第7話

 翌日、つぐみは当直の日だった。交番勤務のつぐみも、まずは警察署へ行って全体での朝礼を行う。警察署の前庭に出ると、空は雲一つない快晴だ。きっとクサヨシの探索には良い天気だろう。欲を言えば、あまりに暑すぎるので、もうすこし曇っていて欲しかった。朝礼を終えたら、翌日の朝九時まで交番勤務となる。当直とは、要は夜勤である。


 業務をこなしながらも、空き時で虫処メンバーからのメッセージを確認する。緊張感のある警察の仕事とは対照的に、チャット上では大学生らしくのんきな会話が交わされている。

 和気あいあいとしつつもつぐみの少年探偵団は優秀なようで、タイムラインには大量の植物とその周辺の写真が次々に流れていく。



森@登呂五丁目:普通に生えてたー。これですよね<写真>

牧之原@文献班:YES

つぐみ    :ありがとう!

        周りの景色も撮影してもらえる?

森@登呂五丁目:了解です

菊川優@平沢 :これクサヨシ?

        <写真>

牧之原@文献班:YES

菊川優@平沢 :牧之原先輩YESっていうボットか?

牧之原@文献班:YES

菊川優@平沢 :大丈夫か?ww

長泉@文献班 :私も見てるんで大丈夫ですよ~

伊東@観山  :カミツキガメーー!

        <写真>

森@登呂五丁目:でっけえ!

下田@幸庵新田:こんな普通に出てくるのか。かっこいいけど、外来種。

        悲しいなぁ。

菊川優@平沢 :麻幾あさはた遊水地から来たのか?

        いいなー。俺もそっち行きたい!

つぐみ    :クサヨシ探すのが先だ!

菊川優@平沢 :分かってるよ。

        伊東、カミツキガメ捕まえといて!


 前言撤回。クサヨシ捜索隊のタイムラインはいつの間にかカミツキガメの話題に侵食されていた。

 

 何度かカミツキガメに話題をさらわれながらも、その日の午後三時過ぎにはある程度の写真が集まった。仕事の合間に、つぐみは昆虫愛好会のメンバーが撮ってきた大量の写真をダウンロードし、場所ごとに名前を変更してきちんと分類してゆく。この几帳面さは、弟の優に似ている。


 分類し、ナンバリングした画像がある程度溜まったところで、それをモニターの全画面に表示させて一枚目から順に見ていく。何か手がかりが得られないだろうかと、フォルダ内を何週も回り――そしてため息を吐いた。クサヨシが意外と広範囲にわたって自生していることが分かったからである。「たんけんてちょう」に載っていた総ての場所に、クサヨシらしい植物が生えていたのだ。生えている場所が限定されている特殊な植物ならば、それが手がかりになるだろうと思ったのに、どうやらあてが外れたようだ。


 それにしても――とつぐみは思った――どうして清水さんはこんな場所に足を運んだのだろう。

 

 清水さんのアパートは、つぐみのいる駅前交番が管轄している葵区にあり、静岡駅から二キロほどの場所だ。一方、クサヨシが撮影された場所はすべて駅から遠く、散歩に行ったとは考えにくかった。それに、クサヨシが生えていたのは湿地で、ほとんどが流れのゆるやかな川や池の付近だ。八月という季節柄、クサヨシ以外にも色々な草が青々と茂っている。見る人が見れば宝の山なのかもしれないが、つぐみにとってはただのくさむら。水場が近くにあるからヤブ蚊やブユも多いのではないだろうか。自分ならまず近づかない。


 周囲の建物に用事があった可能性はどうだろう。そう考えてクサヨシ発見地点の周辺が映った画像を見ると、そこに映っていたのは大抵田んぼや畑だった。住宅が映っている写真もあるが、もし仮にここに移っている住宅のどれかに彼の知人が住んでいたとしても、くさむらに近づく理由はないように思える。


 清水の友好関係を調査したら、この写真に写っている家のどれかに行きつく可能性があるのではないかと思った。だが、つぐみにはそんな権限も時間もない。

 家、家、と考えていると、清水が家宅侵入罪で逮捕歴があったことを思い出す。もし彼がまだ泥棒を続けていたとしたら、その場所には、侵入する家を下見に行った可能性があるかもしれない。


 吉田がお座なりに調べていた押し入れの中を、自分でも確認してみるべきだったと少し後悔した。丹念に調べれば、泥棒に使う道具――ピッキング用の器具とか、窓を割るためのハンマーなど――が見つかったのではないだろうか。部屋に図鑑の一冊、観葉植物の一個も置いていない人間が自然観察のために度々くさむらに入ったと考えるよりは、泥棒の下見のためにそれを行ったと考える方が自然である。

 もやもやと考えているうちに、巡回の時間となった。


 巡回の間は虫処からの連絡を確認する時間がなく、交番に戻って三時間振りにチャットを確認すると、未読メッセージが数十件も溜まっていた。スクロールしていくと、彼女を落胆させる情報が目に飛び込んできた。


森@登呂五丁目:あれ?このドブ川のやつもクサヨシっすか?

        <写真>

牧之原@文献班:遠くてよくわからないけど、それっぽいな。もうちょ

        っと近づけない?

森@登呂五丁目:無理っす。中入れない。

森@登呂五丁目:とりあえず位置情報送ります。

菊川優@平沢 :これクサヨシ?

        <写真>

牧之原@文献班:遠いけどたぶんそうだな。大分見慣れてきた。

菊川優@平沢 :じゃあ、結構ドブ川にもに生えてるわ。


 送信された写真を見ると、三面をコンクリートで囲まれた川の底に生えている植物が映っていた。川の両岸が白いガードレールで囲まれた、完全に人工の、水を海まで運ぶためだけの川である。市街地のあらゆる場所で目にする川だ。クサヨシがこの中で生育できるのならば、その生息域は特定の湿地帯に留まらず街中に生えている、という事を意味しないか。


 種子一つから失踪した人間の行方を推測するのは、やはり不可能なことだったのだろうか。気づけば日没の時間となっており、探索を終了する旨のメッセージが届いた。彼らが撮影してくれた写真は百枚近くに上る。つぐみは心からお礼を述べた。


 たくさんの学生を自分の思いつきに巻き込んでしまった。しかし、結局手がかりは得られていない。所詮素人考え、そう上手くいくものではないのか。働いてくれた学生たちに何と言って謝ろう……。そんなことを考えていると、街頭での交通整備の時間となり、また席を立つことになった。

 パトロール、溜まった事務作業……と彼女の長い金曜日はあわただしく過ぎていった。


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