彼女が東京に来た理由③

「それにしても、映画すごく良かったです!」


 満面の笑みを実月に向けてくる双葉さん。映画を見終え、双葉さんとおやつを食べようという話になって映画館近くのカフェに入ったのだが、温かいキャラメルマキアートを口に含むその顔はつやつやしていた。実月が覚えてる限り、映画の上映中は彼女が席を外すことなんて無かったので、実月はなんだか狐につままれたような感覚に襲われていた。

 その一方で終始原作とのギャップに悩まされていた実月は、未だに引きずっている違和感を悟られないように表情を作っていた。


「うん、そうだね」

「特に私の推しの子の演技がすごく良かったです」


 双葉さんが口にする推しの子は、恐らく主人公の昔なじみの男の子役のことを言っているのだろう。そんなほくほくした表情の彼女の口からつらつらと推しの子の話が続いていく。


「あの子、三年くらい前の映画でスクリーンデビューしたんですけど、その頃は不慣れだったのか演技がぎこちなくって。それはそれで可愛かったんですけど、そこからドラマとかに出演を重ねていく毎に演技が目に見えて上達していったんですよ。この映画で集大成を見れたような気分で、ずっと追っていた身としては感慨深いですよ」


 実月はあの子がいつデビューしたのか存じ上げないものの、三年も追いかけているということは古参のファンと言えるのではないだろうか。双葉さんの語り口にはちょっと圧倒されていたものの、彼女のしみじみとした表情に思わず笑みが零れた。


「たしか『TR!CKトリック』ってグループの子だったよね。アイドルだからって思ってたけど、双葉さんの言うとおり演技が上手かったね」


 すると双葉さんがハッとこっちへ振り向き、みるみるうちに頬を真っ赤にさせていった。


「あっ、えっと、その……。わ、分かっちゃいましたか?」

「うん。この前の試聴会でも『TR!CK』の曲を聴いてたよね。俺はそんなに詳しくないけど、確かに可愛らしい顔だよね」


 そう褒めてみると途端に双葉さんの顔全体が茹で蛸のようになっていき、わたわたと両手を実月へ突き出してくる。


「あああのっ、これはですね、その、えっと、けけ決して浮気とかそういうことでは……」

「いやいや、俺はそこまでは考えてないから……」


 なんとなく今日の双葉さんの様子から察してはいたけれど、彼女なりに実月へ気を遣っていたのだろう。正直、自分より顔がいい人に見とれていたことには少し思うところはあったものの、双葉さんが言うような「浮気だ!」なんてことまでは思わない。だけど、双葉さんはしゅんと小さくなって俯いてしまった。


「その……、実月さんは嫌ですか?」

「えっと、それは?」

「彼女候補の人が……、その、アイドルのファンっていうのは……?」

「俺はそういうのは気にしないかな」

「ほ、本当ですか?」


 双葉さんが意外そうな顔でパッと顔を上げる。


「でも、こういう人が好みなのかなとは思っちゃうけど」

「あ……」


 すると、双葉さんはまたしても顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「そ、そうですね。確かにああいう可愛い感じの顔の男の人が好き、かもしれませんね……」


 徐々に言葉の歯切れが悪くなっていく双葉さん。まあ自分の好みというか性癖というか、そういうのがバレるのが恥ずかしい気持ちは理解できるのでこれ以上は何か言うつもりは無い。なんだけど、顔がいけてるアイドルに見とれている時の双葉さんを見てしまったせいか、なんとも言い表せない靄が心の中に居座ってしまっていた。

 すると、双葉さんがキッと真剣そうな表情で実月を見上げて、


「で、でも、実月さんも可愛らしい顔をしてると私は思いますよ」

「お、俺が?」


 思わず素っ頓狂な声を上げると、双葉さんがはいと念押ししてくる。それは一体どういうフォローなんだ?


「いやいや。俺はもうすぐ三十歳だから、可愛いなんて言われるような存在じゃないって。それに、さっきの『TR!CK』の子には負けちゃうでしょ」

「そんなことはないです! それに三十路が近くても可愛いと思った人に可愛いと言っちゃいけないことなんてないと思います!」


 そう主張する力強い目線に、実月の喉から出かかっていた言葉が声帯へと戻っていった。そんな価値観で接してくれているのは有り難いっちゃ有り難いとは思うけど、面と向かって言われてしまうと段々とこっちも顔が熱くなってきてしまう。


「それに、ミナトくんみたいに完全無欠なイケメンって感じの人は、正直なところ眺めてるだけで十分なんです。実際にお付き合いする人は見た目よりもその人の性格を重視したいので」


 キャラメルマキアートを一口付けてからそう言い切る双葉さん。その語り口と表情がどこか意味深に思えたのは気のせいだろうか?


「ところで、実月さんは映画どうでしたか?」


 カフェラテを口に入れようとしたところで手の動きが止まった。確かに実月から映画の感想は何も言ってはいない。ただ、あれだけほくほくした双葉さんを見てしまったので、自分が映画に感じたことが言いづらくなってしまっている。そうだね~と言葉を濁していると、


「映画を観ている間、なんだか難しい顔をしていましたけど……」


 ああ、見られてたんだな。口から小さくため息が零れた。そんな表情を見せてしまったことを沖田さんに話したら拳骨が下りるかもしれないな。

 でも、おかげで肩の力が抜けたのも事実だ。見られたのなら仕方が無い。感想は人それぞれだし……。実月は心のなかであれこれ言い訳を積み上げてから口を開いた。


「えっとね、実はあの映画の原作小説をちょっと前に読んだことがあってね。それに気がついたのは始まってからなんだけど、内容が原作と違っていたからちょっと戸惑っちゃって」

「そうなんですか?」


 驚きの表情を見せる双葉さん。原作のことを忘れたらそこそこ楽しめるのは事実なので、自分の感想はこの程度に留めておくのが妥当だろう。双葉さんをちらっと見ると、原作があったんですねと驚いている様子だ。


「そういえば実月さんって本もたくさん読んでますよね。前に実月さんの家に上がらせてもらった時に見たんですけど、本がたくさんありましたよね」

「う、うん。それなりに読む方ではあるかな」


 ……本棚、見られてたんだな。それは仕方ないが、そこにはエロゲも並べていたのでつい肩が強張ってしまった。そのことを誤魔化すようにカフェオレを口へ流し込む。すると、


「実月さん」

「は、はいっ」


 本棚のことを考えていた中で双葉さんに名前を呼ばれたので、うっかり声が裏返ってしまった。しかし、双葉さんはそのことを気にする様子は無く実月のことを見つめていた。


「この後はまだ時間がありますか?」

「……え?」

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