仕事の幅④
「それはまあ、いろいろ大変でしたね」
助手席に座る白川くんが他人事のように呟く。そんな彼に対して、後部座席の阪根さんは喜々とした口調で双葉さんがやってきた時のことを話し続ける。
「それで、野中さんが配信に出ることを話したら、スパチャ頑張りますって。可愛くないですか?」
「スパチャって?」
「動画の視聴者がその配信者に投げ銭することですよ。お金と一緒にコメントを送れて、読んでくれる確率も上がるんですよ」
「あー、だったらうちの商品を買ってくれた方が有り難いですよね」
「そんなことはっきり言わない!」
すっかり日が沈んだ国道四号で社用車のハンドルを握る実月によそ見をする余裕はない。せいぜい前方を中止しながら、ふたりの会話に割り込む程度で精一杯だ。試聴会と配信をつつがなくこなしたとはいえ、会社に戻るまでが今日の業務だ。まだまだ気が抜けない。
「そういえば配信中のコメントを見てたんですけど、やっぱり『Yukiguni Sound』は注目度が高い印象でしたね。質問が結構たくさん流れてきてましたね」
「まあ、久しぶりに出てきた国産ブランドだからね。気になってる人は多いはずだよ」
配信に出演していた実月もそれらのコメントがあったことは把握している。ポータブルオーディオは最近スマホに押され下火気味なのだが、それでも注目してくれている人たちは存在するわけで、それに対して自分は売り手として何ができるかをつい考えてしまう。
「ああいうコメントとか見てると、うちが最近始めた試聴貸し出しサービスをする意味があるんだなって思いますね」
「東京だと試聴できる大きな店が多いからいいけど、地方はそういう店がそもそも無い所が多いし、試聴会やりますってなっても会場が東京と大阪だったりすることが多いからね」
さっきまでと打って変わって、仕事のことを真面目に話す阪根さんと白川くん。ふたりは明日も出勤なので試聴会が終わったら先に帰ってもいいと伝えてはいたのだが、ふたりとも会社に戻るところまで付き合ってくれている。仕事に対して興味を示す素振りを見せてくれて、会社の先輩として嬉しい限りだ。
「あと、双葉ちゃんからのコメントっぽいものもありましたね。『配信頑張ってください!』って」
それは実月も把握していた。というのも実月が配信に登場してすぐに双葉さんからと思われるコメントがあり、それを見た進行役のスタッフさんに「野中さんには熱心なファンがいるんですね」といじられた。ただでさえ緊張していた中でのアレだったので、一瞬で頭が沸騰しかけたのは言うまでも無い。
「愛されてますね。ゾッコンじゃないですか」
バックミラー越しで阪根さんが面白そうに実月を見つめるので、たまらず前方に目線を戻す。ちょうど赤信号が青に切り替わったところだ。
「うん。俺としてはなんでそこまでって感じだけど」
「やっぱりビビビってくるものがあったんじゃないですか。ところで、双葉ちゃんとはどこまで行ったんですか?」
「ど、どこまでって」
「そりゃ、キスしたとか……」
「いや、まだそんなんじゃ無いから!」
思わずアクセルを踏む足に力が入りそうになるのをぐっとこらえる。いくら明るい都心の道路でも夜道であることに変わりないのだから、変なことを言い出さないで欲しい。
「前も話したけど、まずは友達から始めようって」
「そこから進展はないんですか? デートは何回行きました?」
後部座席から身を乗り出すばかりの勢いで食い下がる阪根さん。
「で、デートって、さすがにまだ早いんじゃ……」
「でもデートしなきゃアピールも何もできないじゃないですか」
阪根さんの正論に言葉が喉奥に引っ込む。まずは友達から始めてお互いを知っていこうと提案したのは実月自身だ。それなら、自分からそういう機会を作っていくのが当たり前だろう。
「阪根さん、野中さんには野中さんのペースがあると思うから、あんまり茶々を入れる物じゃないよ」
押し黙っていたところに横槍を入れてきたのは、ずっと興味なさそうにガラケーをいじっていた白川くんだった。
「野中さんは今までそういう経験が無かったんだから慎重になるのは仕方ないと思うけど」
「でも、私からしたら双葉ちゃんから逃げてるようにしか見えないですよ」
阪根さんの「逃げてる」がぐっと突き刺さる。自分ではそのつもりはないのだが、傍からはそう見えてるんだな。この前一緒にご飯を食べたときにホッとした気持ちになれた気がしたが、それは無意識に逃げたいという気持ちがどこかあったせいかも知れない。
「じゃ、じゃあまたご飯に誘ったほうが」
「そんなんじゃダメです!」
文字通りに後部座席から身を突き出してくる阪根さん。その勢いにうっかりハンドルを握る手がぶれそうになった。
「例えば一緒に映画を見に行ったり、遊園地へ遊びに行ったり、休日を目一杯使って一緒に過ごすべきです。デートってそういうものですよ。だから、今から双葉ちゃんをデートに誘いましょう!」
「い、今からって、俺運転中だけど」
「メッセージを送るのは会社に戻ってからでいいので、今は双葉ちゃんに送るメッセージを考えましょう。白川さんと一緒に添削しますよ」
その一言に、白川くんはガラケーに落としていた目線をパッと阪根さんへ向けた。
「な、なんで僕も?」
「だってそういう経験豊富そうじゃないですか。学生時代とかさぞおモテだったでしょ?」
「そんなこと全然無いけど。むしろそういうのとは無縁だったから」
「またまた~。嘘吐かなくていいですよ」
追求の構えを示す阪根さんに、白川くんは明らかに困惑しているのが伝わってくる。
「いや、今日はもう遅いからさ、明後日沖田さんに相談しながら考えるよ」
「ダメです! だって今は“配信見てくれてありがとう!”って言える絶好のタイミングじゃないですか。そこから“今度デートに行きませんか?”って繋げやすいから、後から誘うより今の方がぐっと誘いやすいですよ」
バックミラー越しの阪根さんは、なぜかやる気に満ちた目で実月を見つめていた。会社に戻る車の中、運転中の実月にその圧から逃げる術はない。これなら無理にでも先に帰ってもらったほうがよかったかも知れない。
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