グルメデート!⑧
「……落ち着きましたか?」
横に顔を向けると、同じベンチの隣に座る双葉さんが心配そうに覗き込んでいる。大げさとも言えるくらいに空気を吸っては吐いてを繰り返し、ようやく通常の呼吸に戻ったところだ。
「……うん、ありがとうね」
「お茶、飲みますか?」
「……貰っていい?」
差し出された麦茶のボトルを受け取ると、そのまま自分の口へと運ぶ。冷たい感覚が喉を通り抜けると、汗として過剰に出ていった水分を取り戻せたような気がした。
「具合の方はどうですか?」
「あ、うん。とりあえずは大丈夫かな。ありがとうね」
ボトルの蓋を閉め、飲み過ぎちゃってごめんねと一言添えて差し出す。双葉さんはそれを受け取ると自分の膝元へ持っていき、そのまま顔を俯かせた。
「その……、すみませんでした」
おずおずとこっちに振り向いた双葉さんが頭を下げる。どうして実月が謝罪されるのか、その意味がわからなくて言葉に詰まってしまった。
「えっと、それは……」
「私があんな態度をしてしまったせいですよね」
「いやいや。多分さっきお酒飲んだから酔いが回って、それに今日はちょっと暑いからそれにやられちゃっただけだよ」
嘘を吐いた。咄嗟に口から出てしまったけれど、お酒のせいじゃないっていうのは自分の身体のことだからわかる。それに謝るべきは、双葉さんにあんな態度を取らせてしまった自分の方だ。そう思ったら居ても立ってもいられなくなり、勢いよくベンチから立ち上がると双葉さんへと向き直った。
「俺の方こそごめん!」
立ち上がった時の勢いのまま、身体を前に九十度曲げる。きっと双葉さんは唖然としているだろうし、実月の姿を見かけた周囲の人は何やってるんだこいつと言いたげな目線を向けているだろう。それでも実月はそのまましばらく頭を下げ続けた。双葉さんから何かアクションがあるまで下げ続けるつもりだ。
でも双葉さんからのアクションは何も無く、おそるおそる顔を上げると彼女は真っ直ぐに実月を見つめているだけだった。
「その、俺が双葉さんを不快にさせることをしちゃったからだよね?」
そう訊いてみるも、双葉さんは口をぎゅっと結んだままだった。
「えっと、その……。俺のどんな振る舞いがそうさせちゃったのか見当がつかないんだけど……」
そこまで口にして「見当がつかない」という言い方はマズかったかなと頭に過った。しかし口から一度出てしまった言葉を捕まえて口の中へ戻すのは不可能なので、そのまま双葉さんの目を見た。
「だからその、できるだけ……じゃなくて、今後そういうことが無いように気をつけるようにするから、何が気に障ったのか教えて欲しいんだ」
こんなことを本人に直接訊くべきことなのか、恋愛経験が乏しい実月にはよくわからない。けれど、せめて誠意として改善の意思を見せるべきだと思う。だから双葉さんの目をまっすぐ見つめて訊いてみた。
これに双葉さんがどんなことを言ってくるだろうか? 心臓が大きく脈を打ち、額から一粒汗が転がり落ちていく。周りで通り過ぎる人たちの話し声が行ったり来たりする中で、自分と双葉さんとの間の沈黙がしばらく続いた後、双葉さんは顔を伏せた。
「その、すごくくだらないことなんですけど……」
すごく言いづらそうに握った手で膝を小さく擦っている。それでも実月は黙って双葉さんの言葉を待っていた。ゴクリと唾を飲み込んだ数秒後、双葉さんがパッと顔を上げた。
「実月さんは巨乳が好きなんですか?」
「……へっ?」
双葉さんの口から出てきた質問に、思わず間抜けの声が出てしまった。
「さっきの後輩さんの胸を見てましたよね。頻繁に。試聴会の時もそうでした。やっぱり大きいのが好きなんですか?」
いきなりなんてことを訊いてくるんだ! まさか自分の目線の行方を追われていたとは思いもよらなかったので、顔中が一斉に火を点いたように熱くなった。これには一体何と言い訳したらいいんだ? いや、いっそのこと言い訳を放棄して逃げ出してしまいたいのだが、双葉さんの真剣な目線は逃走という選択肢を許してくれないだろう。
「え、えーっと……」
「どうなんですか?」
言葉に詰まる実月へ向けられる目線が槍のように鋭くなる。もう下手に言い訳なんて並べたら、このまま思いっきり刺されてしまいかねないだろう。
「は、はい……」
観念したように答えると、双葉さんは頬を膨らませて自身のなだらかな胸元に両手を当てた。
「……やっぱりそうなんですね」
ぼそっと呟く声が聞こえる。その瞬間、派手な炸裂音が頭の中で鳴り響いた。その罪悪感が実月の背中へ猛烈な重力を持ってのしかかってくる。
「ごめんなさいっ! 軽率でした!」
反射的に身体を前へ折り曲げて謝る。思い返せば、阪根さんに限らず胸が大きい人が目の前に現れたとき、その人の顔よりも胸を見ていることが多い気がする。もしかしたら相手にはそれがバレてるかもしれないというのは念頭にあるのだが、それでも目線がそこへ吸い寄せられてしまうあたり、それが野中実月という男の性なのかもしれない。
だが、今はそのせいで地雷を踏んでしまった訳だ。実月の頭の中ではわずかに思い浮かべていた双葉さんとのこれからの想像図が音を立てて崩れていく。ああ、終わった……。心臓に真っ黒な風穴が開いたように息が苦しくなっていく。次に顔を上げた時には、そこに双葉さんの姿は無いだろう。やっぱり俺に誰かを好きになるなんて……。
しかし、
「別にいいんですよ」
「……え?」
覚悟を決めた実月が思っていたのとは違う展開に思わず顔を上げた。しかし、そこに居る双葉さんは相変わらず頬を膨らませたままで、実月の頭にはてなマークが生まれ落ちる。
「私はスケベなことを怒ってるんじゃ無いです。ただ、私の好きな人が私の持っていない物に惹きつけられているのを見ると、なんか悔しくなってくるんです」
そう話しながら双葉さんの目線が徐々に下がっていく。
「高校生の時、好きな人に告白したことがあったんですけど、俺は巨乳が好きだからって言われて断られたんです。それ以来コンプレックスと言いますか、どうしてもほかの人と自分のものを比べがちになってしまうんです。特に、私のふたりの妹がそれぞれ高校生と中学生なんですけど、なぜかふたりとも私よりも大きいんですよ。同じ遺伝子を受け継いでるはずなのにどうして……」
段々と目を細めて恨み言のようなぼそぼそとした語り口になっていく。その背中からは真っ黒なオーラがじわじわ滲み出ているように見え、実月は苦笑いすら浮かべることもできず困惑まま顔が固まってしまった。
「う、うん。わかったよ。わかったからさ……。とりあえず、顔を上げてくれるかな?」
今の自分に「わかったよ」は相応しくないと思うのだが、それしか浮かばなかったので仕方なくそれで双葉さんをなだめる。顔を上げた彼女の目は生気を半ば失いかけているように見えた。途端に楔が打ち込まれた時の痛みに似た物が胸に広がっていく。
「その、本当に軽率だったよね。ごめんなさい」
まずは一言だけ告げて頭を下げる。すごく言葉選びが難しい。でも、これからはそういう軽率なことをしないよう気をつける。その意思を示さなくてはいけない。
「えっと、これからは双葉さんの前では……じゃなくて、双葉さんが嫌だと思うことをしないように気をつけていくから」
双葉さんの目を真っ直ぐに見つめて伝える。生気を取り戻した彼女の目線と重なっているが、絶対に逸らしてはいけない。顔を動かしたい気持ちをぐっとこらえて、双葉さんからの返事を待った。
すると、双葉さんはベンチからすっと立ち上がった。その勢いに思わず全身を強張らせていると、双葉さんはスタスタと実月の側までやってきた。と思ったら、実月の左腕に手を伸ばすとそのまま自分の両腕で絡みついてきた。思わぬ行動に呆然としていると、
「もういいですよ」
「へ?」
何がもういいのか、困惑しながら双葉さんの顔を見る。彼女はこっちに目を向けないまま、ツンとした表情をしている。
「別に私がただ単に気にしてるだけですし。でも気をつけてくださいね。私、こう見えて結構やきもち焼いちゃうタイプなので」
これは許されたって理解していいのだろうか? しかし、双葉さんは口を尖らせたままなので全然許されたという気がしない。そして、彼女はピタッと身体を密着させて実月の左腕をがっちりホールドしており、放してくれる素振りは全くない。そのせいで実月の左腕はふたつの小さくて柔らかいものの間にすっぽり収まっており、ますます困惑に拍車が掛かる。
「あ、あの、双葉さん?」
「それと、私はこれでもCはありますから」
「え……?」
それって、今自分の腕に当たっている物のことを言っているのだろうか? あまりにも生々しい感触も相まって言葉に詰まる。そんな困惑状態を知ってか知らずか、双葉さんはCでも十分じゃないですかと言いたげに左腕へ更なる力を込めてくる。
「いずれは、私ので実月さんを満足できるようにしてあげますので」
「ちょ、それどういう……」
「それじゃ、もう一度さっきの列に並びましょう!」
実月からの言葉を待たずに、双葉さんは実月の左腕をぐいっと引っ張り出した。彼女の顔に目を遣るとさっきまでのむくれ面はどこへやら、ウキウキな笑顔を見せながら前へ歩き出そうとしていた。無く足下が躓きそうになりながら引っ張られる実月の困惑は未だに拭えなかったが、双葉さんのどこか嬉しそうな表情を目にして安堵の息が漏れたのだった。
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