これって同棲ってやつでは?③
「お待たせしました!」
キッチンの方からエプロンを身につけた双葉さんがやってきて、手に持ったお皿をテーブルに置く。
「実月さんリクエストのハンバーグです!」
置かれたお皿の上にはおいしそうな焼き色のハンバーグが載っていた。ふっくらした見た目がジューシーな仕上がりを物語っていて、口の中がどっと潤いだす。まるで自炊ではお目にかかれないような光り輝くハンバーグに見とれていると、双葉さんが次々と白ご飯やお味噌汁を持った器をテーブルの上に並べていく。
「じゃあ早速……」
「はいっ」
エプロンを脱いだ双葉さんが実月の右手に腰を下ろしたのを確認すると、ふたり揃って胸の前で両手を合わせて、
「「いただきます!」」
お昼の時もそうだったが、ひとりでご飯を食べるときにわざわざ「いただきます」なんて口に出さないのに、誰かと一緒だとつい言いたくなってしまうのはどうしてだろう? そんな疑問が頭に過ったが、それよりもハンバーグだ。
実月は早速、手に取った箸をハンバーグに入れてみる。するとしっかり火が通った断面からじゅわっと肉汁が溢れてきて、思わず声にならない声が口から零れてしまう。そのまま一口分に切ったハンバーグを口へと放り込み、自分の歯で咀嚼。
じっくり味わっていると、双葉さんが箸を持ったまま緊張の面持ちで実月のことを見つめているのに気がついた。ハンバーグの感想を待っているようだ。
「おいしいよ」
そう口にした瞬間、双葉さんの顔から緊張が消え去った。
「ほ、本当ですか?」
「うん。お店のハンバーグみたいに上手に焼けてるよ」
「よかった~」
ホッと胸を撫で下ろす双葉さん。ハンバーグの断面は均等に火が通っており、そこから流れ落ちるすさまじい量の肉汁が皿の上で池を作っている。味付けもちょうどよく、何よりも肉の味が舌でしっかりと感じられて、あまりの多幸感に思わず頬が緩んでしまうほどだった。
「そう言って頂けて嬉しいです」
「ほら、双葉さんも食べなよ」
実月に促されて、双葉さんがハンバーグに箸を入れて口に運ぶ。すると彼女の口角が上がり、もぐもぐしたままうんうんと頷く。実月の言葉がお世辞では無いというのが伝わったはずだ。
「双葉さんって料理が上手なんだね」
「はいっ。実家では毎日お母さんの手伝いをしていたので。結構自信あるんですよ」
双葉さんが誇らしげに胸を張り、得意げなドヤ顔を見せつけてくる。かわいい、と思わず心の中で呟く。
「さあ、どんどん食べてください。実月さんはいっぱい食べると思ったのでもう一個焼いてありますし、ご飯のおかわりもありますので」
「あ、ありがとう」
何だろう、双葉さんがいつも以上に張り切ってる感じがする。流石にそこまで食べきれる気がしないのだが、まあ余った分は明日に回せばいいだけだし。
それにしても、誰かが作ってくれたご飯ってどうしてこんなにおいしいんだろう? 自分に料理のセンスがあまりないっていうのもそうだけど、それだけじゃない気がする。自分の目の前に並べられた料理。そして、自分の右手に座る双葉さんの目の前にも同じように並べられた料理――。
「……実月さん?」
名前を呼ばれてはっと顔を上げると、双葉さんが首を傾げながら実月を見つめていた。
「どうかしました?」
「あ、いや……。なんていうか、こういう感じがなんか慣れないというか新鮮というか、そんな気がして」
頭上にハテナマークを浮かべる双葉さん。
「その、この部屋で誰かとご飯を食べるなんてことが全然無かったからさ」
考えてみればこのマンションの部屋には来客を招き入れた事が無かったので、ここでの食事は基本的にひとりきりだった。だからこのテーブルを誰かと囲み、その上に並べられた同じ料理を突き合うというのがなんだか新鮮に感じられたのだ。その感覚というのが上手く伝わったのか、双葉さんも確かにと頷いてくれた。
「私もこっちに来てから自分の部屋ではひとりでご飯を食べてましたね」
「まあ正月とかお盆に実家帰ったときとかは父さんと姉さんに、兄さんとその家族でっていうのはあるんだけど、なんか不思議だなって」
「確かにそうですね……」
この感覚はひとり暮らしを経験したからわかる物なんだと思う。だからこそ、双葉さんもそれに同意してくれたのがちょっと嬉しいと感じてしまった。
そんなことを考えながらハンバーグを食べ進めていると、双葉さんが突然「あれ?」と首を傾げた。
「どうしたの?」
「えっ、あ、その……」
双葉さんが気まずそうに何かを言い淀んでいる。まあ何を訊きたかったのかは大体想像はつくのだが。口をもごもごしながらチラチラとこちらを見る双葉さんの次の言葉を待っていたのだが、
「いえ、なんでもないです。それよりハンバーグが冷めちゃうのでどんどん食べてください。おかわりなら私が持ってきますので」
一瞬重くなりかけた空気を振り払うように、双葉さんが食べることを促してくる。それに流されるように、ハンバーグをまた一口放り込んだ。改めて上手に焼けているハンバーグのおいしさに頬を綻ばせると、双葉さんが微笑ましく実月のことを見つめていた。
*
「ごちそうさまでした」
両手を合わせて小さくお辞儀をすると、双葉さんがお粗末様と返してくれた。目の前の空になったお皿を眺めながらお腹に手を当てると、普段よりも明らかに膨らんでいるように感じた。双葉さんが作ったハンバーグがあまりにもおいしかったので、ついついおかわり分も全て平らげてしまった。
「満足頂けましたか?」
「うん。凄くおいしかったよ」
「それなら良かったです」
そうにっこりと笑う双葉さんもどこか満足げだ。とはいえ、胸の内側がちょっとはち切れそうな苦しさに食べ過ぎを自覚してしまう。そろそろいい歳だから食べ過ぎには気をつけないと……。
「さてと……」
そろそろ空いた皿を片付けなきゃ。空になった皿をいくつか重ねていく。そして双葉さんの目の前にある皿にも手を伸ばそうとすると、
「ああっ、いいですよ。片付けも私が……」
双葉さんが止めようとして手を差し出してくるが、実月はそれを制して双葉さんの分の皿も重ねて持ち上げる。
「いや、なんでも双葉さんにやらせるのもなんか悪いから、片付けは俺に任せて。もし良かったら、双葉さんが先にお風呂入っていいからね」
「……じゃあ、お言葉に甘えさせて頂きますね」
双葉さんがそう答えるのを聞いてから、実月は手に持った皿を流し台へ持っていく。
「あ、俺いつもお風呂はシャワーで済ませるんだけど、双葉さんはお湯に浸かりたかったりする?」
先にお風呂へ入るかの話はその場で思いついたことだったので、現状では全くお湯を湧かしてない状態だ。もし双葉さんが湯船に浸かりたいと考えていたら……。キッチンからリビングの方に振り返ると、
「いえ、シャワーで十分ですよ。毎日お湯を張ってると水道代が高くなっちゃいますよね」
自分の荷物の前にしゃがんでいた双葉さんがこっちへ振り向きながらそう答えたので、ほっとため息が零れた。間もなく、準備を終えた双葉さんが立ち上がると、
「じゃあ、お先に失礼しますね」
実月へそう一言声をかけてからお風呂場へと入っていった。
スポンジに洗剤をしみこませ水をちょっとつけてから数回握ると、スポンジがみるみるうちに泡立ってくる。一枚手に取ったお皿にそれを当てて擦っていくと、ソースや油汚れでヌルヌルした部分があっという間に落ちていく。
泡だらけになったお皿を脇に置いてから汚れた皿の山へ再び目を遣ると、重なった皿の枚数にふと手が止まってしまった。いつも洗う皿の量は一人分だったのが、今日はその倍だ。双葉さんの分が増えたからなので当然なのだが、時々皿洗いをサボった時の量に近い気がする。これはちょっと時間がかかるかもなあ。実月は再び手を動かし始める。
自分が言い出したことではあるが、しばらくは双葉さんと生活を共にすることになる。少なくとも、彼女が新たな引っ越し先を見つけるまでは続くだろう。そうなると、自分だけじゃ無く双葉さんの分の家事もしていくことになるんだな。手間は増えるだろうけど、彼女と協力していけば苦にならないはず……。
あれ? なんか……、これって同棲っていうやつなのでは?
いやいやいや。赤の他人と生活を共にするなんてシェアハウスでも同じ事が言えるわけだし、相手が異性だからって同棲は流石に早計すぎるはず! 大体、自分と双葉さんはまだ付き合ってる訳じゃ無いから同棲なんて言葉は相応しくない……はず。
……でも、もし双葉さんと付き合い始めたら、これが当たり前に変わっていくんだろうな。なんでも自己完結で済んでいた生活の中に、これから双葉さんという存在が浸食していくなるだろう。高校卒業と同時に始めたひとり暮らし。その中でいくつか自分のルールが生まれたりするんだけど、そのルールを双葉さんに合わせて変えていく必要も出てくるんだろうな。果たして、上手くやれるんだろうか?
あ、いけないいけない。つい皿を洗う手を止めてしまっていた。早くしないと双葉さんがお風呂から上がってきてしまう。再び手を動かして残りの皿の汚れを落としていく。全ての皿にスポンジを当て終えると今度は皿に付いた泡をお湯で洗い流していく。そして全ての皿を洗い流し終え、水切り用のザルに積み上げられたお皿を見てふうと一息吐いた。後はこれを拭いて……。
「実月さ~ん……」
布巾を手に取ろうとした瞬間、背後からぬるりと迫ってくる様な声が聞こえてくる。それに驚きながら振り返ると、双葉さんが半分くらい開けられたお風呂場の扉から顔を覗かせていた。髪は濡れたままの状態で、扉からはみ出した肩の部分は布らしい物を何も纏っておらず、そんな双葉さんの姿に思わずぎょっとしてしまった。
「ど、どうしたの!?」
「その、バスタオルが無くて、どれを使っていいのかわからなくて……」
「あ、ああ……。ちょっと待ってて」
実月はいそいそとリビングへと向かう。バスタオルなどが入っている引き出しを開けて適当なタオルを見繕っている間、自分の頬が熱くなっているような気がした。そして比較的新しいバスタオルを手に取りキッチンに戻ると、
「こ、これ使っていいよ」
できるだけ双葉さんの方に目を向けないようにしながら、双葉さんにバスタオルを差し出した。
「あ、ありがとうございます」
双葉さんはバスタオルを受け取ると扉をパタンと閉めた。間もなくドライヤーの音が聞こえてきて、実月はその扉の方を呆然と眺めていた。
……こういうこともこれから増えていくんだろうか?
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