『2人きりのescape』

龍宝

「2人きりのescape」




 教室の薄い窓越しに、羽音が聞こえてきた。


 今は、冬場である。


 かすかに聞こえていたものが、次第にはっきりと大きくなっていく。


 遠くの空を見遣れば、鋼鉄の羽虫が我先にを求めてどこかへ飛び去って行くのが見えた。


 机に頬杖をついて寝不足気味の頭を休ませていた黒髪の少女――鈴村すずむら狭霧さぎりは、緩慢かんまんなしぐさで愛用のスマホを取り出すも、結局は机の上に置くに止めた。


 何か、大きな事件でも起きたのだろうとは思っていた。


 登校中にも、自分の頭上を何機も報道ヘリが飛んで行くのを見たのだ。


 いずれ、待っていれば速報でも入るだろう。


 それなら、朝のホームルームが始まるまでの後わずかを、微睡まどろむともなくぼんやり過ごした方がいい。


 狭霧は、朝の短い時間で適当にわえたサイドテールが邪魔にならないよう、窓の方を向いたまま眼をつぶった。


 寝入りそうになる度、教室に入ってきたクラスメイトの声で起こされることを三回ほど繰り返しているうちに、音量過剰のチャイムが鳴り響き、同時に担任の男も入ってきた。


 いつもの調子で始まった朝礼だったが、担任の話によると、どうやら転校生が来ているらしい。


 ざわめく教室の注目が集まる中、担任にうながされた転校生が入ってくる。




「――冠田かんだ時雨しぐれや。よろしく」




 ショートカットを金髪に染めた少女が、慣れた感じで黒板に名前を書いた。


 西のなまりに、切れ長の眼が相俟あいまって、どこか冷たい印象を覚える。


 いや、たとえ西の学校においても、友好的と取られるような口調ではなかったはずだ。


 社交辞令というか、感情の伴わない作業的なものを感じさせる時雨の様子は、狭霧の眼をまさせるに十分だった。




「――こいつ、知ってるぞ!」




 不意に、教室の後ろの方で声が上がった。




「中学の頃、近所のやつから聞いたんだよ! うわさになってたやつだ!」


「うわさって?」


「痛い妄想して、訳の分かんねえうそばっかつくだってさ! そんで、どこでも気味悪がられて転校ばっかしてる中二病女だって!」




 男子生徒が興奮した様子でまくし立てているのを、時雨は黙って聞いていた。


 どうも、直接の知り合いではなく、偶然時雨が前にいた学校の生徒から写真か何かが出回っているようだ。


 内容の真偽はともかく、あいさつを終えて早々のこの仕打ちには、狭霧も顔をしかめた。


 ろくに止めない担任にすら、不満を覚える。


 教室の雰囲気は、男子生徒の話を信じて時雨に好奇の視線を送る者が大半で、狭霧のように配慮に欠けたふるまいを白眼視する者はほとんどいなかった。




「……やっぱり、気分悪いわ」




 さらし者のような扱いになっていた時雨が、やがて低く呟いた。


 肩に担いだ鞄を下ろそうともせず、きびすを返して教室を出ていく。


 それを見た男子生徒が、勝利者にでもなったつもりなのか、興奮した猿のように手を叩いて笑うに至って、狭霧は明白に嫌悪感をあらわにした。


 ちょうどホームルーム終了を知らせるチャイムが大音量で鳴り響く。


 事態の収拾に困っていたらしい担任は、場違いなほどにそっけない声色で、いつもの文句を吐くだけだった。


 勢いよく立ち上がった狭霧は、騒がしい教室を飛び出して、時雨の姿をさがした。








 派手な金髪は、すぐに見つかった。


 屋上に続く階段を上り切った狭霧を出迎えたのは、金網フェンスに囲まれたスペースで遠くを見ている時雨の背中だった。




「――冠田さん」


「んー? あれ、あんた……」


「同じクラスの、鈴村狭霧です」




 振り返った時雨に早足で歩み寄りながら、狭霧は言った。




「あー、そうそう。ひとりだけうちの方あんま見てへんがいるなーって、眼に付いてたんや。狭霧ちゃん言うんか」




 意外にも、時雨は明るい声色で話した。


 先ほどのけんのある雰囲気は、今は感じられない。




「で、その狭霧ちゃんが、何でここに? って、もう授業始まってんちゃん?」


「あなたを、捜しに来ました」


「……それまた、何で? 狭霧ちゃんは、学級委員長か何かなん?」


「そうじゃありません。個人的な感情です」


「個人的な感情?」


「わたしが、あの場にこれ以上は居たくない、と思ったからです」




 憤懣ふんまんやるかたない、とばかりに語気も強く言った狭霧に、時雨はしばらく呆気に取られているようだった。


 やがて、切れ長の眼をいっそう細めて、すぐ近くで向かい合う形になった狭霧を見遣った。




「ははァ。さては、狭霧ちゃんも変わりもんたぐいやな」


「わたしは、普通だと思いますけど」


「いやいや、冗談や。それで、授業サボってうちのとこ来てまうんか。……あんた、ええやつやなァ、狭霧ちゃん」




 ぽんぽん、と狭霧の肩を叩いて、時雨は笑った。


 それから、改めて互いに自己紹介をすることになった。


 好きな食べ物や、趣味、はまっている漫画に、最近聴いたアーティスト。


 好みが合えば歓声を上げ、狭霧が知らないと首を振れば講談師もかくやとばかりに布教してくる。


 ひとつひとつを楽しそうに話す時雨の様子は、極めて普通の女子高生のそれだ。


 あの男子生徒がしざまに言っていたような、風変わりな言動はまるで見えない。






「――聞かへんの?」





 ひと通り弾んだ会話の切れ目で、しばらく黙って空の方を見ていた時雨が言った。




「何をですか?」


「そら、なんぼなんでもで、あんた。……さっき、あのサルがわめいとったことに決まってるやん」




 何でもないことのように、時雨は狭霧の方を向いた。


 狭霧の腹の底に、先ほどの憤りが戻ってくる。




「わたしは、自分の見たものしか信じません」


「そら、あんなサルの言うこと信じるような娘なら、はなからこんなとこまで来んやろからなァ。……じゃあ、うちがほんまやって言ったら?」


「わたしには、そういう風には見えませんけど。――今のところは」


「そんな、な言い方」




 金網フェンスに背を預けて、時雨が肩をすくめた。




「中二病やら言われるんは、心外やけどな。まァ、慣れたもんや。気味悪がられてんのは、ほんまやしな」


「そんな……でも、それにしても、何もあんな形で騒ぎ立てなくたって。あんなの、誰だって気を悪くするに決まってます」




 時雨がこれまで、どんな風に見られてきたのか、どうしてそんな悪評を立てられているのか、狭霧にはうかがい知りようもないことだ。


 だが、西に出自を持つ時雨が、中学でこちらに出てきて、更にその中学時代に学校を転々としていたというからには、相当のことがあったのだろう。


 誰だって、好きでさげすまれたり、住み慣れた土地を離れるわけではない。


 そういった時雨の複雑な事情を思えば、あの男子生徒がしたことは短慮や軽挙という言葉では言い表せない愚行である。


 せめて、あの場では黙っているくらいできなかったのか。


 大いに不満である、と隠そうともしない狭霧に、時雨はあっけらかんと手を振った。




「いやいや、うちは別にそこまで気にしてへんって。まァ、毎度のことながら腹は立つけど。おかげで、こうして狭霧ちゃんとも友達になれたわけやし♡」


「でも、冠田さん、あの時気分が悪いって――」


「んー? ――あァ、ちゃうちゃう。うちは、気ィ悪い、とは言ってへんで。単純に、って言ったんや」




 とんっ、と時雨がフェンスから背を離した。




「せやな。狭霧ちゃんには、ちゃんと言っとかんとあかんかなァ」




 羽音。


 近づいてくる。




「うち、昔から変な感じになるんよ。何でか知らんけど、妙に気分悪くなって。居ても立ってもおられん、ってああいうことなんやろな」




 眼を細めた時雨の声が、小さくなっていく。


 違う。


 周りの音が、大きくなっているのだ。




「ところで……人間親切にはするもんやな、狭霧ちゃん」




 はたと頭上をあおいだ時雨の声は、辺りを圧する騒音にき消された。




「何です⁉ 聞こえない――」






「――おかげで、巻き添え食わんと済んだやんか」






 突風が、吹き荒れた。


 あまりの衝撃に倒れそうになった狭霧のすぐ上を、風をまとった何かが猛然と通り過ぎる。


 ふたりを包む、大きな影。


 すれ違いの一瞬、狭霧は確かに、その巨体から黒煙が上がっているのを見た。




「ヘリが、ちて――⁉」




 驚愕に声を詰まらせた狭霧の眼の前で、懸命に機体を立て直そうとしていた故障と思しき報道ヘリが、勢いそのままに別の校舎の方へ墜落していった。


 とっさに、狭霧はそちらへ駆け寄っていった。


 轟音。


 腹に響くような音だった。


 信じられない思いで、フェンス越しに眼下の惨状をながめる。


 墜落した報道ヘリが突き刺さっているのは、




「――やっぱり、なんか起きた」




 気が付けば、すぐ後ろに時雨が立っていた。


 狭霧の肩越しに校舎の残骸に一瞥いちべつくれてから、もたれ掛かってくる。


 小柄な狭霧よりも上背のある時雨のあごが、肩に触れた。




「虫の知らせっちゅうんかな。見せる人によっては、霊感やら、第六感やら言うてはったけど……まァ、そういうのが、うちは分かるんよ。ここには、居たらあかん、って」


「ど、どうして……あの時、言わなかったんですか?」


「言ったよ。中学の時、散々ね。その結果が、あの反応ってわけや。――ここまで大事になるんは、うちも初めてやけど」




 何が起きているのか、狭霧にはもう分からなかった。


 ただ、自分の理解の及ばないことが起きている。


 それだけは、耳朶をくすぐる時雨の吐息が物語っていた。




「必死に逃げえ言うても、みーんな〝おかしい、おかしい〟言いよるだけや。それこそ、中二になる頃には、なんもかも馬鹿らしなってもうて」


「か、冠田さん……?」


「それで、うちのことを信じてくれる人にだけ、教えようって決めたんや。そういう人が、いつか現れるかもしれんって」




 時雨の指が、毛先をくすぐった。


 思わず身体を固くした狭霧に、時雨はじゃれつくような笑い声を上げた。






「――狭霧ちゃんは、うちを信じてくれたから、追いかけて来てくれたんやろ?」






 嬉しいわァ、と時雨が言った。




「うち、ちょっとだけ変わってるけど……これからよろしゅうな?」




 自分を抱きしめる時雨の腕が、力を増した気がした。




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『2人きりのescape』 龍宝 @longbao

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