彼女が東京に来た理由⑥

 北千住駅の東武線改札は、帰宅ラッシュの真っ只中ということもあって入っていく人よりも出て行く人の割合が多い。今日が金曜日ということもあってか、心なしか皆一様に表情が緩んでいるように見える。

 そんな人たちを眺めながら、実月は改札のすぐ側で壁に背中を預けていた。目の前を通り過ぎていく人たちの顔をひとりひとり流し見て、その中に目的の人がいるのかを確認する。こんな待ち合わせの機会がここ数ヶ月で圧倒的に増えた気がするが、その間ずっと心臓が激しく動いている感覚には未だ慣れそうもない。そう胸の辺りを撫でていると、


「実月さーん!」


 名前を呼ばれて心臓が大きく跳ね上がった。声がした方へ振り向くと、改札からこちらに駆け寄ってくる双葉さんの姿が目に入った。黒のスーツを身につけた彼女は、幼い見た目と相まって一層社会人一年目らしさがにじみ出ている。


「遅くなってすみません」

「あ、えっと、そんなに待ってないから大丈夫だよ」


 電車を降りてからここまで急ぎ目でやってきたのか、双葉さんは肩で息をしているようだった。電車でも遅延してギリギリになってしまったのだろうか。実際のところ、ここに立ってからそんなに時間が経っていないので気にしていないのだが。


「えっと、またお誘い頂いてありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げる双葉さん。そんな彼女の顔はいつも通りというか、少なくとも沖田さんから聞いたような思い悩んでいるような様子は見受けられない。待っている間、双葉さんはどんな顔をしてここにやってくるのか、それに合わせてどう声を掛けるべきか、そういろいろと考えていたばかりだったので、つい拍子抜けしてしまった。


「う、うん。じゃあ、今日はお店を予約しててもうすぐ時間だから、早速行こうか」

「はいっ」


 そう返事をする双葉さんを連れて、実月は人波へ乗るように北千住駅の出口へと歩き始めた。


「今日は予約までしてくださったんですね」

「そ、そうだね。といっても、前に行った秋帆さんのお店なんだけど」


 今日は以前ふたりで行ったことのある秋帆さんのお店の個室を予約しておいた。もしかしたら込み入った話が出てくるかも知れないからという沖田さんのアドバイスを受けて、あらかじめ個室の予約を入れておいた。ただ、普段行くときはいちいち予約なんて入れないので、電話した時に変に声が上擦ってしまったのは口が裂けても言えない。


「おおっ。前に連れて行ってもらった時に食べた白レバーがすごくおいしかったです。また食べてみたいです」

「今日はどうだろうなあ? 日によって手に入る時と入らない時があるって言ってたし」


 そんな今日は何を食べたいかといった話をしているうちに、秋帆さんのお店が見えてくる。白い提灯から漏れる暖色の照明に照らされた店先は、目にしただけでホッと一息つける気分にさせてくれる。外からだとお店の中の様子は確認できないが、今日はかき入れ時となる華の金曜日だ。きっと賑わっていることだろう。

 引き戸を開けると、予想通りお店の中は焼き鳥や唐揚げでお酒を嗜む人たちで賑やかだった。誰もがジョッキやグラスを片手に和気藹々と談笑する中で、その間を縫うように動いていたエプロン姿の店員がこっちへ振り向く。


「あっ、いらっしゃーい!」


 実月のもとへ秋帆さんがいそいそとやってくる。その元気の良さと店の雰囲気が変わるほどの笑顔は相変わらずだ。


「ど、どうも」

「双葉ちゃんもいらっしゃい。ささ、入って入って。個室の用意は出来てるから」


 そうやって通されたのはお店の奥に障子が並んでいるところで、そのひとつを秋帆さんが開けると座布団が敷かれた小上がりと掘りごたつ風のテーブルがそこにあった。実は実月自身もこの個室を使うのは初めてで、こんな風になっていたんだなと感心してしまった。


「それじゃ失礼します」


 双葉さんが靴を脱いで個室に足を踏み入れる。実月もそれに続こうとしていたところで右肩をポンポンと叩かれる。その方へ振り向くと、秋帆さんが面白そうに口角を上げているのが目に入った。


「な、なんですか?」

「ふふっ、がんばれっ!」


 こっそり囁くような応援の声に、思わず変な声が口から漏れた。もしかして、わざわざ予約した個室に双葉さんを連れてきたものから、秋帆さんの中で何か妙な誤解が生まれているのでは? そう思って反射的に口を開こうとしたら、


「じゃあ、私はメニューを取ってくるね」


 秋帆さんはそれだけ告げて、そそくさとバックヤードの方へ歩いて行ってしまった。違います、たぶん秋帆さんが想像してることはありませんよ……。暖簾の中へ消えていくその背中にそう心の声を投げかけていると、


「どうしましたか、実月さん?」


 いつまでも個室にも入らずに呆然としていたからだろう。振り返ると、既に掘りごたつへ足を入れていた双葉さんが頭の上にはてなを浮かべながらこっちを見ていた。


「あっ、な、なんでもないよ」


 我に返った実月はようやく自分の靴を足から剥がし始めるのだった。

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