仕事の幅③

「……うーん」


 厳しい顔から漏れる呻き声に、実月は唾を飲み込む。今、目の前でYukiguni Soundのプレーヤー『雪解ゆきげ Melty Snow』を試聴しているのは、オーディオ界隈では有名なブロガーのジーマさんだ。何度か顔を合わせたことのある人物だが、自分がおすすめできない製品にははっきりと「買うな!」と言い切るので、つい緊張から汗にまみれた手をぎゅっと握っていた。

 四分ほど試聴して、ジーマさんがイヤホンを耳から外す。


「……なかなかいいじゃないですか」

「あ、ありがとうございます!」


 さっきの表情とは裏腹な評価が飛び出て、ほっとため息が漏れた。


「ぶっちゃけ派手さは無いですけど、音のバランスはフラットで透明感は高いし真面目に音楽を聞かせてくれるって感じですね。結局こういうのが飽きずにずっと付き合えるんですよね」

「何か気になった部分とかございますか?」

「音は別に不満は無いですけど……、操作性がもっさりしてるのはちょっとなあ」

「そうですよね。そのあたりはアップデートでなんとかできないか、検討をお願いしてみます」


 やっぱりそうだよなあと、つい苦笑いを浮かべてしまった。もっさり操作性は実月自身も感じたストレスポイントだし、本機を試聴したほかの人たちも言葉を揃えて同じことを指摘している。後で三枝さんにきちんと報告しておかないと。


 午前十時から始まった試聴会。実月の会社のブースは開始からそこそこの盛況ぶりだった。人気のベル・オーディオの新作イヤホン『Carillonカリヨン』に加え、SNSで告知していた新ブランドの製品が話題だったので、おやつ時を過ぎてもそれらの試聴を求める人が絶えなかった。


「なかなか好評みたいですね」


 試聴客が入れ替わるタイミングで阪根さんが話しかけてきた。ちなみに、白川くんは午後四時からの整理券配りに行っている。


「そうだね。いい報告ができそうで安心するよ。ところで、さっき来てた人って知り合い?」


 実月がジーマさんの対応をしていた間、阪根さんは隣で別のお客様の対応をしていたのだが、そのやりとりが知り合いとのもののように思えた。一応しっかりと商品の紹介とかはしていたけれど、ところどころ敬語が外れてたりして気になっていた。すると、阪根さんはバツが悪そうな顔をしながら、


「えっとですね、さっきのは私の彼氏なんですよ」

「あっ、そうなの?」

「なんか私の仕事してる様子を見たいって来ちゃったみたいで……」


 阪根さんには大学生の彼氏がいるって聞いたことがあったけど、チラッと横目で捉えた感じはあどけなさが残る中性的な顔立ちで、お姉さんとその年下彼氏という雰囲気がそのまま似合う印象。そんな彼氏さんは、どこかやりづらそうに説明する阪根さんをニヤニヤと眺めていて、それがなんだか一種のプレイなんじゃないかと思えてしまった。


「まあ、ちゃんと応対してたからいいけど、今は仕事中だってことを忘れないようにね」

「すみません」


 申し訳なさそうにぺこりと頭を下げる阪根さん。けど、彼女はしっかり商品説明をこなしていたので、これ以上とがめるつもりは無い。きっと阪根さん自身も知らされて無かっただろうし。


「あのー」


 次の試聴客がやってきたのだろう。唐突に聞こえてきた女の人の声に、実月は反射的に椅子から立ち上がる。


「あっ、どうぞ。そこに座ってくだ……」


 正面に顔を向けて椅子への着席を促そうと手を伸ばしたところで、実月は一瞬フリーズしてしまった。


「ふ、双葉さん!?」


 そこにいたのは、少し緊張した面持ちで実月のことを見つめる双葉さんだった。


「こ、こんにちは、実月さん」

「えっと、どうしてここに?」

「すみません。春日井さんから、実月さんが今日ここで仕事をしていると聞いたので、来ちゃいました」


 春日井さんは件の合コンで幹事をしていた人だ。確か沖田さんの彼女さんだったから、きっと沖田さんが今日のことを漏らしたんだろうな。

 よく見ると、双葉さんは以前会ったときと違って私服姿だった。黒のTシャツの上にチェック柄のキャミソール、その胸元には大きなリボンがあしらわれていて、元々の幼さが更に強調されているようだった。


「あ、それと差し入れを持ってきました。よければ皆さんで頂いてください」


 すると、双葉さんは両手で掴んでいた紙袋を実月へと突き出した。それを受け取って中身を見ると、入っていたのは最近よく目にするお店のクリームパンが三個、そして実月が大量に買い込んだものと同じブランドのグミが三袋。ただし、味はコーラではなくサイダーだった。


「えっと、グミは実月さんがいつも食べてると聞いたので」


 つまるところ、これも沖田さんからの差し金なんだろう。頭の中で沖田さんのしてやったり顔が容易に想像できる。明日会社で会ったらなんて言ってやろうか……。


「あ、ありがとう。とりあえず座ってくれるかな」


 双葉さんに座るように促す。しかし、


「えっとー……」


 改めて彼女と向き合うとやりとりの言葉が浮かんでこない。双葉さんは製品ではなく実月に会うためにやってきたのだ。製品の試聴が目的のオーディオファンのように「これを聴かせて」とか「これはどうなってるの?」みたいなことを言ってくれるわけではないので非常にやりづらい。

 ふと横目で阪根さんを見ると、彼女は面白い物を見つけたと言わんばかりの目でこちらを見つめている。きっとこのやりづらさは彼女も感じていたものと一緒だろう。でも、ついさっき「仕事中だってことを忘れないように」と言った手前だ。ちゃんと自分が見本にならないと。


「実月さんの会社って……」

「へっ?」

「以前チラッと聞きましたけど、音楽を聴くためのものを販売しているんですよね」

「そう。これ全部そうなんだよね」


 実月がそう答えると、双葉さんはテーブルの上にある製品を右から左へひとつずつ順番に見回した。その中にどう使うのかわからないと思う製品もあるみたいで、その度にちょっとだけ首が傾いたりしている。


「双葉さんは普段音楽って聴く?」

「はい。趣味って程ではないですけど、好きなア……アーティストの曲をよく」

「それっていつもどうやって聴いてる?」

「えっと、いつもはスマホで聴き放題のアプリを使ってます」


 そう答えながらポケットからスマホを取り出す双葉さん。見たところイヤホンジャックが無いタイプのスマホのようだ。


「聴くときはイヤホンを使ってるの?」

「はい。ここに挿すイヤホンを使ってます」


 双葉さんはスマホの充電端子を指差した。なるほど、それならこんな提案ができるぞ。ひとつの光明が見えた瞬間だった。


「双葉さんって、普段は音楽の音質って気にしたことがあるかな?」

「い、いえ」

「例えば、これはその音質を向上させるものなんだよね」


 実月が双葉さんに差し出したのは、展示品のひとつ『Fairy Tailフェアリーテイル』というスティック型アンプ。Yukiguni Soundが一万円以下で発売予定のオーディオ初心者にふさわしい製品で、双葉さんがさっき首を傾げていた物のひとつだ。


「これを通して聴くことで、スマホに直接イヤホンを繋ぐよりもノイズや歪みを抑えてクリアな音楽を楽しめるようになるんだけど、試してみる?」

「は、はい。あ、でも私今日はイヤホンを持ってきてなくて」

「じゃあ、これ使ってみようか」


 実月は更に新作イヤホン『Carillonカリヨン』が置かれているトレーを手前に引き寄せる。


「わ、わかりました」


 実月の営業トークに押されていたであろう双葉さんは、おそるおそるそれらを手に取ってスマホに繋いでみる。彼女は一応実月の話を興味持って聞いてくれていただろうが、なんだかオカルト商品の押し売りみたいになっていたんじゃないかって気がしなくもない。


「えっと、これでいいんですか?」

「うん。それで音楽を聴いてみて」

「はい。えっと……」

「あ、そのイヤホンはこうやって着けるんだよ」


 双葉さんがイヤホンの付け方に迷う素振りを見せたので、実月はそれを手に取ると自分の耳の裏にケーブルを通してから本体を耳に入れてみせる。いわゆるシュア掛けなのだが、初めてそれを見た人からしたら付け方がわからなくても仕方ないだろう。


「じゃあ、聴いてみますね」


 イヤホンを受け取った双葉さんはそれを耳に入れると、アプリを立ち上げて選曲を始めた。チラチラと実月の様子を伺う素振りを見せながらも画面に表示させたのは、最近目にする機会が多い男性アイドルグループの曲だ。


「野中さん、野中さん」


 それまで隣でずっとおとなしくしていた阪根さんが、突然実月に耳打ちをし出した。


「な、何?」

「今のはそうじゃないですっ。野中さんが双葉ちゃんにイヤホンを付けてあげるべき所じゃないですか。こう、双葉ちゃんの後ろに回って……」

「いや、そうはならないでしょ」


 阪根さんは今のやりとりに何の期待をしていたのだろう? 仕事なんだからそんなスケベ心を出せる余裕なんて無いのはわかると思うんだけど。自分だってさっきも同じ状況だったクセに……。

 双葉さんに目を戻すと、にわかに信じられないと言い出しそうな目でイヤホンに耳を傾けている。しかし音楽を流し始めて間もなく、その目は美しい景色を前にした時のようにぱあっと見開かれた。


「すごい! 全然違いますねっ」

「違いがわかったかな?」

「はい。何がどう違うか上手く説明できないですけど、音がリアルになったような気がします」


 すごいですねと呟く双葉さんの製品に向ける目線がさっきとは別物だった。実月としても、スティック型アンプを使った時と使わない時の音の違いをわかってもらえたことにほっと一息吐いた。


「私、これすごく気に入りました! 早速買っていきますね」

「えっ?」


 双葉さんのいきなり購入宣言に言葉を失う。そのまま二の句を告げずにいると、


「あと、このイヤホンも買います! 普段使っているイヤホンよりもすごく音がよかったですし……」

「ちょ、ちょっと待って」


 ふんすと鼻息が聞こえてきそうな勢いだったので、実月は慌ててそれを制する。


「買ってくれるのは嬉しいんだけど、これ両方ともまだ発売してないんだよね」

「じゃあ予約します」

「でもそのイヤホンは五万円するよ」

「へっ!?」


 目を見開いて手元のイヤホンに目線を落とす双葉さん。まあ、その反応になるのも無理はないよなあ。イヤホンの価格はまさにピンキリで、千円以下で買える物もあれば余裕で十万円を越える物だってある訳だし。値段に恐れをなしたのか、双葉さんはイヤホンをそーっと元々置いてあったところに戻していた。


「そ、そんなにするんですね……」

「うん。だからこういうのを買うときはちゃんと試聴して自分の好みに合うか、よーく検討して買った方がいいよ。双葉さんにはこれらを聴いてもらったけど、俺はあえて強くおすすめはしないから」


 すると、双葉さんは少し不思議そうな顔をして実月の方に顔を向けてきた。


「えっ?」

「こういうオーディオ製品は自分の好みを重視した方がいいと思うんだよね。どんな部品を使っているとかどんな技術を盛り込んだとか、そういう宣伝はするけれど、その製品が自分の好みに合わなかったら使い続けるのも辛いでしょ。十万円するイヤホンより一万円くらいのイヤホンで満足できるってことザラにあるしね」


 人によって食の好みが異なるように、音にも好みがある。それは様々なオーディオマニアとやりとりして感じたことだ。同じ製品を試聴してもらった感想は千差万別で、べた褒めする人もいれば渋い顔をする人もいる。それは人によって音楽に対して求める物が異なるからだ。だから、実月はSNSで情報発信するときも、とりあえず試聴を推奨している。


「なかなか奥が深いんですね」

「というより、その方が自分が幸せになれるってことなんだけどね」

「ところで、双葉ちゃん」


 実月の話に横から割り込んできたのは阪根さんだった。その口振りが何やら張り切っている様子で、すぐに嫌な予感を覚えた。


「あっ、私は野中さんの後輩の阪根深雪です。それで、双葉ちゃんは今日の夜八時って予定空いてる?」

「え、はい。特に何も」

「実は今日の夜八時からヨキイヤの配信があるんだけど、それに野中さんが出演するって知ってた?」

「はいっ。実月さんの晴れ舞台だって聞いてます」


 これも沖田さんから吹聴されたことだろう。でも、晴れ舞台ってさすがに言い過ぎなんだけど……。もう明日顔会わせた時に何か言ってやるだけでは済まなくなりそうだ。

 すると、双葉さんは実月をまっすぐ見つめて、


「頑張ってくださいね実月さん。私も頑張ってスパチャします!」

「いや、スパチャなんてできないと思うよ。仮にできたとしても、それがうちの会社には入らないし」

「あ」


 バーチャルライバーの配信じゃないんだから……。そのことを指摘すると、双葉さんはみるみる顔を紅くしていった。


「そ、そうですよね。つい熱くなっちゃいました……」


 何というか、双葉さんってまっすぐに自分へ好意を向けてくれているのはわかっているんだけど、時々それが空回りしている気がする。それは嬉しいことなんだろうけど、ちょっと不安でもある。


「ふふっ、双葉ちゃんってかわいいですね」


 そっと耳打ちしてくる阪根さん。こっちはこっちで一体何が面白いんだろうか?

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