魔法使いの一歩手前
かざはな淡雪
初めての合コン①
「なんで東京って人が多いんですか?」
とある平日の始業前、野中
「毎日毎日電車は満員。今日は遅延で更にぎゅうぎゅう詰め。それなのに、途中駅からでも乗り込む人の山……。どこかに人が無限湧きする場所でもあるんですかね」
「おまえ、東京に住んで何年目だよ。いい加減慣れろよ」
またかと言いたげに苦笑するのは、たまたま自動販売機の前で鉢合わせた三つ年上の上司・沖田さんだ。
「いや、電車の遅延なんていつものことですから、それだけならよかったんですけど……」
実月はプルタブを引いてコーヒーを一口流し込むが、主張が強すぎる甘味に思わず顔をしかめた。最近甘ったるい飲み物を飲みたいと思えないから微糖を選んだのに、かえって気持ち悪くなってしまいそうだ。
「何かあったのか?」
「俺の斜め前にいたおじさんが痴漢してたんですよ」
「うわっ、まじかよ」
沖田さんは顔をしかめた。
「たまたま下を向いたら、僕の前にいた人のお尻に手が伸びてて。位置的に俺が疑われてもおかしくなかったんで、ふざけるなって思いましたよ」
話しているうちに犯行の瞬間が脳裏に蘇り、どうしようもない不快感までも湧き上がってくる。どうしてあんなことができるのか、その神経が理解できないし、理解したくも無い。
「……災難だったな。でも野中が捕まらなくてよかったよ」
「全くです」
「ああ。お前の仕事も俺がやらなくちゃいけなくなるからな」
「そっちの心配ですか!」
思わず声を荒げると、沖田さんは冗談だよと笑いながら実月の肩をポンポンと叩いた。沖田さんは役職持ちだが、すごく気楽に話しやすい人物だ。入社当初からお世話になっている先輩ということもあるし、その気さくさが引っ込み思案な実月にとってありがたかったりする。
「そうだ。野中って今度の金曜日の仕事終わりって空いてる?」
「特に予定はないですけど……」
唐突な予定の確認で虚に突かれる。自分がいる部署はデスクワークが中心で、こういう風に声がかかる場合は大抵部署単位での飲みの誘いだったりする。でも、こんな夏の終わり頃に飲み会の動機になり得そうな出来事なんて思い当たらないが……。
「なら丁度よかった。実はその日に合コンすることになっているんだけどさ、良かったら出てみないか?」
実月は思わず目を丸くした。
「俺が、ですか?」
「そう。営業にいる俺の同期にせがまれてセッティングしたのはいいんだけど、人数が足りないんだよな。だから来てみないか?」
理由を聞いて妙な安堵感を覚えた。要は数合わせということだろう。実月はすっと目を逸らして、
「いや、遠慮しておきます」
「えー、なんでだよ?」
「数合わせなら白川くんがふさわしいんじゃないですか? 少なくとも、俺なんかより顔がいいと思いますし、相手のウケもいいと思いますけど」
実月と沖田さんでは見た目も正反対だ。目鼻筋が整った爽やか系のイケメンな沖田さんと比べると、実月の顔立ちは地味で野暮ったい。いまいちパッとしないから、合コンなんて呼ばれても女性陣から白い目で見られるのが関の山だろう。
すると、視界の端から細長い指がすっと伸びてきて、目にかかる前髪をペロリとめくり上げられてしまった。
「ちょ、ちょっと……」
「そんなに卑下するほどの顔でもないと俺は思うけどな。ちょっと可愛い系というか、多少整えたら割とイケるんじゃないか?」
沖田さんはそうフォローするけど、定期的に現れるニキビや最近目立つようになった口周りの青さなど、鏡で見る度に辟易するくらい気になるところばかりだ。やめてくださいよと、実月は沖田さんの手を払った。
「それに、俺はそういうのはもうどうでもよくなってるんですよね。相手にされないのは目に見えてますし、こんなやつが行ったところで盛り上がらないですよ」
合コンに参加したところで、女性からも相手にされずにじっとしている姿が容易に想像できる。それに合コンは雰囲気作りと盛り上げが大事だと訊いたことがあるが、それができる自信が実月には無い。それならいっそのこと参加しない方がマシだろう。
「だから、そんなこと言うなって」
沖田さんは自分の腰に左手を当てて言い放つ。
「野中は自分のことを相手にされないとか思っているかもしれないけど、そんなのは実際に行ってみないとわからないだろ。そうやって頭から決めつけるのはよくないぞ」
始まった、沖田さんの説教モード。普段はバリバリ仕事をこなす沖田さんだが、女性との出会いや色恋といったことになると、これまたかなり熱を持って持論を語り出す。それは様々な女性とたくさん遊んできた経験から得たものから生まれてくるものなのだろう。
「もしかしたらどうしても仲良くなりたい子が見つかった、なんてことがあるかも知れないだろ。それも、出会いの場に行かなかったらそれも無いわけじゃないか。自ら何事も一歩踏み出すことが肝心だぞ」
「まあ、そうなんでしょうけど……」
言っている事は間違いでは無いとは思う。ただ、実月と沖田さんではそもそも別人種であって、沖田さんみたいな人だからこそ、そういった場に出るのが許されているのではないだろうか。
「それに、余計なお世話って思うかも知れないけどさ、俺は野中のことを心配してるんだぜ」
さっきまで熱い語り口だった沖田さんの口調が、突然柔らかくなった。
「……何がですか?」
「おまえ、そういうのどうでもいいって言ってたけど、俺が彼女の話をしている時ちょっとうらやましそうな顔してるだろ」
「そ、そんなこと無いですよ」
思わず沖田さんから目を逸らした。そんな自覚は無いけれど、無意識のうちに表情が出てしまっていたのだろうか?
「野中は今年で三十になるだろ。そろそろ結婚も意識する歳だろうし、口では諦めてるって言ってるけど、本当は女の子とイチャイチャしたりおっぱい揉んだり、セックスだってしたいだろ?」
「な、何を言い出すんですか!」
思わず声を荒げながら沖田さんを睨み付けてしまう。いくら始業前の休憩室とはいえ、様々な立場の人がいる職場でそんなことを言い出すなんて何を考えているのか? 沖田さんは実月の反応を面白がるように笑っていた。
「ちなみに、場所はローストビーフが食べ放題のバルだぞ」
思い出したかのような沖田さんの言葉に、缶コーヒーを口に運ぼうとする手が止まった。おそるおそる振り向くと、沖田さんは思ったとおりとでも言いたげにニヤついていた。
「ローストビーフ……ですか?」
「そうだ。ちょっとお高めだけど、ローストビーフがおかわり自由のコースにしたからな」
ローストビーフがおかわり自由……。なんて耳障りのいいフレーズだろう。ローストビーフなんて下手するとここ数年くらい口にしてない気がする。どうしよう、ローストビーフを食べたくなってきた……。
「そのお店は人気の焼き肉店がプロデュースしてるって書いてあったけど、そうなるといい肉を使ってるだろうし、それが看板メニューっぽいから絶対においしいだろうなあ」
ダメ押しとばかりに誘惑の言葉を並べる沖田さん。頭の中に山盛りのローストビーフが浮かび上がり、口の中は唾で溢れかえっていた。食べたい。ローストビーフをすごく食べたい。
「……行きます」
誘惑に負けた。目を逸らしたままなのは最後の抵抗のつもり。
「そう言うと思ったよ。結局食い物で釣られるんだな、野中は」
表情が見えない沖田さんは呆れ口調だ。
「言っておきますけど、俺はそういうノリが全くわからないんで、場を盛り下げちゃうかもしれませんよ」
「気にするなって。俺もフォローするし。でも、食べることにだけ夢中になるのはやめろよな。あくまで出会いの場だからな。ちゃんと女の子に興味を持って相手にすること。いいな?」
「……はい」
沖田さんはきっとチョロいって思っているんだろうな。実際食べ物で簡単に釣られた訳だし、食欲にどうしても勝てないところが恨めしく思えてくる。
「ところで、沖田さんは合コンなんかに出ていいんですか? 俺は沖田さんの浮気の片棒を担ぐなんてことしたくたいですよ」
沖田さんは三十歳を超えてからは純さんという女性と真剣に交際していて、たびたび愚痴に見せかけたノロケ話を聞かされたりする。もう、かれこれ二年くらいは続いているだろうか。何か言い返したくなった実月はそこを突いてみることにした。
「そんなことしねーよ。大体俺は浮気なんてしたこと無いし。今回は向こう側の幹事を純にお願いしてるから、彼女の前で別の女の子引っかけることなんてしないから。今回の俺は黒子だよ」
実月の体から毒気がするする抜けていく。にわかには信じがたいが、そこまで軽薄な人間ではないということも知っているので、それ以上やり返そうとは思えなかった。
「とにかく、野中は参加ってことで。じゃあ、金曜はよろしくな」
「分かりました」
「くれぐれも食べることばっかり夢中になるなよ」
沖田さんはそう念を押すと、飲み終えたコーヒーの缶をゴミ箱に押し込んで去っていった。
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