これって同棲ってやつでは?②

「おおっ、これが噂のコッペパンですね……!」


 双葉さんが目を輝かせながら、手の中で抱える包装紙の中身を覗き込んでいる。自分しかそのコッペパンの話をしていないんだけどなあと実月はつい苦笑いを浮かべたが、ちょっとオーバー気味な彼女のリアクションが可愛らしくて次第に口元が綻んでいた。


 もう少しで太陽が昇りきるくらいのお昼時と呼べるか怪しい時間。綾瀬駅の高架下に店を構えるコッペパンのお店で数種類のパンを購入したふたりは、その目の前にある公園のベンチに座って朝食兼昼食にありつくことにしたのだ。徐々に秋が深まっていく十一月の頭。今日は寒くも無く暑すぎない過ごしやすい小春日和と言えるだろう。


「じゃあ、早速いただきましょう!」

「そうだね」


 そう返事をすると、双葉さんは待ちきれないといった具合に包装紙からコロッケコッペを取り出す。実月もそれに続くように焼肉コッペを手に取る。


「「いただきます!」」


 自然とかけ声が重なり、実月は双葉さんの方を横目で見遣る。すると、同じようにこちらへ目線を送っていた双葉さんと目が合ってしまう。自分の頬がちょっと熱くなるのを感じた実月と違い、双葉さんは実月へ微笑みかけてからコロッケコッペに齧り付いた。


「ん~! 実月さんが言ってた通りですね。衣がサクサクでおいしいです」


 口元を手で隠す双葉さんは、顔の周りで花が開いたような表情で実月の方に振り向く。気に入ってもらえたようで、その顔に釣られて実月の表情も緩む。このお店の惣菜コッペの中でも、彼女が口にしているコロッケコッペは個人的にコスパが最強だと思っている。コロッケはいつも揚げたてのようにサクサクで、ソースの味が自家製のコッペパンにマッチしている、一番におすすめしたい商品だ。

 二口目に齧り付く双葉さんの姿を見届けてから実月は改めて焼肉コッペに向き直る。お店の中で炭火焼きしたお肉をコッペパンで挟んだもので、これも実月のお気に入りの一品だ。

 双葉さんに続いて実月も焼肉コッペに一口齧り付く。口に入れた瞬間からふわっと香る炭火の風味と肉の味に思わず頬と口角が持ち上がる。これだけおいしいんだから、わざわざ電車に乗って食べに行く価値はあるよなあ。そう思いながら咀嚼を進めていると、右の頬の裏側に突然ビリッと痛みが走った。


「っ! イタタ……」


 今まで自覚が無かったけれど、どうやら殴られた弾みで口の中に傷が出来てしまったのだろう。思わず右頬に手を当て顔を歪ませていると、


「大丈夫ですか?」


 横に目を遣ると、双葉さんが心配そうにこちらを見つめていた。実月はとりあえず大丈夫だと歪んだ表情を元に戻しながら取り繕う。


「まだ痛みますか?」

「いや、今のは口の中にできてた傷に滲みただけだから。たいしたこと無いよ」

「そうですか……。あの、このタイミングで難ですが、昨日はありがとうございました」


 コロッケコッペを片手に持ったまま頭を下げる双葉さん。本当に変なタイミングだなとは思ったが、もしかしたらあんな事態になったことを気にしていたのかも知れない。


「東京へ引っ越したらもう大丈夫だろうと思っていたのですが、まさかあそこまでするとは思っていなくて……」


 双葉さんはどこか申し訳なさそうな様子だ。でも、物理的に距離を置くことが出来たらそう思うのも当然だろう。実月は彼女にかけてあげる言葉が見つからないまま、また焼肉コッペを一口囓った。


「……やっぱり私のせいなんでしょうか?」


 ふと、ため息交じりに呟く双葉さん。彼女の方へ目を遣ると、その目元には陰がかかっていた。


「その……、私があの人のことを狂わせる何かをしちゃったのかなって、付きまといが始まった頃からよく考えるんですよ」


 その呟きに実月は思わず咀嚼を止めてしまった。


「彼は元々ロリコ……、幼い見た目の女の子が好みで、私はどうやら彼のタイプのドンピシャだったみたいなんです。それと、私にとってもあの人が初めての彼氏だったので……、その、私なり彼の求める事を全て叶えてきたつもりだったんですけど、それがよくなかったんじゃないかなって……」


 ……なんか色々と気になる部分が聞こえてきた気がするのだが、双葉さんが思い詰めたような表情に口から出かけていた言葉をぐっと飲み込み耳を傾ける事に専念する。そうしているうちに、自分がいま彼女へかけるべき言葉が見つかったような気がした。


「あのさ……」


 実月が口を開くと、双葉さんが実月の方に顔を向けてくる。


「その……、双葉さんがその彼にしてあげてきた事っていうのは、相手に喜んで欲しいからしてあげたんだよね?」

「……はい」


 やっぱりそうなんだな。これまで実月が双葉さんにされてきた事を思い返すと、彼女は相手のことを思って行動してるようだった。でも少なくとも実月の中では、そのせいで相手を狂わせるなんて突拍子のない考えも同然だ。


「双葉さんが相手の事を思ってしたことなら、それを責める必要はないと俺は思うよ。それよりも、双葉さんは付きまとわれたりしたことに対して嫌だってちゃんと相手に伝えたんだよね?」

「……はい」

「だったら尚更、気に病むことはないでしょ。その人の事を悪く言うのは気が引けるけど、嫌だって言われたことをやり続ける方がどう考えたって悪いでしょ? だから、そんなことで自分を責める必要はないと思うよ」


 少し言い方がキツかっただろうか? でも相手が悪いことをしたのだから、これくらいはっきり口にしないと双葉さんはいつまでも引きずってしまう気がしたので、湧き上がってきそうな申し訳なさをぐっと押さえ込んだ。

 世の中には自分の都合ばかり相手に押しつけるような人は一定数いるけど、そればかりしているとまともな人間関係なんて築く事はできない。これは学校で教えられる事ではなく、実際に他人と関わる中で自分自身で気がつくしかないことなんだろう。双葉さんの元彼は、きっとそのことにまだ気がついてないだけなのかも知れない。だからといって双葉さんや実月にしたことが許される訳ではないが、これからの彼の人生でそのことに気づくことができるのかが重要になってくるだろう。


 横目で双葉さんを見ると、彼女は口を開けて実月の顔を見つめている。彼女が今の話をどう受け止めてくれるか、実月には察することができないが、やがて双葉さんは正面に向き直ると、そうですよねと呟いた後コロッケコッペに齧り付く。そのままテンポ良く食べ進めていき、完食すると包装紙をくしゃっと握りつぶした。


「話を聞いてくれてありがとうございます」


 そう実月に向き直る双葉さんの顔からは陰が消えていた。すぐに吹っ切れる物でも無いだろうけど、彼女の気分を晴らすきっかけになれたのなら実月としても本望だ。


「いえいえ、どういたしまして」


 実月はそう返事をすると、自分の焼肉コッペに齧り付いた。


「ところで、実月さんって外食が多いんですか?」

「いや、そんなことは無いけど」

「そうなんですね。実月さんっておいしいお店をいっぱい知っていみたいですし」

「まあ、ひとり暮らししているとご飯を用意するのが面倒に感じることがあるからね。そういう時に外食が多くなるかな。俺自身がもっと料理ができたらとは思うけど……」


 一応自炊するようには心がけているものの、簡単な料理くらいしか作れずレパートリーも少ないので、お店の料理に目が留まってしまう事が多い。幸い家計を圧迫するほど食費が膨れ上がっているわけでは無いのだが、もうちょっと抑えることができたらとは思う。


「なら、今日の夕食は私が作ります!」

「えっ?」

「一宿一飯の恩義とはちょっと違うかもしれませんが、実月さんの部屋でお世話になっている間は私が実月さんのご飯を用意しますので」


 双葉さんは自身の胸に拳を当てて張り切るようにそう言い切った。そこまでしてくれるのかと言葉が出てこなかった実月に、双葉さんが更に畳み掛けてくる。


「そういう訳なので、実月さんは今日何を食べたいですか?」

「え、えっと……」


 双葉さんの話にようやく頭が追いついたと思ったら、咄嗟に食べたい物を尋ねられて言葉に詰まってしまった。


「そうだなあ……。すぐに浮かばないからちょっと時間をちょうだい。これを食べ終わったら買い物するから、その間に考えておくね」

「いいですよ。ゆっくり考えてくださいね」


 ニコニコな笑顔でそう返す双葉さんに、なんだかこそばゆい感覚が胸に現れる。何を食べたいと訊かれてすぐに答えられないなんてよくある事だと思うが、実月にとってはその感覚自体がなんだか久しぶりな気がした。

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