第6話

 昆虫愛好会のメンバーはつぐみと別れた後、メンバー全員でメッセージのやり取りをし、一箇所につき有志一人ないし二人がクサヨシの探索を行うことに決まった。翌日は金曜日であり、中には夏期講習を履修している者もいたため、クサヨシ探索は、実際に候補地に赴く探索班と、資料を当たってクサヨシについてのより詳細な情報を収集する文献班とに分かれることとなった。どちらの班も、得られた情報はリアルタイムでつぐみと有志達で共有する決まりだ。優は当然探索班を希望した。彼の方は、夏期講習が入っていたものの、自主休校を決め込むことにしたらしい。


 つぐみとの話し合いが終わった後、探索の参加者を募ったり、グループ分けをするのに時間がかかってしまい、帰宅は終電になってしまった。彼は焼津市の自宅から大学まで電車とバスを乗り継いで通っている。警察学校に入って以降、寮から原付で出勤するようになった姉のつぐみがうらやましい限りである。しかし、以前これを姉に言ったところ、警察寮の生活がいかにひどいものかという愚痴を延々と聞かされた。隣の庭の芝は青いものだ。



 時計を見ると、時刻は十二時を回ろうかというところだ。明日の下調べをするため、優は眠い目をこすりながら電気スタンドの灯だけでパソコンに向かった。目的の場所に迷わずたどり着くためには、きちんとした地図が要る。山歩きの経験が比較的豊富な彼は一人で「平沢」に向かうことになっていた。


 「たんけんてちょう」のサイトに再びアクセスし、地名をクリックして、地図を表示する。生き物の発見報告があった場所は、地図上にアイコンが表示されている。それをクリックするとその生き物の詳しい情報のページに移動する仕組みだ。生き物のアイコンはカエルや蝶や魚など様々あって、非常に凝った造りなのだが、文字での説明が一切ないため、地図としてはかなり見づらかった。山の等高線らしきものは描かれているが、建物名がほとんど書かれていないし、緯度、経度の表示もできない。優の担当となった箇所はすこし山に分け入ったところらしく、地図には両脇の山に「谷田」と地名が書かれている以外に文字がなかった。町名や山の名前が分かったところで、道や付近の目印となる建物名が分からないこの地図では、目的の場所に辿りつくのは難しい。こんな時、目的地へのルートを知るためにはGoogle マップが使いやすい。優は「たんけんてちょう」の地図をスクロールし、目的地付近ででやっと発見できた唯一の建物――県立美術館――を検索した。


 Googleマップは「たんけんてちょう」の地図とは対称的に建物名が細かく書き込まれている。その反面、山や河川の形は簡略化された線だ。地図の使用目的が全く違うからである。また、Googleマップは名前の付いている建物へのルートは表示してくれるが、「クサヨシの生えている野山のある一点」への行き方は教えてくれない。従って、両者の地図をすり合わせる必要がある。ここで活躍するのが国土地理院のwebサイトである。地理院地図のページに移動すると、先ほどGoogle マップでヒットした県立美術館の緯度と経度を入力した。地理院地図では等高線に加え、建物名も表示される。三つの地図をすり合わせれば、「たんけんてちょう」の地図で目的地を、Google マップで目的地付近までの道のりを、地理院地図で目的地付近の地形を知ることができる。


 優は、地図の画像をUSBに保存し、家族を起こさないようコンビニエンスストアでそれらを印刷した。そして、「たんけんてちょう」の地図と照らし合わせて、地理院地図上にクサヨシの発見場所の地域をペンで書き込む。さらに、Google マップを見て分かる限りのコンビニエンスストアや建物名も追加した。これで建物名を頼りに現地まで原付で行き、原付を降りてから建物がない場所でも地形を目印に目的地に辿り着くことができる。



 地図の作成を終えて、「ふう」とため息をついた。明日の事を考えたらもう寝るべきなのだが、パソコンに向かう作業をしてしまったせいで、目がさえて眠れない。斜に構えた態度を取ってはいるが、実は彼自身も探索を楽しみにしているせいもある。そこでクサヨシについて自分でもリサーチしてみることにした。クサヨシに関する情報収集は、一応文献班の担当という事になっていたが、調べて調べすぎるという事はないだろう。優は一度閉じかけたノートパソコンのディスプレイを再び持ち上げた。検索エンジンでクサヨシを検索する。一般向けに簡単な説明を載せているホームページの他に、クサヨシの分布についての調査を行っている日本語で書かれた論文も見つかった。


 文献を読むと、「クサヨシは全国の湿地に生育する在来草であるが、外来種のクサヨシであるリードカナリーグラスの侵入問題視されている」とある。「リードカナリーグラスは牧草用として導入されたため、稲作が盛んな日本海側の地域では、流れのある水際で小さな集団を作る在来種が多く見られるのに対し、太平洋側の畜産が盛んな地域では路傍や畑地に広く生育しているクサヨシが観察されている」らしい。


 これはまずいな、と優は思った。湿地にしか生育しない在来種ならば湿地以外を捜索対象にする必要はないが、普通の土地に生育する外来種が混ざっていた場合、生育地は広くなり、クサヨシが重要な手がかりではなくなってしまう。静岡県でのクサヨシの分布はどうなのだろうか。文献を読み進めると、「静岡県ではリードカナリーグラスを積極的に導入した例はわずかである」という記述があった。しかし、静岡県西富士地域ではリードカナリーグラスの定着が報告されており、西富士から神奈川県にかけてリードカナリーグラスの導入が行われていたそうだ。


 どうやら、静岡市のある中部地域では積極的な導入はなかったと思ってよさそうである。とりあえず、湿地のみをターゲットに捜索すれば良いだろう。調べものがひと段落付いたところで急に眠くなってきた。これより先は文献班に任せることにし、優は布団に潜り込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る