人を好きになるということ①

「なんというか……、大変でしたね」


 白川くんが同情の眼差しを向けてくる。まあ、そうなるよなあと納得できる反応だ。

 月曜日の朝、実月と同じタイミングで出社してきた白川くんと休憩スペースで一緒にコーヒーを飲んでいたら、白川くんの方から双葉さんとのデートがどうだったかと尋ねられた。沖田さんや阪根さんからデートの話を聞かされていたらしい。彼にそう訊かれるとは思いもしなかったが、いろいろと積もる話があったのも事実。なので、デートで起こったことを話してみたのだが、案の定途中から沖田さんと阪根さんへの文句をたらたら述べることになってしまったわけだ。


「で、最終的にはデートって感じじゃ無くなったから、白川くんも呼べば良かったかなって」

「……そんな気を遣ってくれなくていいですよ。元々は野中さんのデートなんですから、邪魔するわけにはいかないですし」


 なんだか白川くんが昨日鉢合わせしたふたりよりも大人なように思える。普段から割と冷静な彼のことだから当然のことかもしれないが、同時にそれだけの差で片付けられる物でも無いように思えてならない。


「まあでも、双葉さんとのデートは楽しかったかな。なんというか、プライベートで女の子となんでもない会話ができるって言うのがこんなに楽しいんだなって」

「よかったじゃないですか。野中さんが楽しめたなら、それでいいんじゃないですか」

「うん。そうだね……」


 実際に楽しかったのは本当だ。実月としても、女の子とのなんでもない会話というのがとても懐かしい感覚で、時々テンションが上がってしまったかなと恥ずかしくなる場面だってあった気がする。でも、それも含めて「楽しかった」と言い切れる自信はある。

 だが、実月の中でモヤモヤが残るデートであったのも事実だ。双葉さんと別れて帰宅した後も、今日食べたものと双葉さんと過ごした時間の思い出と並列して、下手に口にしてはいけないような疑問のような物が居着いてしまっている。


 コーヒーサーバーから注がれた冷たいボトルコーヒーを一口啜る。一週間の始まり特有の気怠さを払拭するのに丁度いい塩梅の苦みと甘味が口から脳へと駆け抜けていく。だが、それを以てしてもモヤモヤを払い退ける程ではなかった。

 ふと白川くんの方に目を向けると、窓を仕切る柱に背中を預けてコーヒーが入った紙コップに口を付けている。すっきりした目鼻立ちと長い睫毛を持ち合わせたその顔立ちは同性からも羨まれるものだが、良く言えば飾らない、逆なら持ち腐れてしまっているような雰囲気が付きまとっていてもったいないと感じてしまう。そんな白川くんにも……。

 すると、実月の視線に気がついたのか、白川くんがこっちに目を向けてきて、


「……僕の顔に何か付いてます?」

「あ、いやいや、そういうんじゃないんだけど……」


 ぱっと目線を逸らす。目の前のオフィスにはまだまだ人の姿が見られない。もう少し経って始業時間が近づけば、オフィスに並べられた机が人で埋まり始めるだろう。その前に、白川くんへ訊いてみるのも有りかもしれない。自分がずっと抱えているモヤモヤを晴らすために。


「あ、あのさ、ひとつ訊いてみてもいい?」


 そう切り出すと、白川くんは表情を変えず無言で首を傾げた。


「あ、別に答えたくなかったら答えたくないで全然いいんだけど……」

「まあ、構わないですけど」

「本当? 大した質問じゃないんだけどさ……」


 いいですよ、と白川くんが返事をするのを聞いて、実月は大きく息を吸った。


「白川くんって、好きな人がいたことってある?」


 質問を投げかけると、途端に自分の耳が静寂に支配されたような感覚に陥る。白川くんの表情が何か変わったということは無かったが、固まったように実月の顔の一点を見つめたままでいた。


「あ、えと、別に恋バナがしたいってことじゃ無いんだけど、誰かのことを好きになるってどういうことなのかなって昨日からずっと考えてて」


 別に双葉さんの好意を疑う訳ではないと、何度も何度も自分に言い聞かせている。それでも心のどこかで、運命を感じたなんて理由であんな簡単に好意を向けられるものなのかと疑いたくなってしまうのだ。そうやってグルグルと考え続けた結果「人を好きになるとは?」という根本的な疑問にまで行き着いてしまう。もし自分が双葉さんを好きになるとしても、何かが足りない。そんな気がしてならないのである。

 すると、白川くんは顔を逸らしコーヒーを一口啜ってから、


「まあ、ありますね」

「え、本当?」


 思わず声を張り上げてしまい思わず紙コップを持っていない手で口を塞いだ。好きな人がいたとしてもおかしくないのに、この反応は流石に失礼すぎる。


「ご、ごめん」


 謝りを入れてみたものの、白川くんの表情は相変わらずで気にする素振りも見せなかった。ほっと胸を撫で下ろしてコーヒーを口に含んだ。


「えっと、ちなみにお相手さんはどんな人だったの?」

「僕の幼なじみですね」


 幼なじみ――。漫画やアニメなどのラブコメではお馴染みのカップリング。その響きに実月の心臓が高鳴るのを感じた。


「住んでた家が近所だったこともあって、よく一緒に過ごすことが多かったんですよ。で、小学校の途中で僕の方の引っ越しで別れることになったんですけど、高校に進学したらその人と再会したんです」


 家が近所、引っ越しで離ればなれ、そして高校で再会――。ラブコメの謳い文句に使われていたら興味を引かれるワードが白川くんの口から次々と語られていく。


「で、その人と恋人ごっこをすることになりまして……」

「待って!」


 不意に飛び出した言葉に、思わず彼の語りを制止した。白川くんは何事かと怪訝そうな目を実月に向けてくる。


「……どうしました?」

「えっと、ちょっと聞き捨てならない言葉が出てきたので。恋人ごっこってどういうこと?」

「そのままの意味ですよ」


 白川くんは手に持った紙コップにコーヒーを追加していく。


「その人はギャルみたいな感じの人で、ルックスがよかったのもあって言い寄ってくる人が多かったんですよ。その中にすごくしつこい人がいてすごく困っていたので、僕が彼氏のフリをして守ってたんですよ」


 彼の口から語られたその内容に、実月は言葉を失ってしまった。こんなの、自分が知っている高校生活じゃ無い。再会した幼なじみがギャルで、言い寄ってくる輩から彼女を守るために恋人ごっこって……。白川くんの言葉を頭の中で何度並べ立てても現実味が湧いてこない。


「……それ、なんてラブコメから引っ張ってきた話?」

「……全部実話ですよ」


 冷静に返されてもう一度言葉を失う。なんと言うべきか、自分とは全く違う高校時代を送っていたという事実に心臓が凹んでしまいそうだ。そして自分のと比較して更なるダメージを勝手に食らっている状態。なんだかこれ以上白川くんの話を聞いていたら自分は真っ白な灰になってしまう気がする。


「えっと、それってあくまで彼氏のフリだよね。フリだったけど、本当はその人のことが好きだったってこと?」

「……というより、後でその人のことが好きだったんだなって気づいた感じですね。当時の僕の家はちょっと事情が複雑で、それで個人的にいろいろしんどい時期だったでして。で、その人の嘘の彼氏を演じるために一緒に過ごしていたんですけど、今思えば彼女の存在に助けられてたなって思うんですよ」


 目を少し細めて語る白川くんの姿は、まるで大切にしてきた宝物を手に取って眺めているかのようだった。つらつらと思い出を紡いでいく様子に実月の目は奪われていた。


「ただ、そうやって一緒に過ごしていたら、熱が入ってきたって言うんですか? フリが段々とフリじゃ無くなってしまいそうな所まで来てしまって、それが原因で彼女とぶつかることが増えてしまって。結局、僕がその後色々あって高校中退することになりまして、その人とはそれ以来会うことが無くなってしまったんですが、その時になって彼女を好きになってしまったからあんなことになっちゃったのかなって……」


 彼の口から言葉が途切れた瞬間、実月は静かにため息を吐いた。ある程度暈かされた話ではあったが、それでも多すぎる情報量のおかげで自分の胸がひとつの物語を最後まで見守ったような充実感に満ちあふれていた。何も言葉を発さずに白川くんを眺めていると、


「……っていうドラマをこの前観たんですよ」


 その一言に思わずズッコケた。


「えー! なにそれ!」

「野中さんの様子がフィクションであって欲しそうに見えたので」

「今の話は本当にドラマの話?」

「さあ。どっちでしょうね」


 そう意味ありげな笑みを浮かべながらコーヒーを飲む白川くん。さっきの話で胸の中に溢れていた充実感が一気に疲労感へとひっくり返り、首の後ろ辺りへ重くのしかかってくる。紙コップに口を付けながら白川くんに抗議の目線を送る。


「でも、今の野中さんだって十分ラブコメだと思いますけどね」

「そうかな?」


 まあ、確かに朝起きたら一緒のベッドで双葉さんと寝ていたというのは、どんなラブコメの始まりだよとは思ったけれども。


「野中さんはしっかり彼女さんと向き合おうとしているんですから、そういう真面目な所に惹かれたんじゃって思いますよ」


 そういうものなんだろうか? 実月は首を傾げながら、またコーヒーを口へ運んだ。

 ふとオフィスの方へ目を向けるとだいぶ時間が経ったこともあってか、まばらではあるが人の姿がちらほら見え始めている。その様子を眺めながら、白川くんの嘘か誠か分からなくなってしまった話を思い返していた。「フリがフリじゃ無くなりそう」の部分が妙に頭に引っかかってしまっている。それって、自分の気持ちに気がつかないまま止められなくなってしまったってことなんだろうか? そんなことを考えていると、


「あっ、おはようございます」


 オフィスと休憩スペースを仕切るパーテーションの陰から、阪根さんがひょいっと顔を出した。


「おはよう」

「おはようございます」


 実月と白川くんが揃って挨拶をすると、阪根さんが実月の許へすり寄ってくる。


「野中さん、話があるんでちょっと来てもらえます?」

「え、いいけど」


 そう返事をすると阪根さんはすかさず実月の手首を掴んだ。何事かと阪根さんの顔を見ようとしたが、そんな間もなくそのまま腕を引っ張られ休憩スペースから出て行くことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る