって、つい危険な場所に足を踏み入れてしまって、怪我でもして動けなくなっているのかもしれません」

「そういうのは推理じゃなくて妄想って言うんだ。清水さんの部屋を見た限り、アウトドアな趣味があるようには見えなかったぞ」

「吉田さん、押し入れを調べてましたよね。何か見つかりましたか」

「いや、服とか、冬の暖房器具とか、あとこまごました雑貨だけだったな、入ってたのは」

「リュックサックとか、虫取り網とか、図鑑とかは」

「そういやリュックサックはあったな」


 リュックサック一つでも野外活動はできなくはない。というか、遊歩道を歩くだけでも自然と触れ合うことはできる。重装備は必要ないのだ。清水がライトな自然愛好家である可能性は否定できない。


「清水さんがどのような趣味を持っていたかは分からない、という訳ですね……。でも、清水さんは失踪の直前、普通は人が立ち入らない、くさむらのような場所に入った、という事は確かです。そして手がかりはそれしかないんです。種子を鑑定すればその場所が特定できるかもしれません。鑑識はこういうことはやってくれないんでしょうか?」

「手がかりっつうか、根拠はそれしかないんだろ。そんな種なんて、どっかその辺の公園で付いたのかもしれないじゃねぇか。特殊な場所に行かなくたって引っ付き虫くらい付くことあるだろ。それによ、清水さんは前科持ちだ。普通の人には分からない色んな生きにくさもあるのかも知れねぇ。何考えてるかなんて判らねえよ」


 吉田は聞き分けのない新人に対するいら立ちを隠さず、右手の人差し指をトントンとハンドルに打ち付けていた。


「鑑識なんて呼べねぇよ。そもそも、普通は一般家出人の捜索なんてしねえんだよ。お前の刑事ごっこに付き合っていられるほど警察は暇じゃねえ」


 つぐみには返す言葉がなかった。彼女は不服そうな顔を吉田に見られないように、顔を背けて窓の外を眺めた。

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