彼女が東京に来た理由②
有楽町駅の中央口を抜けると、目の前を様々な格好をした人たちが通り過ぎていく。いちいち目で追いかけていたら目を回しそうなほど人が多くて、もはや平日でも土曜日でも日曜日でも関係ないのかもしれない。
そんな人が行き交う有楽町駅前を見回しながら移動していくと、周辺図が描かれた案内板の前に見慣れた背丈の女の子がちょこんと立っていた。彼女も実月に気がついたようで、実月の名前を呼びながらパッと顔を明るくしてこちらに近づいてきた。
「ごめんね、遅くなって」
「いえ、私もいま来たところですので」
そう右手を振る双葉さんはどこか落ち着いた雰囲気を纏っている。今日の彼女のファッションはトップスがワインレッドのカーディガン、下はベージュのロングスカートという組み合わせで、幼さから来るかわいらしさよりも大人っぽさを感じさせるものだからかもしれない。
その出で立ちにしばらく見とれていた実月だったが、ふとこの前のデートで双葉さんと鉢合わせしたときのことを思い出す。
「あ、あの、今日は誘ってくれてありがとう」
実月としてはこの前のデートで双葉さんが口にしていた「誘ってくれたことへの感謝」を真似してみたつもりだ。だけど実際に口にしてみると、段々と双葉さんから目線を逸らしたい気持ちが強くなっていく。普段プライベートでそういったお礼を言い慣れていない証拠なのかもしれない。
そんなひとりで勝手に恥を感じている実月とは違い、双葉さんはニコニコとこちらを見つめている。
「いえいえ。この前は実月さんにお誘い頂いたので」
そういう落ち着いた様子の双葉さんを見ていると、なんだか彼女が自分よりも年上なんじゃないかって気持ちになってくる。
「それじゃ、時間が迫っているので行きましょうか」
時計で時間を確認した双葉さんに、実月はそうだねと返事をする。そしてふたりで並んで日比谷方面へと歩き始めた。
「そういえば、本当に私が観たい映画で良かったんですか?」
有楽町駅の高架をくぐり抜けたところで、双葉さんがそう実月に尋ねてくる。実は双葉さんと映画を見に行く約束をした後で彼女から観たい映画の希望を訊かれたのだが、今どんな映画が公開されているのか調べてもどれもいまいちピンとこなかったので「双葉さんが観たいものでいいよ」と答えていた。彼女もきっと何か観たいものがあったから実月を誘ってきたのだろうし。
「うん。そこは双葉さんのチョイスに任せるよ」
「そうですか」
「ちなみに、どんなのを観るのか決めてるの?」
「はい。公開されたばかりの『マコとアキラ』っていうタイトルです」
双葉さんが口にしたタイトルはどこかで聞いたことがあるような気がした。多分、出勤前に見るニュースのエンタメコーナーで取り上げられていたのをたまたま目にしたのかもしれないが。
それにしても、今日の双葉さんはどこかいつもと違うような気がする。服装もそうだけど、何というか、表情がいつもより一層ニコニコしてて足取りも軽やかに見える。
「もしかして、その映画がすごく楽しみだった?」
そう訊いてみると、双葉さんはパッと実月の顔を見上げる。その顔は漫画に出てくる光の煌めきを纏ったように明るかった。
「そうなんです! この映画、実は私が前から推してる子が出演しているんですよ」
なるほど、それならウキウキするのも納得だ。余程その役者さんのことが好きなのだろう、双葉さんの口は何かのスイッチが入ったかのように回り続ける。
「その子すっごく可愛い顔をしてるんですよ! 目もすごくキリリとしてて、本当に私と同じ人間なのかなって思うくらいなんです。それだけじゃなくてお仕事に対する姿勢もすごく真っ直ぐで、時々それが空回っちゃうこともあるんですけど、そういう所も優しく見守ってあげたくなる……」
興奮気味にそこまで口にしてから、双葉さんはハッと何かに気がついたように実月の目を見た。彼女の目には、実月がどんな様子に見えたのだろう? 途端に顔を赤らめながらあわあわし出す。
「す、すみません! いきなりあれこれ語ってしまって……」
「う、うん。全然平気だから気にしないで」
正直、いきなり人が変わったかのようにその役者さんのことを語り始めた双葉さんには驚いたが、彼女のまた新たな一面が見れたのがなんだか嬉しく思えていた。
すると、双葉さんは実月の目を強い眼差しで見つめ直して、
「で、でも一応言っておきますけど、私の一番の推しは実月さんなのでっ!」
「え……」
それは絶対と言わんばかりの真剣な表情に思わず困惑した。双葉さんからしたら大事なことなのだろうけど、その言い方だと彼女にとっての実月が芸能人と同列の存在のように思えてしまうのだが……。
「えっと、それって……」
「それより、上映時間が迫ってますのでちょっと急ぎましょう!」
双葉さんはそう口にしながら前方に顔を向けると、日比谷の商業ビルが立ち並ぶ方向へ向かって足の回転速度を上げていく。そんな双葉さんに続いて、実月も彼女の後を追うように慌てて駆けだした。
*
うーん、なんだかなあ……。
双葉さんに連れられて入った映画館で映画の上映が始まってから一時間くらい経っただろうか。スクリーンで流れるストーリーが進むにつれて、実月は自分の首が段々と傾いているの気づいていた。この映画を楽しみにしていたという隣の双葉さんには申し訳ないが、話が進むごとに実月の中では「そうじゃない」と叫びたい衝動がどんどん蓄積されていくのだ。
双葉さんに映画のタイトルを聞いたとき自分の頭に何かが引っかかる感覚があったのだが、その正体が分かったのは上映が始まってすぐだった。展開される導入のシナリオがどこかで聞いたことがあるなあと思っていたのだが、すぐに『マコとアキラ』というタイトルを思い出して合点がいったのだ。
これ、少し前に読んだ本の映像化だったんだな。
その実月が読んだ本のタイトルは映画のものと異なっていたのですぐに気がつかなかったのだが、その本はいくつか続編が存在しておりそれらを総称するシリーズ名が『マコとアキラ』だった。
その原作はそこそこ面白かったのもあり、実月はそのシナリオを思い出しながら印象に残ったあのシーンがどう映像化されるのだろうか、そんなことを考えながら映画と向き合っていたのだが……。
……なんか、思ってたのと違うな。
映画のストーリーが進むにつれて、実月の頭がそのストーリーに対して消化不良を引き起こしていた。序盤は多少のアレンジはあれど原作通りに進んでいたのだが、中盤辺りから映画のオリジナルの展開が繰り広げられており、それらを観る度に「そうじゃない」と突っ込みたくなるものだった。
特に主人公である女子高生とその昔なじみの男の子との関係が、原作を知っている故に受け付けられるものではなかった。原作だと弱小部活動の立て直しのために奔走しながら顧問の先生との三角関係を巡ってぶつかったりしているのだが、映画だとその三角関係自体が存在せず、ふたりがぶつかり合いながらも互いに意識している様子を描いている。これはこれで微笑ましいとは思えるのだが、やはり原作にはあった昔なじみの男の子が同性の先生に思いを寄せてることがわかる衝撃が無いのはちょっと残念だった。
あと、映画は部活動の立て直しを中心に描いた青春ものとなっているのだが、原作は部活動に呼び込みたい人の個人的な問題を解決するミステリー要素が中心となっているため、原作と映画では全く違うストーリー展開となってしまっている。まあ、映画という限られた尺の中でそれらをいちいち拾う余裕なんて無いから仕方がないのかもしれないが……。
そういうこともあって、この映画はもう原作の設定だけを流用した別物の作品として頭を切り替えた方がいいかもしれない。役者さんの演技も問題ないし、原作のことを忘れたらそれはそれで楽しめるのだろう。早い段階からそう考えていたのだが、ところどころでどうしても原作の展開が頭を過ってくるので、どうしても純粋に楽しめない状態になってしまっている。
そんな風に渋い顔をしながらスクリーンを眺めていたのだが、この映画を楽しみにしていた双葉さんはどう感じているんだろう? ふとそんなことが気になってしまい、彼女のいる隣の席へ振り向いてみる。あれだけ顔を輝かせていた程だったから自分と同じようになってなければいいけれど……。
でも、振り向いた先で見た双葉さんの顔は今まで見たことが無いくらいにキラキラと輝いていて、思わず拍子抜けしてしまった。スクリーンの方を一心に見つめる姿はどこかうっとりしているようにも見えて、時々その口からは感嘆のため息が零れている。
その目線を追ってみると、スクリーンではちょうど主人公と昔なじみの男の子が顔を突き合わせて軽口を言い合うという微笑ましいシーンの最中だ。
『この映画、実は私が前から推してる子が出演しているんですよ』
そういえば映画館に入る前に、双葉さんはそんなことを言っていたな。こんなにうっとりしているのは、今ちょうどその推してる役者さんが出てるからだろう。確かすごく可愛らしい顔立ちで目がすごくキリリとしてるって言ってたっけ。一体どんな女優さんなんだろう? そう思いながらスクリーンに映る主人公役の女優に目を遣ってみるが、すぐに実月の頭の上に疑問符が浮かんだ。
あれ、顔立ちが全然違くない?
主人公役の女優さんは確かに可愛らしい顔立ちだが、目はくっきりと大きいもののキリリという印象には思えない。むしろ、その印象に当てはまるのは昔なじみの男の子役の方なんだけど……。
あ、そういえば……。実月はこの前の試聴会のことを思い出していた。あの時に双葉さんが聴いていた曲は最近テレビなんかでよく見かける『
スクリーンにはちょうどその俳優さんの顔がアップになっている。顔の各パーツがはっきりと整っていて、その切れ長な目が一見しただけでは美人の女性と間違えてしまいそうな、そんな顔をしている。
もう一度双葉さんの方に目を遣ると、彼女は口を開けながらスクリーンに釘付けだった。今日だけで何度も見たような顔の輝きがより一層増しているのが薄暗い中でもよく分かる。
……もしかして、双葉さんってこういう顔がタイプだったりするのかな?
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