グルメデート!⑤

 地下鉄を降りて地上へ出ると、歩道を行く人たちが日比谷公園の入り口へ吸い込まれていくのが見えた。そのほとんどは実月たちと同じくグルメフェスが目的なのだろう。その流れに乗ってゲートをくぐると、賑やかな音楽がかかる中で多くの人が入り乱れていた。


「わあ、すごく賑わってますね!」

「そうだね。でも、こんなに混むならもうちょっと早く来た方がよかったかも」


 一番混むであろうお昼の時間に対して余裕を持って到着する予定だったのだが、いくら休日だからとはいえこの人の多さは予想外だ。賑わっているのはいいことだけど、これだけ人がひしめき合うっているとこの中に飛び込むには一息置きたくなってしまう。


「実月さん、まずはどれから行きますか?」


 会場のマップを広げながら実月を見上げる双葉さんは、自分と違ってこの人混みを前にしても落ち着いているようだった。


「双葉さんが食べたいって言ってたやつ、行ってみる?」

「いいんですか?」

「海鮮丼みたいなやつは人気だからね。行列ができてるかも知れないから早めに行っておいた方がいいと思うんだ」

「なるほど。さすが実月さんです」


 別にさすがと言われるようなことでもないと思うけれど、そう言われて悪い気がしないのも事実。


「海鮮丼のお店は……、あっちですね」


 双葉さんが指差した方へ向かって並んで歩きだす。だが、お店へたどり着くための通路は滅茶苦茶混んでいて流れがスムーズでは無かった。動脈硬化を起こした血管のように通路の両側で行列が形成されているせいで、真ん中部分は人同士がすれ違うだけでも一苦労だだった。おまけに途中の横道から人が合流したり出て行ったりの繰り返し状態だ。

 普段なら自分ひとりだけで回るので問題ないけど、今日は双葉さんが居る。下手すると人が間に割り込んできてはぐれてしまうかもしれない。


「双葉さん、大丈夫?」

「はい、大丈夫ですよ」


 振り返ってみると、双葉さんは実月の身体にピタッとくっつくようにしていて、どこか不安げに見える。そんな彼女の顔の前に、実月は自分の左手をおもむろに差し出した。


「え?」


 きょとんと実月の顔を見上げる双葉さんを見て、思わずハッとなった。


「あっ、ええっと、これはそのはぐれないようにしなきゃと思ってそれで……」


 この混雑に乗じてそっと手を差し出すとか下心があるんじゃないかと疑われるような気がして、口が矢継ぎ早に否定の意図を並び立てていく。顔中がどんどん熱くなっていくが、双葉さんは実月の左手に自分の手を重ねてきた。


「えっ?」

「ありがとうございます」


 頬を赤らめながら微笑みかける双葉さんが実月の手をぎゅっと握ってくる。思わずその手に目を落としていると、


「実月さん、前が開いているので進みましょう」

「あ、ごめん」


 振り返ると前の人との距離が空いていたので、実月は双葉さんの手を握り返して再び歩き始めた。だけど、実月の意識は自分の左手に集中していた。

 いま自分は双葉さんと手を繋いでいる。それだけでも信じられないことだけど、その手がほんのりと温かくてちょっと湿っぽい。そしてすべすべな触り心地でフニフニと柔らかい。これが女の子の手なのか。その感触の全てがリアルで心臓が暴れ出しそうだった。できるなら、このまましばらくはその感触を味わっていたい。そんな気持ちの中に浸っていると、


「あ、実月さん。ここですよ」


 双葉さんがもう片方の手で指差した方を見ると、お目当ての海鮮丼を出すお店のブースがそこにあった。鮭の刺身といくらが山のように盛られている写真を大きく掲げるそのお店には、もう既に注文口からの行列が形成されている状態だった。


「もうこんなに並んでるんですね」

「なんか札幌の居酒屋が出してる所みたいだからね。北海道だからいい物を使ってそうだからね。とりあえず並ぼうか」

「はい」


 行列を辿っていくと数えるのが嫌になるほどの人が並んでいる。最後尾に到着して列に加わるが、その地点はお店までの距離がかなり生まれてしまっている。


「いま写真を見たら、ウニ乗せっていうのもあるんですね。ちょっと高かったですけど」

「ウニ乗せにしてみる?」

「実月さんはウニ食べたいですか? 私はどちらでもいいですけど」

「うーん。ウニはウニ単体で食べてみたい気持ちが強いんだよな」

「じゃあ、普通の鮭いくら丼にしましょうか」


 ……すごい。双葉さんと何を食べたいかという会話している。普段はひとりでこういうグルメイベントを巡っているから、こういう風に誰かと何を食べるかという会話をしていること自体が新鮮な気分だ。

 しかし、行列の進み具合はあんまりよろしくない。カタツムリのようなスピードで進んでいる感じで、この様子だと早くても二十分くらい掛かってしまうかもしれない。


「……実月さん?」


 はっと気がつくと、双葉さんが首を傾げていた。


「あ、ごめんね」

「何か気になる物でもありました?」

「えっと、そうじゃないんだけど……」


 せっかく双葉さんとふたりで巡っている訳だから、どちらかがここに残ってその間に別の物を買ってきて後で合流するという動き方をしたほうが効率的だろう。だけど、せっかくのデートでそんなことしていいのかがわからず、そんな考えを口にしてもいいのかもわからない。すると、


「もしよろしかったら、ほかのところを見てきます?」

「えっ、いいの?」


 まさか双葉さんの方からそう切り出されるとは。一種の免罪符を出してくれたようなものだから有り難いのだが、それを素直に受け取っていいのかという抵抗もあるわけで……。しかし、双葉さんはそんな実月の不安を読み取ったのか、にこやかな顔で続けた。


「いいですよ。私はここに並んでいますので、その間に実月さんが食べたい物を買ってきてください」


 ……双葉さんがいいと言っているんだから、ここはお言葉に甘えるべきだろう。実月は心の中でよしと呟いて、


「わかった。じゃあ俺はちょっと行ってくるね。そうしたら……、向こうの飲食スペースの入り口で待ち合わせようか」

「はいっ」

「あ、もしよかったら双葉さんの分の飲み物とか買ってくるけど」

「いえ、私はお茶を買ってきてるので大丈夫です」

「そっか。じゃあ行ってくるね」


 お気を付けてと双葉さんの言葉を背中に受けて、実月は列を抜けた。未だにいけないことをしているような気持ちが拭えないが、双葉さんがせっかくいいですよと言ってくれたんだからと言い聞かせ、再び通路の流れの中に加わった。

 それじゃあ、カニの甲羅焼きを買ってこようかな。せっかくなら双葉さんの分も買ってきてあげよう。会場マップを広げて甲羅焼きを売っているお店の場所を確認すると、その方向へ足を進める。


 そんな実月の視界の隅に人の顔が通り過ぎる。いや、既に何十人とすれ違っているのだけれど、なんだか見知った顔がそこに居たような気がしたのだ。その顔が通り過ぎていった方を振り向くが、同じような後ろ姿しかそこには無かった。

 ……気のせいか。いろいろと気にし過ぎなことが多い気がするから、そのせいだろう。実月は人の流れの先へ視線を戻し、甲羅焼きのお店へと向かった。

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