# 9. トーク・ショウ

「おつかれさま! 今日もすごくよかったわ、あの〝イフ・ユー・キャント・ロック・ミー〟のときのキック、きまってたわね!」

 バルセロナでの公演が終了し、汗でびっしょりになった躰にタオルを掛けられながら、バンドの面々は足早に通路を歩いていた。観客が会場を出始め、周囲が混雑する前に速やかに車に乗り、ホテルへと戻らなければならない。

 ロニーはバンドの付き人たちと一緒に、ライヴを終えたメンバーたちを待機させていた三台の車へ促し、自分はルカとテディと同じ車の助手席に乗りこんだ。ステージ脇で見守っていた興奮も冷めやらぬまま、アンコールで演奏したローリングストーンズのカバーについての感想を伝える。

「テディがああいう動きをするのってめずらしいわよね。あれ、いつ打ち合わせてたの? 即興?」

 助手席から振り返りつつそう訊くと、頭からすっぽりとタオルをかぶったまま、テディが首を横に振った。

「よく覚えてない。キックしたなら、俺がルカを蹴飛ばしたかったってことじゃない?」

 もちろん本当に蹴ったわけではないが――ロニーはその素っ気ない口調にあれ? と小首を傾げた。ルカからは、テディとは無事仲直りしたと聞いていたのだが――テディはソラン・デ・カブラスの青いボトルをぐいと呷り、ルカとは口も利かず外方を向いている。躰を捻るようにして真後ろを見ると、ルカはぱたぱたとTシャツの襟を摘んで扇ぎながら、ひょいと肩を竦めた。

 どうやらルカにもテディが不機嫌な理由は不明らしい。もともと気分の浮き沈みが激しいテディだが、ライヴのあとこんなふうに仏頂面をしているのは初めてのことだった。頬を紅潮させ、興奮気味にステージでのことを話すのが常なのに――気にかかったが、ロニーは今しつこく尋ねるのはミステイクだろうなと、黙ったまま前を向いて坐り直した。





 ホテルへと戻り、予約していたレストランで遅い夕食を終えたあと。フロアごと貸し切りにし、皆で寛いだりできるよう開放しているスイートルームの一室で、ロニーとバンドメンバー、ロードクルーたちは恒例であるライヴ後のミーティングを行った。といっても酒を飲みながら気がついた点や改善案などを話すくらいで、そんなに硬い会議ではない。

 一同はカヴァとタパス、フルーツの盛り合わせなどが並べられたテーブルを囲み、駄弁りながら寛いでいた。ロニーもフルーティで飲みやすいスパークリングワインを楽しみつつ、グッズの売れ行きについての話をしていた。

 ミュートでつけっぱなしにされている大画面のTVを見やると、なにやら報道系のドキュメンタリーらしき番組をやっていた。草木も見えない不毛な荒野から、淡紅色の花畑が一面に広がる景色に映像が切り替わる――が、ただの美しい花畑ではないようだった。テロップには『アフガニスタン・ヘルマンドの芥子畑』と出ている。魅せられてはいけない魔の花だ。

 キャスターはアフガニスタンからトルコ、ブルガリアへ赤い矢印のつけられた地図のパネルを持ち、なにか話していた。察するに、アフガニスタンで生産され欧州に密輸されるヘロインについてがこの番組のテーマらしい。

 すると誰かがチャンネルを変え、画面にはサッカーの試合の様子が映しだされた。

 誰も視ていないにしても、今ここでつけておきたい番組ではなかったものねと、ロニーはスポーツニュースが映されている画面になんとなくほっとして、話を続けた。

「――で、ほとんどは毎回完売に近いくらい売れてるんだけど、ただ一点だけ、アルバムジャケットをデザインしたTシャツがあんまり出てなくって」

「あれはしょうがない。キーホルダーのほうは売れてるんだろう?」

「アルバムジャケットとしてのデザインはいいんだけど、Tシャツにするとかっこよくないんですよね」

「ファンのセンスは正しい。俺も、買うとしたらあれは選ばない」

 散々な云われようだ。ロニーは渋い顔をしつつも話を続けた。

「だから、次からアンコールのとき、みんなに着てほしいんだけど――」

「勘弁しろよ」

「えー……、あれ、着るんですか……」

「無理して売らなくても、雑誌のプレゼントかなんかにまわせばいいんじゃないか?」

 ジェシもドリューも件のTシャツを着るのは気が進まないらしい。ちょっと着て出てくれれば一気に売れるはずなのに……と、ロニーは困り顔でピンチョスを摘まみ、ワイングラスを手にした。

「あら? なんか映ってる……」

 またチャンネルが変えられたのか、それとも番組が変わったのか。再び何気無く目をやった画面に思わずそう呟くと、TVに背を向けていたユーリやテディが素早く反応し、さっと振り返った。ルカやジェシ、ドリューも画面のほうを向き、様子に気づいたのか部屋の隅にいたエリーもラップトップを抱え、TVを見つめたまま近づいてくる。

 時刻は零時を過ぎたばかり。司会と三人のゲストコメンテイターが大きなモニターを挟んで向かい合っているその番組は、どうやら映画俳優や有名ミュージシャンのこぼれ話などを取りあげるトークショウのようだった。モニターにはルカの画像が大写しになっている。イスタンブルで撮られSNSにあげられていた、エリーがみつけたあの画像である。

 気を利かせたつもりなのか、誰かがTVの音量を上げた。



『――ねー、居合わせた人羨ましいですよね。こんなふうにどこへ行ってももてもて、大人気なルカ・ブランドンさんなんですけども、彼は同じバンドでベースを弾いているテディ・レオンさんと学生の頃から恋人同士なんですよ。これ、ファンのあいだではすっごい有名なんですけど、学生の頃って云っても大学とかじゃなくて、まだ十五歳くらいなんですよ!? ロンドンの寮制学校ボーディング スクールで、ふたりはそんな歳の頃からルームメイトだったんです。映画みたいな話でしょ?』



 当たり前だが、出演者たちが話しているのはスペイン語だった。ロニーはイタリア語に幼い頃から馴染みがあるのでスペイン語もほぼ理解できるが、クルーの何人かは首を振って苦笑している。リモコンを手にしていたのは、どうやらブルーノだったようだ。ブルーノはドミニクと顔を見合わせ、さっぱりわからないと云うように笑いながら肩を竦めていた。

 彼らは共にバーゼル出身のスイス人で、テディとユーリの付き人として今回のツアーから同行している新人スタッフだ。ドラムテックのイジーとベーステックのエミルが、ツアー中はほとんど楽器のほうにかかりきりになるためである。もちろんドリューやルカ、ジェシにもそれぞれ担当の付き人がいる。

 画面のなかでは、ゲストの若い女性タレントたちがきゃーっと黄色い声をあげていた。



『イギリス映画のね! ありましたね、耽美なやつ!』

『でもですね、ルカのプロフィールを見ると、彼のセクシュアリティは両性愛者バイセクシュアルとなっているんですよ。ということは! ですよ、テディと一緒だった十五歳からずっと、テディ一筋ではないってことじゃないかと、私は思うんです!』

『えーっ、夢を壊さないでください!』

『だって女性経験がなかったら、バイなのかゲイなのかわかんないじゃないですか』

『テディと出逢う前に彼女がいたのかも』

『えーっ、そのほうがやばくないですか。十四歳とかってことでしょう?』

『早熟~』



 ロニーは恐る恐るテディの顔を見た。案の定というか、テディはまたもすぅっと表情から感情を消し、マネキンのように画面を見つめていた。

 まったく、深夜のミーハーな番組が勝手なことをべらべらと……と、ロニーは苦い顔をしつつも、これも有名税ってやつかしらね……などと思っていたが。



『テディのほうは、完全にゲイなんですよね』

『はい。もう、彼はですね、いろんな方面から女性に対してはまったくノーリアクションだと証言がとれているんですけども』



 証言って、いったいどこの誰からとってきたのかしらと、ロニーはセクシュアリティについての話題を続ける不躾な番組に顔を顰めていた。

 ――が、その番組の厚顔さは、その程度では終わらなかった。



『――ただ男性のほうはもう、非っ常~~に経験豊富らしいという噂がありまして』



 その言葉に、いったいなにを云いだすのだろうとロニーは眉間に皺を寄せた。



『その噂を確かめるべくですね、今回、彼と学生時代、関係を持ったという同級生……あ、違いますね。すみません、テディの一年先輩だったというある男性にお話を伺ってまいりました。この方がですね、いろいろと際どい質問にも答えてくれまして』



 はぁ!? と思い、ロニーは再度テディを見た。テディも目を瞠り、画面を凝視していた――彼は英語、チェコ語以外にもいくつかの言語に堪能で、スペイン語も困らない程度には解せるようだ――が、今はそうでないほうがよかったが。



『その男性……仮にMさんとしておきますが、Mさんがおっしゃるにはテディはルカと付き合っていながら、他の上級生や、先生とも関係していたと』

『先生!? って、教師ですか!?』

『嘘ぉ!』

『ええ、もうあの見た目のイメージと違って、テディはすっごく奔放だったみたいですね。ほら、前にあったでしょう、『Zee Deveelジー・デヴィール The Raw Filmザ ロウ フィルム』っていう未公開の映画の流出事件。あのなかでユーリともいちゃいちゃしてたり、まあ他にもですね、ちょっとびっくりするような場面もあったりしたんですけども』

『ありましたねー』

『で、まあ、そのね、ロックミュージシャンにはまあめずらしくないですけど、ドラッグとかね、テディってけっこういろいろ問題――』



 もう我慢できないとロニーが立ちあがったその瞬間。突然、画面がブラックアウトした。見ればブルーノから奪ったらしいリモコンを手に、ユーリが険しい表情で立ち尽くしている。

 ああそうだ。ユーリはこういうとき、テディ本人よりも憤り、彼のためを考えて真っ先に行動する人だった。ユーリは肚立たしげにリモコンをソファに投げつけたが、ロニーはそれを咎める気も起きず、ほっと息をついた。

 吐き棄てるようにユーリが云う。

「くだらねえ。なにを云ってるのかは半分ほどしかわかんねえが、どうせろくでもねえ下世話な番組だ。――テディ、行こう。部屋で飲み直そうぜ」

「あ、うん……」

 そしてロニーは見た。テディの背中に手を添え部屋を出ようと促しながら、ユーリがちらりと振り返りルカと視線を交わすのを。ルカは、テディのことはまかせたと云うように頷いてみせ、ユーリもそれに対して僅かに頷き返した。

 ふたりが肩を並べて部屋を後にすると、ロニーは空いた席をさっと詰めてルカのほうへと近寄り、「ねえ」と前傾姿勢になり小声で云った。

「ルカ、あなたその……番組の内容、わかった……?」

 ルカはふぅ、と息をつき、呆れたような表情でこう答えた。

「話せるのは片言だけど、聞き取るのはだいたいね……酷い番組だと思ったけど、まあローカルの深夜なんて、どこもこんなもんだよな。ユーリはスペイン語、たぶん俺とそうかわらないと思うけど、あいつはテディの表情で判断したんじゃないかな。ま、まかせときゃいいよ」

「……ごめんなさい。あんな内容だって、テディは理解わかってるんだって気づいたときに、すぐに消せばよかった」

「消したってあんまり意味はないさ。ネットのほうがもっと酷い」

 確かにそうではあるのだが――ロニーは、今頃になってむかむかと不愉快さが膨張してくるのを感じ、思いの儘を吐きだした。

「っていうか、ほんっとに低俗な番組だったわね! なぁにが証言よ、本当のことならなんでも取りあげていいってわけじゃないわよね! どうしたって多少の尾鰭は付いてるだろうし、ここから変に歪んで広まったりもするのにすっごい迷惑……! テディに限った話じゃないけど、せっかくもうドラッグもって立ち直ったのに、いつまでも過去のこと云われるのってどうなの!? ああもう頭にくる、抗議の電話入れようかしら……!」

 すると、ルカも苦虫を噛み潰したような顔をし、云った。

「一年先輩のMさん、ね。どうやら話を聞いてきたってのは本当らしいな。いたよ、憶えてる。テディと寝たはいいけど、一回やったくらいで恋人ヅラすんなってけちょんけちょんに云われて、そのときもあることないこと云いふらしてやがった。確かマシューって名前だった」

 あいつまだ恨んでんのかな、と笑うルカに、ロニーはなんと反応すればいいのかとただ顔を見ていたが。

「――ほんと、仕事早いですね」

「こういうことはまかせて」

 その声にロニーは振り返った。見ればなにやらジェシとエリーが床に坐りこみ、オットマンに置いたラップトップを覗きこんでいる。

 ロニーは脚を折ってソファに後ろ向きにあがると、背凭れに両手をかけ、尋ねた。

「なにしてるの?」

DDoS攻撃Distributed Denial of Service attack

 さらりと答えられたが、ロニーにはなんのことかさっぱりわからない。反応に困っていると、エリーがラップトップから顔をあげ、説明してくれた。

「さっきの番組にあんまり肚が立ったから、TV局のサーバーを攻撃してダウンさせた。もちろん踏み台を使ってるから、足はつかない」

 なんにもならないかもしれないけど、なにかしないではいられなかった、と云うエリーに、ロニーは溜飲が下がる思いで頷いた。

「あなた、最高だわエリー」

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