仕事の幅②
「ふう、大体こんなものかな」
用意されたテーブルに並べられた展示品を確認すると、実月は額の汗を拭いながらため息を吐いた。
日曜日、秋葉原にあるヨキ@イヤホンのイベントスペースは、いろんなメーカーや代理店の担当者がひしめき合っていた。スペース自体がそこまで広くないので大規模な展示会と比べて参加企業の数が少ないのだが、各企業のブースが並ぶ様子に余裕が無いのは一目瞭然だ。
「野中さん、ノベルティは好きな物を選んでもらうんでしたっけ?」
ブースの奥からこっちへ振り向く阪根さんは、ベル・オーディオの公式バーチャルライバー『
「いや、こっちで適当に選んじゃっていいよ」
「わかりました」
そう返事すると、阪根さんはテーブルの上にステッカーの束を置いた。すると彼女はおもむろに実月の顔を見上げて、
「そういえば、今日は調子よさそうですね」
「そ、そうかな」
「はい。私はてっきり緊張で顔が真っ青になっているんじゃないかって思ってました」
「いや、我慢しているだけだよ」
阪根さんの横で『鐘築カリン』のアクリルスタンドを立てていた白川くんが、実月の代わりに答えた。
「野中さんはさっきからコーラグミをよく食べてるでしょ。そういうときは大体緊張を紛らわそうとしてるんだよ」
白川くんの指摘に思わず苦笑いが出る。実際その通りで、実月が出る配信は試聴会が終わった後の午後八時からだというのに、もう既に胃が笑ってしまっている。それを紛らわせるつもりで事前に固めのコーラグミを買い込み、スーツのポケットに忍ばせているのだ。
「まあ、あのペースだと無くなるの早いだろうから、いつでもコンビニダッシュできるようにしておいてね」
「わかりました」
「いやいや、その必要はないよ」
実月はブースの裏に回ると、自分が持ってきた鞄のポケットを空けてふたりに見せつけた。中身は同じコーラグミが九袋ほど詰め込まれている。それを見たふたりはたちまち呆れ顔になっていく。
「どんだけ食うんですか。そんなに必要ないですよね」
「いや~、営業からプレッシャーかけられてるからさ、これくらい無いと不安なんだよ」
「そんな大げさな……」
「……これ見ても言える?」
今度はふたりにスマホの画面を見せつける。それは昨日営業の三枝さんから届いたメールで、内容をざっくり言うと『Yukiguni Soundの売れ行きは一般向け部門の今後を左右するから、きっちり宣伝して来なさい。実月くんはできる子なんだから期待してるよ』みたいなものだった。その文面から伝わるプレッシャーを感じ取ったのか、ふたりの表情が徐々に青ざめていった。
「えっと、すみませんでしたっ!」
「あれ、三枝さんってこんな方でしたっけ?」
「まあ、これは冗談のつもりだろうけどね。でも『Yukiguni Sound』に力が入ってるのは間違いないから、だからね……」
話しているうちに、自分が配信でヘマをやらかす未来視が脳内を過る。たちまち胸のあたりが騒ぎ出したので、早速ポケットに忍ばせた袋の中からグミを一粒つまんで口に放り投げた。弾力が強いグミの食感を自分の歯でしっかり受け止めていると、胸騒ぎが少しずつ体の奥へ奥へと押し込まれていくようだった。
「なんか、試聴会って責任重大なんですね」
苦笑する阪根さん。その言い方から、自分の態度のせいで余計な不安を植え付けているのかも知れないって気がしてきた。
「い、いや。今日はちょっと特殊というか、試聴会は本来こんなに責任重大なものじゃないからね。オーディオマニアのお客様からいろいろ意見を聞いたりして、今後の製品作りとか売り方とかの参考にしていくのが目的だからね」
白川くんもうんうんと頷いてくれる。きっと呆れられているんだろうなと思うが、それは仕方ないだろう。
「だからさ、今の俺みたいに気負わなくていいからさ。むしろお客様とのやりとりを楽しむ気持ちで臨んだ方がいいよ」
今の自分に言われても説得力が無いだろうが、少しでも先輩としての威厳を見せておきたかった。そんなくだらない気持ちを察してくれたのか、
「はい、わかりましたっ!」
阪根さんから元気のいい返事が返ってきた。それを聞いてほっとため息を吐く。
「でも野中さんこそ、僕たちを頼ってもらっても構わないですから。こういう時こそ野中さんってトチりそうですし」
「それは言わないで……」
白川くんにチクリと刺されて、せっかく抑えていた胸騒ぎがぶり返しかける。が、その顔が頼もしく見えたのは事実だった。不安は多いけど、ふたりの明るい表情を見ていると今日をなんとか乗り切れる気がしてきた。
「まあ、そんな感じだけど、今日は一日頑張ろう!」
「「はい!」」
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