初めての合コン②

「これからおふたりで飲みに行くんですか?」


 合コン当日の金曜日、終業後のエレベーターホールでたまたま居合わせた新卒社員の阪根さんが声をかけてきた。


「ちょっと違うな。こいつを合コンに連れて行くとこ」


 沖田さんがそう答えると、阪根さんは怪訝そうな目線を沖田さんに向けた。


「あれ、でも沖田さんって彼女いましたよね?」

「向こうの幹事が俺の彼女だから問題なしっ! 今回は野中に彼女を作ってやろうと思っているから、黒子に徹するつもり」


 やましいことは何もないとアピールをする沖田さんだが、阪根さんは尚も本当ですかと疑っている様子。これまでの行いのツケが回ってきたのだろうか。プレイボーイも難儀だよなと思っていると、阪根さんが実月の方を振り向いた。


「いい人に巡り会えるといいですね。私、応援してます」


 今にもはち切れそうな胸元の前でファイトポーズをする阪根さん。清楚な顔立ちにグラドル顔負けのわがままボディという、エロゲのヒロインが現実に飛び出してきたような出で立ちの阪根さんに応援されるのは悪い気がしない。でも、その対象が合コンなのはちょっと複雑だ。


「いや、俺はローストビーフを食べに行くだけだし……」

「まだ言っているよ、こいつ」


 沖田さんは呆れ顔をするが、自分の合コンに参加するスタンスにブレはない。目的はあくまでローストビーフだ。女性とは……まあ少しくらい会話が出来れば良いかなと思っている。実月は沖田さんのことを無視して阪根さんの方へ向き直った。


「考えてみてよ、阪根さん。合コンにやってきた男性陣の中に俺がいるより、白川くんみたいな人がいた方がテンション上がるでしょ?」

「……僕ですか?」


 声のした方では、後輩の白川くんが困惑の表情を浮かべていた。少し痩せぎすだけど実月よりも身長が高いし、顔立ちだって地味目だがきっちり整っているほうだ。実際、社内の女性達の注目の的でもあるし、絶対合コンウケがいいに決まっている。


「おいおい、白川を巻き込むなよ。戸惑ってるじゃねえか」

「私はそんなことはないと思いますよ。今日の野中さんはいつもよりピシッとしていますし、それだけでも好印象ですよ。だから自信を持ってください。野中さんなら、きっといい人が見つかりますよ」


 確かにいつもより身だしなみを整えてきたのは事実だ。出勤前の髭剃りも少し出血するほど念入りにシェーバーを当ててきたし、髪も普段は使わない整髪料を使ってみた。だけど、それはそういう場に行くにあたって最低限必要だろうと思った故である。


「まあ、阪根ちゃんの言ったとおり、見た目に気を遣うだけでも女の子からの印象がいいからな。ちゃんとアシストしてやるから頑張ろうな」

「だから、そんなんじゃ無いですって!」


 すかさず声を荒げるが、そのタイミングでエレベーターがやってきてしまい、みんな一斉に乗り込んだ事で反論の機会を失してしまう。


「合コン頑張ってくださいね。良い報告が聞けるのを白川さんと一緒に期待してます」

「いや、あんまり期待して欲しくないんだけど。それと白川くんを巻き込まないであげて」

「最初に巻き込んだお前が言うな」


 沖田さんにパシッと肩を叩かれてしまった。叩かれたところをさすりながら白川くんに目を向けると、彼は苦笑いを浮かべていた。


 程なくしてエレベーターが一階に到着すると、


「それじゃ、先に失礼しますね。お疲れ様です」

「お先です」


 阪根さんと白川くんが挨拶を残してエントランスを抜けていった。その後ろ姿を見送りながら、実月はふと浮かんだ疑問を沖田さんにぶつけてみた。


「俺、なんでこんなに応援されてるんですか?」

「そりゃ、幸せになってもらいたいからじゃね?」


 そこまで心配されるほどのものではないような……。





「おーい、お待たせ」


 沖田さんとしばらくエントランスで待っていると、男性二人組が声をかけてきた。


「おう。俺らも今来たとこ」


 沖田さんが返事をする横で、実月は小さく会釈した。営業の人と聞いていたので知っているかもと思っていたのだが、全然知らないふたりだった。

 すると、そのうちの一人が実月に目を遣り、


「もしかして、そいつが今日連れてくるって言ってた後輩くん?」

「そう。俺の可愛い後輩だから、あんまりいじめんなよ」


 そんなことしねーよと返しながらも、まじまじと実月のことを見てくる。容姿のチェックしているのだろうか。思わず沖田さんの背中に隠れるように後ずさった。


「まあぱっとしないけど、いないよりはマシか。今日はよろしくな」

「よろしくお願いします……」


 沖田さんの同期だという二人もなかなか恵まれた顔立ちだ。実月の容姿チェックをしていた人は短髪オールバックの鼻筋が高いワイルド系で、もう一人も端正な顔立ちでフェロモンが溢れるような色男だ。


「早速圧をかけてんじゃねーよ、久保川!」

「そんなことねえって。そうだよな?」


 同意を求める久保川さんに対して、実月は苦笑いを浮かべることしかできなかった。その後も沖田さん含めて楽しそうに軽口を言い合う姿が、なんだか別世界の住人のように思えた。


 全員で揃って地下鉄を乗り継ぎ銀座駅の出口を抜けると、そこには川のように広い道路と立ち並ぶビルの群れ。こんな光景だけなら都心だと珍しくもない。

 でも、実月はそれらに妙な圧迫感を覚えていた。まるで、この『銀座』という街に自分が異質なものだと迫られているような感覚だった。合コン会場へ向かう間、実月はずっと沖田さんの背中にくっつくようにして歩いていた。


 合コン会場となるお店に着くと、大きな窓がある個室に通された。天井からぶら下がる照明は暗すぎず明るすぎず、シンプルな白の壁紙が落ち着いた雰囲気を醸し出していた。派手ではないが上品なお洒落さが、不思議と居心地の良さにつながっていた。

 男性陣は壁側の席に並んで座り、女性陣の到着を待つ。横で繰り広げられている沖田さんの同期ふたりの下世話な話を適当に聞き流しつつ、ローストビーフ以外にどんな料理が出てくるんだろうと口の中に涎を溢れさせていると、いきなり左の脇腹を突かれた。


「おい、食べることばかりに集中するなよ」


 実月の思考でも読んだのだろうか、沖田さんが目を細めて釘を刺してきた。


「わ、分かってますよ」

「本当かよ。あくまでも、合コンは出会いの場だからな。もし気になる子がいたら教えてくれよな。俺も手伝ってやるから」


 沖田さんの耳打ちに目を細めていると、テーブルの上に置かれていた沖田さんのスマホが震えた。画面を確認した沖田さんは迎えに行ってくると言い残して個室を出ていってしまった。


 もうすぐ女性陣がやってくる。今日はごはんが目的。何度も確認するように言い聞かせているのだが、どうしても心臓の自己主張がそれを上回ってしまう。ついには心臓だけに収まらず、その周囲がぞわぞわとざわついて来たので手のひらで何度も何度も宥め賺す。そうしているうちに、個室の扉が開く音が聞こえた。


「お待たせ、連れてきたぜ」


 沖田さんの言葉がきっかけで個室に二人の益荒男の雄叫びが轟く。その勢いにドン引きしていると、続いて四人の女性がぞろぞろと入場してきた。女性たちは沖田さんが言っていた通り綺麗な人ばかりで、思わずぽかんと口を開けてしまった。


 女性陣が窓側の席に座り、飲み物のオーダー、そして飲み物が届くまでの間、実月は自分の脈の音を聞いていた。男性陣、女性陣それぞれがひそひそと話す声が聞こえる中、やっぱり自分は場違いなのではという気持ちがだんだんと強くなっていた。

 しかしそんな緊張は、しばらくしてやってきたビールを目の前にしてほんの少し解れていた。黄金色の液体の中で浮かぶ泡を眺めていると、


「野中、これから乾杯するけど……」


 いきなりの耳打ちに、ビクッと沖田さんの方を振り向いた。


「な、なんですか……?」

「……いちいちびっくりするなよ。それより、乾杯の時はちゃんと女の子全員の目を見ること。それが自分はあなたに興味がありますってアピールになるからな」


 沖田さんは仕事の時ですら見たことも無いような真剣な眼差しで、思わずあなたは黒子役ですよねって口に出してしまいそうだった。


「わ、分かりました」

「沖田」


 沖田さんの眼差しにタジタジになっていると、奥の座席から声がかかった。声の主は藤木さんという色男だ。


「乾杯の挨拶、俺に任せてくれないか?」

「おう、気の利いたのを頼む」


 藤木さんはもちろんと言わんばかりに、シルバーの眼鏡を中指でずり上げた。その仕草は同性から見ても色気があるなあと思わせるものだった。


「ああやって自分から挨拶役を買って出る積極さもアピールになるからな。お前も見習えよ」


 もう今更だけど、合コンという集まりはやっぱり自分にとって百年早いものなんじゃないだろうか。早速頭の片隅に帰りたい欲求が芽吹き始める中、奥の座席から藤木さんが立ち上がるのが見えた。


「それでは、僭越ながら私の方から乾杯の挨拶を。女性陣の皆様、今日はお忙しい中お集まり頂きありがとうございます。私は、今回幹事を務めてくれた沖田くんの同期の藤木といいます」


 ハキハキと聞き取りやすい声でとても紳士的な挨拶を進める藤木さん。その口ぶりから、さっきまで下品なやりとりをしていたなんて想像できないだろう。実月はそのやりとりをすぐ横で聞いていたので、ビールが入ったジョッキ片手に目を細めてその口上に耳を傾けていた。


「ところで私、今日は素晴らしい日だと思っております。なぜなら、私が生まれたときからずっと、皆様にお会いしたいと思っていたからです。そして、今日こうしてお会いすることができた。……素晴らしいと思いませんか?」


 この人は一体何を言っているんだ? 一気に実月の頭のヒューズが吹っ飛んでしまった。生まれたときから会いたかったって、そんなことを恥ずかしげも無く堂々と……。


「その奇跡を祝して、乾杯!」


 ぽかんとする実月をよそに、藤木さんはかけ声と共にジョッキを掲げ、後に続いて全員が「かんぱーい!」とジョッキやグラスを掲げる。我に返った実月も慌ててジョッキを持ち上げた。

 沖田さんに言われた通り、女性陣ひとりひとりの目を見ながらグラスに自分のジョッキを当てていく。言葉にしてみれば簡単なことの様に思えるけれど、一瞬でも目線が重なる度に気恥ずかしさが積み重なり、乾杯を終えたジョッキの中のビールを一気に半分くらいまであおってしまった。


「よーし、それじゃ乾杯も終わったところで自己紹介をしていきますか!」


 こみ上げてくる炭酸をなんとかこらえていると、沖田さんが立ち上がりながら高らかに宣言した。


「今回幹事を務める沖田由高です。楽しい会にしていくんでよろしく。何かあったら気軽に声をかけてくださいね」


 手慣れた様子で進む沖田さんの挨拶に「よっ、幹事!」と合いの手が飛んでくる。その勢いというか、圧というのか、そんなものに押されっぱなしで帰りたい欲求が更に膨らんでいく。


「そして、今回女性側の幹事を務めてくれているのは春日井かすがいじゅん。俺の彼女だから、久保川と藤木は間違っても手を出さないように」


 笑顔の牽制に女性陣から笑いが湧き上がる。名指しされたふたりからは間髪入れず「おい!」とツッコミ。


「そんなことしねえよ!」

「っていうか、なんで俺たちだけ名指しされてんだよ!? 野中っちはいいのか?」

「俺が一番信頼してる後輩だからな。野中はそんなことする奴じゃねえし。な?」


 向けられた笑顔は明らかに笑っていなかった。実際、そんなことをするつもりが無くても背筋が震えだしそうになり、実月は思わず首を縦に何度振った。


「それじゃ、次はそんな後輩の野中だな」

「えっ!」


 いきなり名指しされて思わず声を上げてしまった。でも自己紹介の順番が単に隣へ移っただから、大して驚くことでは無いはずだ。顔がだんだん熱くなっていくのを感じながら、実月はおそるおそる椅子から立ち上がる。


「えー、野中実月、二九歳です。えっと……」


 少人数とはいえ、自分の顔に視線が集中している状況なんて学生の時以来だと思う。それに加えて、さっきの乾杯の挨拶からの流れのせいで、沖田さんの指示で考えてきた自己紹介の言葉が頭から吹っ飛んでしまった。次の言葉を紡げずモゴモゴしていると、


「ほら、落ち着けって。趣味は?」


 見かねた沖田さんが実月の背中をポンと叩いた。


「しゅ、趣味はそうですね……、ご飯の食べ歩きとかが好きです。今日はよろしくお願いします」


 実月は俯きながらそそくさと椅子に座った。


「あの、こいつちょっと緊張してるけど、話してみると面白い奴だからよろしくな」


 沖田さんのフォローのおかげでどうにかなった感じだろう。なんだか情けなくて、久保川さんと藤木さんの自己紹介の最中は顔を上げることができなかった。


 男性陣の自己紹介が終わると、次は女性陣の番だ。実月はなんとか顔を上げて、ひとりひとり自己紹介していく女性陣を順番に眺めていった。改めて全員がハイレベルな容姿をしているなと思ったが、特徴は四者四様だった。

 さっき名前が出た沖田さんの彼女さんは、スーツをパリッと着こなした仕事ができるキャリアウーマンって感じの女性だ。そして彼女とは対照的な、くりっとした瞳が特徴的な幼い見た目の小さい女の子もいて、彫りが深い顔立ちに浅黒い肌色と服の上からでも分かるボディラインがエキゾチックな女性もいる。

 そして、実月が特に気になったのは、ちょうど向かいの席に座っている女性だ。

 ちょっぴり垂れ目なその人は、癒やし系の女優さんを思わせる恵まれた顔立ちで、正直まともに直視していいものかと思ってしまった。また、ブラウスの大きく盛り上がった胸元といい、ぷっくりと柔らかそうな唇といい、思わず邪な妄想を掻き立ててしまうほどの罪な存在だ。


 自己紹介が一通り終わる頃には料理も一通り運ばれてきており、お目当てだったローストビーフもテーブルに並んでいた。お皿の上で文字通り山のように盛られたお肉を前にして、思わず声にならない何かが口から漏れ出てしまった。

 実月ははやる気持ちを抑え、取り皿片手に箸で一人分のローストビーフを持ち上げる。すると、


「あっ、私も手伝います」


 実月の右斜め前にいるロリ系の女の子が立ち上がると、彼女のつぶらな瞳と目が合った。


「えっと、じゃあそっち側の分をお願いしてもいいかな?」

「はいっ」


 照明のせいか、元気よく返事をする彼女の頬がほんの少し赤らんでいるように見えた。彼女のおかげで取り分けもスムーズに終わり、実月はようやく念願だったローストビーフにありついた。

 きめの細かい舌触りの赤身に歯を入れるとじゅわっと肉の味があふれてくる。タレの塩加減や酸味もいい塩梅でお互いの良さを引き立て合っているし、鼻を抜ける西洋わさびの風味もたまらない。やっぱり、スーパーの惣菜とかで売られているものなんかとは比較にならない。やはり、餅は餅屋、肉は肉屋と言ったところか。ああ、仕事頑張ってきてよかった……。


 数分もかからず自分の皿は空になってしまった。でも、ローストビーフはまだ目の前に大量にあるし、たとえなくなっても食べ放題だから注文すればまた運ばれてくるので思う存分堪能できる。食欲スイッチが全開になった実月は自分の皿にお肉を追加しようと箸を伸ばす。すると、


「おいっ」


 いきなり左肩を力一杯掴まれ、振り向くと沖田さんが引きつった笑顔を向けたまま、肩を掴む手に力を込めてくる。


「食うことばかり集中するなって言ったよな~」

「す、すみません……」


 女性達の方からクスクスと笑いが聞こえてきて、顔が熱くなるのを感じる。それでも沖田さんは肩から手を離してくれず、それどころか更にギリギリと力を込めてきていた。


「あの、わかりました。わかりましたから、そろそろ離してください。痛いです……」

「本当か?」

「はいっ」


 実月が返事をすると沖田さんはパッと肩から手を離してくれた。

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