グルメデート!⑥

「おぉ、これはすごい……」


 合流した双葉さんの戦利品を見て思わず息を飲んだ。器の上で賽の目状になった鮭の刺身といくらが宝石のようにキラキラと輝いていたからだ。

 しかし、それを両手に抱える双葉さんは申し訳なさそうに目を伏せていた。


「本当はふたつ買えれば良かったんですけど、思ったよりも高かったので……」

「それは仕方ないからさ、分け合って食べようよ」


 そうなだめると、双葉さんは顔を上げてはいと言ってくれた。一人前のお茶碗よりもちょっと大きい程度の器に盛られた鮭いくら丼が、一杯で千四百円と聞いた時は実月も驚いた。一応ネタは山のように盛られているものの、それでも目玉が飛び出そうな価格設定はイベントだからなのだろう。こればっかりは良い素材を使っていると自己暗示して溜飲を下げるしか無い。


「ほら、早速食べようよ。こっちは双葉さんの分の甲羅焼きもあるからね」


 まだちょっと元気がなさげな双葉さんの目の前に甲羅焼きを差し出す。


「あ、ありがとうございます。わざわざ私の分まで。先にこれを食べますか?」

「いや、双葉さんが食べたいって言ってた物だから、双葉さんが先でいいよ」

「じゃあ、お先にいただきます」


 胸の前で両手を合わせてから割り箸を手に取る双葉さん。パチンと気持ちよく真っ直ぐに割れた箸で鮭いくら丼を掬い上げると、そのまま自分の口へと運んだ。すると、彼女の目がみるみるうちに輝きを取り戻した。


「すごくおいしいです!」

「そうなんだ」

「はい! ごま油が良く効いてておいしいです」


 双葉さんがどうぞと箸を差し出すので、それを受け取りお米と具を掬い上げて自分の口に運ぶ。途端に口の中から香ばしい匂いが鼻へと入り込んだ。


「本当だ。これは漬け丼なんだ。おいしい」


 思わずもう一度箸で掬い上げて口に運ぶ。ごま油だけじゃ無く、醤油の風味も食欲を刺激する一手を担っているようだ。一手間掛かっているのならあの価格設定も納得できそうな気がする。まあ、それでも器の大きさを考えると割高感は否めないが……。

 そのまま箸が進み、気がつくと鮭いくら丼は器の半分くらいが消えていた。流石にこれ以上食べるのは忍びないな。


「勝手に半分くらい食べてごめんね。残りは双葉さんがもらって良いよ」

「もういいんですか?」

「うん。俺はこれくらいで充分だよ」


 鮭いくら丼を差し出すと、双葉さんはありがとうございますと言いながらそれを受け取る。そして、そのまま箸で残りの鮭いくら丼を口へと運んでいく。その度に表情がほぐれる双葉さんがとても可愛らしくて、つい自分の頬もほぐれてしまう……ってあれ?

 双葉さんがいま鮭いくら丼を食べるのに使っている箸は、さっき自分が食べる時にも使っていた箸だ。双葉さんから器と一緒に差し出されたからそのまま使っちゃったけど、それって……。


「ところで実月さん」

「へっ? な、何?」


 固まっていたところで双葉さんに声を掛けられ、思わず素っ頓狂な声が出てしまう。そんな実月をよそに、双葉さんは実月の手前にある物を凝視していた。


「さっきからずっと気になってたんですけど、それは何ですか?」


 双葉さんが興味津々に見つめていた物は、透明なプラのコップの中で泡立つ青色の飲み物だった。


「こ、これ? これは流氷ドラフトっていうお酒で、さっきの甲羅焼きのお店で売ってたんだよね。実家に帰ってもなかなか飲めない物だからさ」


 流氷ドラフトの存在は上京する前から知っていたが、実家がある小樽でもなかなか見かけることが無い。見かける機会はもっぱら今日のようなイベントくらいだ。まだ正午にもギリギリ至っていない真っ昼間から飲酒なんて柄では無いが、こういうイベントだしせっかくなので買ってきたのだ。


「へえ、そんなお酒があるんですね。ちょっと頂いてもいいですか?」

「え。いいけど、それ発泡酒だよ」


 双葉さんはビールが苦手って言ってたはずだけど、実月の忠告よりも初めて見た物への興味が勝ってしまっているのだろう。流氷ドラフトが入ったコップを手に取ると、そのままコップの縁に口を付けた。だけど、ほんの少し口の中へ流し入れてすぐに、双葉さんは顔を歪ませた。


「ぅ……、本当だ。こんな爽やかな色で、味はしっかりビールなんですね」

「でしょ?」


 双葉さんから流氷ドラフトが戻ってくる。それを何となく手に取るとそのまま自分の口へ運ぼうとしたが、口を付ける直前でハッと手を止めた。いま口を付けようとした部分が濡れてキラッと光っている。ここって確か……。


「どうしましたか、実月さん?」


 コップを持ったまま固まっていると、双葉さんが頭の上にはてなマークを浮かべながら実月の顔を覗き込んできた。


「あ、えっと……」


 どうしよう。自分と双葉さんがさっきから間接キスをしまくっている、とは口にすることができない。しかし、じんわりと顔が火照っていく実月とは対照的に双葉さんはそのことに気がついていない様子だ。それなら、あえて言う必要は……。


「な、なんでもないよ」

「そうですか?」


 双葉さんが不思議そうに見つめる中、実月はコップに口を付けて流氷ドラフトを流し込むとそのままテーブルの上にコップを置いた。間接キスだと気がついてない素振りで乗り切ろうとしたが、そのせいで流し込んだ流氷ドラフトの味わいや余韻がどんな物だったかが頭に入ってこなかった。

 すると、双葉さんの口からあっと言う声が漏れた。彼女に目を遣ると、頬がほんの少し紅潮しているように見えた。


「どうしたの?」

「い、いえ。今のは間接キスだったなって」

「っ――!」


 気がついてしまったか。何となくやり過ごせたと思っていただけに、あまりの気まずさについ目を逸らしてしまった。


「すみません。実月さんはこういうの、気にする方ですか?」

「い、いや、そんなことは無いよ」

「あ、よかったです。私もあまりそういうのは気にしない方なので。むしろ実月さんだったら……」

「……へ?」


 この子、今さらっと変なことを口走ろうとしませんでしたか? アワアワと両の手のひらを振って見せる双葉さんの顔はカニのように真っ赤だった。


「いえっ、なんでもありませんっ」


 それだけ口にすると、双葉さんはぷいっと顔を逸らしてしまった。もしかして、双葉さんってちょっとムッツリだったりするのかな?



「ところで、実月さんは北海道の出身って言ってましたよね」

「そうだよ」

「ご兄弟とかいらっしゃるんですか?」


 鮭いくら丼と甲羅焼きを堪能した後、次の目当てである三陸産鱈のフィッシュアンドチップスの列に並んでいると、双葉さんが唐突にそう切り出した。


「うん。姉さんと兄さんがひとりずつ」

「ということは、実月さんは末っ子なんですね」

「そうだね」

「何となくですけど、そんな気がしてたんですよね」


 実月自身は末っ子っぽさとか、そういうことを今まで気にしてこなかったが、どんなところからそれを感じ取れるものなんだろう?


「ちなみに私は四人姉弟の一番お姉ちゃんなんですよ」


 双葉さんが両手を腰に当ててそう話す。


「そうなんだ。てか、結構な大家族なんだね」

「はい。だから、私の実家はいつも賑やかなんですよ。一番下の妹が今年で中学三年なんですけど、その子が小さい頃は私も積極的に面倒を見てあげてたんですよ」


 実月が末っ子だからと知ったからか、こんな見た目だけどちゃんとお姉ちゃんなんですと言いたげにフンスと鼻息を立てている。そんな得意げな表情が可愛らしくて、つい口元が緩んでしまう。

 そんな会話をしていると、実月達が並ぶ行列のすぐ横から誰かが張り上げた声が耳に入った。かと思ったら、その直後に実月の左足を冷たい感覚が襲った。驚いて足下に目を遣ると、何かの液体が実月の靴とズボンの裾を濡らし、その近くで空になったプラコップが転がっていた。


「ちょっと大丈夫、へっきー?」

「ああっ、ごめんなさい!」


 転がっているコップの持ち主だった男の人がパッと深く頭を下げてきた。その人に帯同していた女性もその横で頭を下げる。大方、この人混みの中で躓いたか、誰かに押されてバランスを崩して転びそうになったのだろう。


「ああ、全然平気ですよ。そっちこそだいじょ……」


 転びそうになっていた相手を気遣おうとして、その言葉が途中で途切れた。真っ先に頭を下げてきた男性はともかく、女性の方には見覚えがあったからだ。


「……阪根さん?」


 その名前を口にすると、女性はおそるおそる頭を上げてこちらに目を向ける。その瞬間に阪根さんの口からあっと言う声が漏れ、その隣で男性の方は不思議そうに実月と阪根さんを交互に見比べていた。

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