わからない②

「……なるほどなあ」


 テーブルの真向かいに座る沖田さんが大きくため息を吐いた。その隣では、さっきまで目を輝かせていた阪根さんが、目を閉じて大きく頷いていた。そして実月の隣では、ついでだからと連れてこられた白川くんが湯飲みの麦茶に口を付けていた。


 正午を迎え沖田さんと阪根さんの手で海鮮居酒屋に強制連行された実月。そこで料理が運ばれてくるまでの間、ふたりから合コン帰りに起こったことについて問い詰められた。

 双葉さんが家までの帰路に付き添ってくれたこと。朝を迎え、二日酔いで苦しむ実月のために薬やら食べ物やらを準備してくれたこと。流し台に溜まっていた洗い物を片付けてくれたこと。結局お昼過ぎまで付き添ってくれたこと。そのお礼にご飯を奢る約束をしたことなど、洗いざらい吐き出す羽目になった実月の気分は、事情聴取で自白する容疑者のようだった。


 そして、実月の話を聞き終えた沖田さんと阪根さんは揃って瞼をパカッと開いた。


「アリだな」

「アリですね」


 このふたりは以心伝心でもしているのだろうか。そう思いながらふと横を見ると、白川くんまでも目を閉じながらうんうんと頷いていた。


「さ、さすがにそれは早計過ぎません?」

「いやいや、疑いようがねえよ。そもそもさ、合コン中のみんなの様子を見てたけど、双葉ちゃんは明らかに野中に気がある感じだったぞ。逆に、そこまでされてどこをどう疑うんだ?」


 実月としてもそうなんじゃないかって予感は抱いている。ただ、どうしてもそれを否定したいという気持ちが勝ってしまっているのも事実だ。


「だって、理由がないじゃないですか」

「……なんだよ、理由って?」

「その……、こんな俺のどこが良くてアプローチしてきているのかとか……」


 そもそも、あの合コンに参加した男性陣の中では一番地味な存在だったはずだ。ほかの人たちはみんな華があったわけだし、ベクトルが向くとしたらそっちのはずなのだけど。


「一応訊きますけど、仕込みとかしてないですよね?」

「そんなことして俺にどんな得があるんだ?」

「野中さん、人の好意を疑うのはよくないと思います」


 阪根さんに諭され思わず身をすくめてしまう。本当は実月自身だってそんなことはしたくはないのだが、どうしても非リアをからかうカーストトップの女の子という図式が脳内を過ってしまうのだ。


「まあ、気持ちはわからなくないけどな。でも、それを知る必要は無いと思う」


 沖田さんはそう呟きながら、運ばれてきた鯛茶漬けの器に箸を入れた。


「合コンなんてあくまで出会いときっかけの場だからさ、単純に第一印象で刺さったからでいいと俺は思う。それだけで人となりを全部把握出来るわけじゃないし、そういうのは関わるうちに見出すものじゃねえか」


 唇を軽く噛みしめながら聴いていたが、沖田さんの話にはどこかスーッと入っていくものがあった。阪根さんも海の親子丼の器を持ち上げながら頷いている。


「そもそも、眼中にない人をそこまで熱心に介抱なんてしませんよ」

「……そういうもの、ですかね?」


 ふたりの言いたいことは納得できる。それでも釈然としない気持ちが居座り続けていた。


「ほんの少し会っただけでその人のことを気に入って、その人を熱心にお世話するなんて、できるものですかね?」


 目の前には、赤、オレンジ、白、黄色と彩り豊かな海鮮丼の器が置かれている。けれども、今はそれに手を出そうという気にはなれなかった。経験豊富な沖田さんの言いたいことは正しいと思うが、それだけでは足りないと思うのは自分の底意地が悪いせいだろうか?


「……できると思いますよ」


 声のした方を振り向くと、白川くんが囓った白身魚のフライを皿に下ろしていた。


「その人が気になったらあんなことをしたいとか、してあげたいとか、そんなことを思うのは普通だと思いますし、その気持ちだけで走り出すのは何もおかしくないかと……」


 それまで無口だった白川くんがいきなり口を割ったことで、実月だけでなく沖田さんと阪根さんの視線が彼に集中していた。そのことに気がついたのか、はっとした白川くんが顔を逸らした。


「ひ、人それぞれだと思いますけど、そういう人がいてもおかしくないってことです」

「そうだよなあ。慎重になるのもいいけど、時には勢いに任せるのも重要ってことだな」


 ニヤニヤと白川くんのことを見つめる沖田さん。


「もしかして、白川はそういう経験があんの?」

「あくまでも、そういう人がいてもおかしくないって話です」


 頑なにぷいっと顔を逸らして沖田さんの視線から逃げる白川くんの耳は真っ赤だった。これは後でさっきまでの自分みたいに根掘り葉掘り訊かれるだろうな。そんなことを考えていると、沖田さんが急にこちらへと振り向いた。


「で、お前はどうなの?」

「へ?」

「双葉ちゃんのこと。わざわざ家まで送ってくれて、その後の世話までしてくれて、そこまでされてどう思った?」


 裏がどうのって話は置いといて、と付け加える沖田さんに促されて、土曜日の朝を思い出す実月。キッチンから戻ってきたときに、自分の隣にちょこんと座る双葉さん。その姿にぐっとくるものがあったのは事実だ。


「その……、いろいろお世話してくれたのは正直嬉しかったでし、こんな彼女が居てくれたらって、ちょっと思いました」


 そう呟いて目線を海鮮丼の器から上に向けると、沖田さんと阪根さんが温かい目でこちらを見つめていた。途端に顔全体が熱くなるのを感じ顔を逸らした。


「思っちゃったんですね」

「思っちゃったんだなあ。じゃあちゃんとお礼をしなくちゃいけないよなあ」

「わ、わかってますって」

「わかってるんなら即行動!」


 沖田さんはテーブルに伏せて置いていた実月のスマホを指差した。


「今から昼休憩終わるまでの間に、双葉ちゃんに連絡入れていつデートするか約束をすること」

「い、今からですか!?」

「じゃないと、お前いつまで経ってもやんないだろ。まあ、土曜日の時点で約束したことについては、野中にしてはよくやったけどな。でも、そこで終わらせちゃもったいねえだろ?」


 仕事中とは違った真剣な眼差しを向ける沖田さん。阪根さんをチラリと見やると頑張りましょうと言いたげに目を輝かせているし、白川くんに至っては横目で頷くだけだった。


「わかったなら、早くそれ食えって。昼休みが終わっちまうぞ」


 沖田さんに促され、実月はようやく海鮮丼に手を伸ばした。やらされている感じに追い込まれているのは癪だが、せっかくの約束事が遅れるのはよろしくないのも事実だ。

 ……なんて送ろうか。そんなことを頭で考えていたら、かき込んだ海鮮丼のワサビが効きすぎてむせ返りそうになった。


「落ち着けって。もし、誘い文句がわからなかったら相談に乗るぞ」

「いいですね。私からもアドバイスしますよ。ところで、双葉ちゃんってどんな感じの子でしたか?」

「そうだなあ。合コン中は真面目でまっすぐな感じだったかなあ。ノリが軽いって感じはしなかったし」


 またしても当事者の実月を置いてけぼりにして盛り上がるふたり。一体何が楽しいのか、それがわかる日がいつかやってきてしまうのだろうか。いや、来ないで欲しいかもしれない。そんなことを思いながら少し冷めたマグロメンチを一口囓り、ふとスマホを手に取ってメッセージアプリを開く。


「……あ」


 思わずこぼれた間抜け声に、沖田さん、阪根さん、白川くんの視線が一気に実月へと注がれた。


「どうした?」

「その、連絡先を交換するの、忘れてました……」


 その瞬間、沖田さんの眉間にしわが刻まれた。

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