すき焼きに何入れる

白鷺雨月

第1話 すき焼きに何いれる

 それは結婚当初のころの話だ。

 二月の終わり。

 外はまだまだ寒く、粉雪のようなものが空から舞い降りてきていた。

 僕は白い息を吐きながら、帰路を急ぐ。

 妻の貴美たかみからのメールでは今日の晩御飯はすき焼きだということだった。

 僕は鍋物のなかでなによりもすき焼きが大好物だ。

 あの牛肉を砂糖と醤油で甘辛く焼き、とかした玉子につけてたべる。

 自分の中で一番好きな肉の食べ方だ。

 一人にやつきながら自宅マンションの玄関の扉を開ける。

 そうするとどうだろうか、トントンとリズミカルな野菜を切る音が鼓膜を刺激する。

 僕はコートを脱ぎ、クローゼットにかける。

 ルームウエアに着替え、キッチンにむかった。

 そして驚愕するのである。

 キッチンのテーブルにキャベツが置かれていた。



 僕はその緑の玉を両手で持った。

 うん、今日はすき焼きだったはず。

 僕は記憶をたどる。

 スマホの画面にはすき焼きの文字があったはずだ。

 だがキャベツがおかれている。

 導き出される答えは別の料理に変更になったのか、もしかしてすき焼きにキャベツをいれるというのか。

「これって……」

 僕は言った。

 僕の声は聞いた貴美はふりかえる。

「あら、お帰りなさい」

 と貴美は言う。

「これなんだけど」

 僕はきく。

「あ、それね。今日はすき焼きだから」

 貴美は答える。

 これで確定した。

 貴美はすき焼きにキャベツをいれるつもりだ。

 白菜ではなく、キャベツをいれようというのか。

 なんという発想だろうか。

 僕の中で常識が崩れていった。

 僕は恐る恐る他の食材を見る。

 テーブルには焼き豆腐、糸こんにゃく、椎茸、エリンギ、玉ねぎ、最後にとり肉が置かれていた。

 エリンギに玉ねぎにと、とり肉だって!!


「えっと今日はすき焼きだったよね」

 僕はごくりと生唾を飲み込み、そう言う。

「え、そうよ」

 貴美は平然と言う。

 こ、この食材が貴美にとってすき焼きの材料なのか。

 玉ねぎはまあ許そう。長ネギのぎりぎり仲間だといえるだろう。

 しかし、エリンギは予想外だ。

 エリンギなんて完全に西洋のものではないか。

 すき焼きは一応日本の料理なわけで、そ、それに欧米のきのこの代表であるエリンギをいれるなんて。 

 いや、いやいや。

 僕は頭をふる。

 そうだ。

 なにを固定観念にとらわれているのだ。

 すき焼きとは読んで字のごとく好きなものを入れればいいのだ。

 だが、だがである。

 メインとなる肉がとり肉だって。

 その発想は完全になかった。

 しかもどこかの地鶏らしい。

 パックに地名がかかれている。

 たしかに、あの濃い味に焼かれたとり肉と玉子の相性はいいだろう。

 親子丼とかオムライスもそうだ。

 

 僕はどうにか自分を納得させ、テーブルにカセットコンロを置く。

「あ、ありがとう」

 貴美が言い、カセットコンロに深めのフライパンを置いた。


 おいおいおい!!

 今日はすき焼きだろう。

 すき焼きは鍋料理の仲間だ。

 それを調理するのにどうしてフライパンを置いた。

 いや、まあ焼くとつくからフライパンでも間違いないのか。

 僕は妻の行動にはっきりいってパニック寸前になっていた。

 きょとんとしている僕をしり目に貴美は平然と切った野菜ととり肉をテーブルに並べていく。

 まあ、いいだろう。

 ここは貴美流にまかせよう。

 そう決意した僕はキッチンから砂糖と醤油をとりだす。

「あれ、何しているの?」

 貴美は訊く。

「え、すき焼きだろう。砂糖と醤油がいるだろう」

 僕は答える。

「え、すき焼きに砂糖と醤油なんていれるの。大丈夫よちゃんと割下のもとを買ってきたから。関西こっちじゃあ種類がすくなくて大変だったわ」

 貴美が言い、どんと黒い液体の入った瓶をテーブルに置く。

「これ何」

 僕は聞いた。

 瓶のラベルにはすき焼きをイメージしたイラストが描かれている。

「これは割下よ。ディスイズワリシタ」

 妙なテンションで貴美が発音だけはいい英語でいった。

 そういえば彼女は学生時代はカナダに留学していたといってたっけ。

 発音がいいわけだ。

 いやいや、今は妻の英語の発音に感心しているときではない。

 すき焼きをするのに砂糖と醤油ではなく、すき焼きのだしのもとのようなものを入れるというのか。

 まあ、たしかに合理的といえば合理的か。


 混乱する頭をどうにか整理しながら僕は椅子に座る。

 貴美は自分にビール、僕にはコーラを用意してくれた。

「あ、ありがとう」

 僕は礼をいう。

 何かをしてもらったらありがとうという。それが僕のポリシーだ。


 貴美はフライパンに割下のもとを注ぎ込み、とり肉をいれる。

 とり肉にある程度火がとおると次々と野菜を投入していく。

 僕はその間に玉子をお椀にわり、それをときながら具材に火が通るのを待機する。

 ぐつぐつとフライパンに中の具材が煮えていく。

 甘辛い、良い匂いが部屋の中に広がる。

 どうやら、具材に火が通ったようだ。

 僕はいただきますを言い、フライパンの中の具材に箸をつける。

 まずはとり肉だ。

 おまえの実力を試してやろう。

 一口とり肉をいれるとほおうほおうと僕はうなった。

 なかなかやるではないか。

 甘辛く煮込まれたとり肉と玉子の相性はばつぐんだ。それに弾力のある歯応えもいい。

 さあ、次はキャベツだ。

 この異才をはなつ食材の実力を試してやろう。

 キャベツを噛み締めると野菜の甘さが口に広がる。

 うん、これも悪くない。

 それに玉ねぎだ。

 完全に火が通った玉ねぎは甘くていい。

 だしの染み込んだエリンギも脇役としていい仕事をしている。

 彼らは僕の固定観念を完全に崩してくれた。

 こういう新しい発見があるのも家庭生活のいいところなのだろう。

 ある程度具材を食べきったところに貴美はしめの食材があるのよと言い、冷蔵庫に向かった。

 すき焼きといえばうどんだろう。

 いろいろな食材のしみこんだスープにうどんは最適解だ。

 

 そして貴美が皿に乗せて用意したのは蕎麦であった。

 あぜんとしている僕のことなど気にもとめず、貴美は蕎麦を煮ていく。

 最後の最後まで驚かしてくれる。

 しかも蕎麦はよく割下がからんで極上のうまさであった。

 僕はすき焼きという料理のふところの深さに感動を覚えた。




 

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すき焼きに何入れる 白鷺雨月 @sirasagiugethu

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