第11話

 さすがに壁に手を突っ張って登ってくる者が居る可能性は想定されていなかったらしく、つぐみは二階に辿り着くことができた。階段の左右に部屋があり、どちらも戸が開け放されており中が見えた。左の部屋は、様々な道具と電動工具、木材や金属板などであふれかえっている。この家を改造するのに使ったものだろう。木製の床は塗料や加工の際に生じる粉塵によって、室内とは思えないほど汚れていた。


 右の部屋は畳張りだった。しかし、畳には似合わない大小様々なパソコンの筐体と、何に使うのかもわからない配線むき出しの機械が所せましと転がっている。その中心に、五つのモニターが置かれた、社長室のような大きな机がある。そして、大きな椅子の上には、小さな老婆が座っていた。たくさんのケーブルが、机を中心とした放射状に延びて床の機械類に繋がっており、その中心に鎮座する老婆がこの家の核であることを物語っていた。普通の民家の仮面を被った一階とは対照的に、二階はこの家の素顔のようだ。


 つぐみは老婆に向かって拳銃を構える。


「警察です。両手を挙げて!今すぐこの家の仕掛けを停止しなさい!」


 老婆はかすれた声で笑った。


「手を使わなかったら、しすてむを止めることもできにゃあよ」


 そう言って、手許にあった湯呑の中身をを一口すすった。


「動かないで!両手を挙げなさい」


 つぐみは言い直すよう叫んだ。初めて銃口を人に向けるのだ。緊張でやや動顛している。老婆は、はいはいとうなずいて両手を挙げた。つぐみは一度深呼吸してから続けた。


「階段の下でもう一人の警官が穴に落とされました。今意識がないみたいなの。早く穴の蓋を開けなさい。このまま彼が死ねばあなたは殺人の罪になります」

「知っとるよ。全部カメラとマイクで見とったで」


 つぐみ達の様子は監視されていたようだ。トラップに翻弄されるつぐみ達を見て、彼女はこの部屋で一人笑っていたのかもしれない。


「蓋をあけるのは無理じゃ言ったらどうなりますかな?」

「もう一度警告します。穴の蓋を開けて警官を開放し、この家の仕掛けをすべて停止しなさい!」


 老婆の答えは再び否であった。人は、銃口を向けられてこんなに堂々としていられるものなのだろうか。


「二度忠告しました。従わないなら、そのまま立ちあがって、机の前に立ちなさい」


 この指示には老婆はおとなしく従った。


「傷害罪容疑で逮捕します」


 実際は傷害罪の他に、公務執行妨害、電波法違反、罪状のオンパレードである。つぐみは老婆の両腕を後ろにとって手錠を掛けた。老婆は、「こんなか弱い老人、手錠なんぞかけにゃあでも何にも出来ませんよ」と言って笑う。


 つぐみは老婆をその場に座らせて、コンセントにつながっているコードを片っ端から抜いていった。ブツン、ブツン、とモニターが一つづつ暗くなっていく。どのコードが何なのかは分からないが、すべての機器を止めてしまえば、この家の仕掛けは停止するはずだ。


「ご苦労なこったねぇ」


 その様子を見ている老婆がにやにやと笑う。これは、機器を止めてもトラップは止まらないという自信の表れか。それとも単なるハッタリか。


「あんたが一生懸命やっとるのを眺めてても暇じゃからね、わしがどーして家ぇこんな風にしたか、教えてやるずら」

「それは署で詳しく話してもらうわ」


 つぐみの答えは老婆に完全に無視された。


「あんた、一階の解体室を見ただら?」


 つぐみは老婆を無視するつもりだったが、「解体室」という聞きなれない単語に、思わずそちらを振り返った。


「あれは人間の血だよ」老婆はひひひ、と笑って続ける。


「人間の生き血は、若返りの薬になるんじゃよ。あんたが見た血の汚れはね、あんたが探しとった男のもんだよ」


 コードを引き抜く手が思わず止まる。


「ほいだで、わししゃね、あのお巡りが死んでも死なんでも殺人罪だよ」


 老婆は聞いてもいないのに彼女の驚くべき犯行を暴露し始めた。


「若い人の血肉が、不老長寿の薬になるっていう話はあんたも知っとるら?昔から人の頭の骨はあらゆる疾病に対する万能薬っていわれとってね、戦時下では死者の頭蓋骨を盗む者もいただよ。それから、中世ヨーロッパでは人間の血が若さを保つのに使えると信じられとった。ああ、なんちゅう名前じゃったか、えりざべーと・婆さん?とかゆう貴族の女も、若さを保つために若者の血を浴びたそうじゃよ。楊貴妃もね、若さを保つために人の胎盤を乾燥させたもんを漢方薬として飲んどったんじゃとか。

 ひひひ。それからね、人肉への信仰は、過去だけの話でもないんじゃ。2010年代に入ってからも中国で人間を材料としたかぷせるを販売していた者が逮捕されとる。見つかってないだけで、他にもやっとる奴がどこかにいるじゃろ。不老不死へのあこがれと、人肉の持つ魔力っちゅうやつはね、現代でも変わらんのじゃよ。むしろ、現代の方が、この『秘薬』への需要が高まっとるのかもしれんの。世の中はわしらのような死にそうな老人であふれかえっておるわ」


 総てのモニターが暗転した。つぐみはスマートフォンを確認したが、依然圏外のままである。どうやら妨害電波はパソコンとは独立したシステムのようだ。


「ブレーカーの場所を教えなさい」

「さあ、忘れちゃったねぇ、わしも年だから、最近物忘れがひどくて」


 老婆はあくまでも白を切る。つぐみはブレーカを探し始めた。この部屋の中にはなさそうだ。部屋には入ってきたのとは異なる扉があった。扉の先にトラップが仕掛けられている可能性もある。先に工具室のようなもう一つの部屋から確認することにした。老婆は話を続ける。


「そういう事でな、年を取るってのは嫌なことだで、わしらも若いモンの生き血を吸って若返りたいと思ったんじゃよ。でも、大陸産の何が入ってるか分からんもんを飲むのも嫌じゃし、自分らで調達することにしたんじゃ。安心安全の純国産じゃ。

 わしらのような非力な老人が、元気な若者をばれないように殺すにはどうしたらいいか、わしは爺さんと一緒に考えた。そして泥棒を狙って殺すことにしたんじゃ。ひひひ、名案だら?泥棒は、自分も犯罪者だっちゅう意識があるで、人目を避けて行動してくれるんじゃ。その上泥棒が居なくなっても心配して交番に届ける奴は少ない。これまでの奴らは居なくなっても捜索願すら出してもらえなかったんじゃにゃぁかね。わしがおとがめなしでやってこれたのはそういう事だで。

 そんな泥棒もウチに入ってくれなきゃ、捕ますことも出来ん。そいだで、わしの家は泥棒が入りたくなるような工夫をしておる。犬を飼わないとか、戸締りをしないとか、そんなことじゃ。のこのこ誘われてきた泥棒が、どうなるのかは、お前さんも体験した通りじゃ」

「おばあちゃん一人で全部やったの?」


 つぐみはブレーカーを探しながら聞き返した。もう一つの部屋にはブレーカはなかったので、老婆が居た部屋の扉を開けることにする。


「うんにゃ。この家はわしの仲間たちみんなで作り上げたんじゃ。もちろん全員年寄じゃがね。わしはえんじにあじゃ。とらっぷの設計とそれを動かすそふとうぇあを作っておる。この家に住んでめんてなんすもしとるな。実際の仕掛けを作ったのはわしの爺さんじゃ。もう墓に入ったが。ほかにも、とらっぷに使う毒物を用意するもん、死体の加工をするもん、作った薬品を売るもんが居るで。

 とらえた獲物は色んな形に加工して秘薬として売るんじゃ。血を乾燥させたもの、骨を粉末にしたもの、各種臓器の干物。色々じゃ。使い方もな、不調を抱えている部位を食べたり、皮膚に塗ったりと色々じゃな。

 流通の方は担当のもんが上手くやってくれとる。わしらの品はあやしい海外製品とは違って、厚い信頼を受けとるよ。そうでなくとも、国内で人肉を売っとるのはわしらだけだに。かるてるじゃな」

「おばあちゃんは、それが不老長寿の薬だって本当に信じてるの?」


 つぐみはそう訊きながら物置に入った。扉の向こうは薄暗い。物置のようだがかなり広かった。暗闇のなかにもいくつかの機械が置かれ、ⅬEDランプが点灯している。つぐみはそっと物置に足を下ろした。入ってすぐの壁に、照明のものと思われるスイッチがあった。窓に分厚いカーテンが掛かっているため、室内は薄暗くて見づらいが、スイッチを入れると何が起きるか分からない。つぐみは暗がりで目を凝らした。少しして目が慣れてくると、壁に白いプラスチックの箱にたくさんのスイッチが並ぶ分電盤があるのが分かった。

 ついに見つけた。

 つぐみは、ゆっくりと手を伸ばしてブレーカーのスイッチを下げた。

 ブーン、という、モーターが徐々に回転数を落とすような音がした。物置にあった機器のⅬEDランプが総て消えて、室内の暗さが増した。


――ついにトラップは完全に停止した。




 倉庫から出ると、部屋の中央で先ほどまで座っていた老婆が倒れていた。


「おばあちゃん!」


 つぐみは慌てて老婆を抱え起こす。老婆の顔面は真っ青になって、小刻みに震えている。毒だ、と思った。つぐみが部屋に入って、最初に老婆が湯呑に口を付けた時。あの時毒を飲んだのに違いない。老婆がごぼごぼと苦し気な音を立てた。つぐみは老婆が咳をしているのかと思ったが、これは笑い声だった。


「……信じとる訳ないじゃろ」


 老婆はか細い声で言った。何かと思ったが、これは先ほどのつぐみの質問に対する返答だ。


「本当にそんな効力があったら、爺さんは死んでないじゃろ。まあ、爺さんは自身は秘薬の効果を信じとった。最初に言い出したのは爺さんだで。わしはな、爺さんとは違って、殺人のすりるっちゅうんかな。それを楽しみにしていただよ。わしらの仲間うちには本当にご利益があると考えてるもんが多いし、実際わしらの仲間はみな長生きじゃ。じゃがな、若さの秘訣は、人肉を原料とする秘薬ではなく、殺しやら、違法な秘薬を摂取する行為それ自体じゃよ。そのすりるが、わしらを活気づかせるんじゃ……」


 老婆は、そこまで言って薄く開いていた目を閉じた。死んだのかと思ったが、紫色の唇がまだ動いた。


「……刑務所なんか入ったら終わりじゃよ。どっちにしろ死ぬんじゃ。……ほいだで、ここで逝かせてもらうでね……」

「おばあちゃん!」


 ついに呼びかけてもゆすぶっても彼女は無反応になった。

 老婆は完全にこと切れたようだった。

 自分の腕の中で人が死んだ――。



 その時、まだ通報していないのに、サイレンの音が遠くから響いてきた。スマートフォンを確認すると、電波が回復している。徐々に音量を増していくサイレンが響き渡る室内で、つぐみは老婆の死体を抱えてしばし呆然とした。

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