Episode 星涼し

 その剣は正確に水平に保たれて、肋骨の間を美しい角度で抜けて心臓を穿いた。

 蒼と白の明滅で騒がしい脳の片隅で、背後の護りが無くなった事を漸く思い出す。


 開いた唇からは、肺からせり上がるヌルついた血液が喉を塞いでいる所為で彼の名の頭文字1つも溢す事が出来なかった。


◆◆◆


「私の頼みを断ると?」

「見ず知らずの方にいきなり声を掛けられても迷惑デス」


 キラキラと街灯がさざめき照らす、星祭りの夜に、独り寂しく家路を急いでいた私は、明白に怪しい男に声を掛けられた。

 態々、自分の様な低層階級の凡人に声を掛ける必要は無いのだ。

 いや、悪い方の使い途で必要とする場合の釣り針としては申し分無いのかも知れない。最近、失踪事件がここらでも有るとか無いとか。きっと私達にとっての死神は其処彼処で手招くのだろう。こんな風に。


 と、思考を巡らした私の視覚情報にウネウネと複雑に絡み合い、巻き付く紐が視えた。

 瞬間、ズキリと頭蓋骨を内から喰い破る痛みと共に、自分がナニか、を思い出す。

 今回、はこの時まで女神と何ら関わりを持たず、『普通』に生活していたらしい。

 ───最近、記憶が混濁する。前は、もっとハッキリと…前?


「呆けるな」

 

 夕陽が去り際に放った澄んだオレンジ色を写した、柔らかそうな髪を短く刈り上げた獅子の様な騎士然とした男が、不機嫌そうに咎める声に意識を戻されてハッとする。


 藍染めの反に墨を流した様な夜に。

 日輪の光と熱を持って存在する男が、ありきたりな街角に不似合い過ぎて、笑ってしまった。


「代筆屋の私に出来る事などありませんよ」


 何を言っているんだこの人は。と、明白あからさまに表情を歪めた私に、彼は大真面目に言い切った。


「出来るだろう、文字を書く事が」

「文字書きに戦場に行けとか意味わかんないって言ってるんですよ!」

「何故わからん?!」


 まぁまぁ。と、横から部下らしき方が割って入り詳しい話をなし崩しに聞く羽目になったのでした。

 いや。介入するならもう少し早く。



 私の特技は模写です。


 文字限定で、見たまま写し取ることが出来る。どんな時代の物でも、何処の国のモノでも。


 この世界には、魔法があります。魔法文字があります。

 魔法を使うには、魔力を魔法に変換して発動出来る『天職』と、魔法文字を刻んだ道具を媒介に魔法を行使する『使い手』が居ます。

 『天職』の方のほうが意識して魔力を使用出来る為か、同じ魔法でも威力が大きいです。

 魔法文字は、書き手によって手癖が出る為、威力もバラつきがあります。


 で。


 何故前線で文字を書く必要があるのか?道具や術苻を作るのは後方で良いはずデスよねぇ?!


 ───ここで最新のお知らせです。


 Q:人の身体に直接魔法文字を書くとどうなるでしょうか?

 A:『天職』と同等とは言えないまでも高い魔法が行使できるよ!


 ───正確に書かないと発動しないけどね

 ───汗とかで落ちる、ある薬草の汁で毎日書く必要あるけどね


 なるほど?で、庶民の代筆屋が狩られている訳ですね。


◆◆◆


 黄昏の騎士なんて異名を持つ彼は、鍛え抜かれた大柄な体躯と端的な物言いの大雑把な方です。

 然しよく言われるように、相反して面倒見の良い、皆から慕われる良い上司でした。

 むしろ、あの夜後から話に加わった従者の方が貴族意識が強く、平民差別が酷かった。

 

 ───ご自分の命に関わる仕事をさせるのに、信頼関係の構築無しにどうするのでしょうかね?特に、私の様な天涯孤独の身上者は人質も取れませんし。 

 

 まぁ、そんなこんなで彼の背に文字を描き続けたのです。


 彼の守るものが国からひとりの方に変わっても。


 国境沿いの小さな町の丘の上に、小さな遺跡。

 名も忘れられた様な神の、小さな小さな地下の祭壇。

 明日は国境に辿り着いて、ふたりは女神の神殿へ、私はビブリオテーカの研究員へ。

 

 私に背を預け、また私に手を差し伸べたただ一人の友人。


 嫌な予感は当たる物で、彼女と上衣を交換した私に凶刃は振るわれた。

 後方を守る彼の服の裾を、か細い指が握り込んでシワを作っていた。

 あぁ、二の足を踏んだ彼の、太い眉がキツく寄せられたせいで出来た眉間のシワが、すまないと、らしく無い言葉を代弁している。


 三人分の血が流れて、床に刻まれた古代の文字が浮かび上がった。


 足りない最後の文字を、唇から溢れた血液で描き綴る。


 ───吾は自己愛フィラウティアに囚われた女神を戒めるモノ也


 イイィィィと、耳鳴りがする。


 藍染めの反に墨を流した様な夜に。


 虹色の尾を引いて。


 星が、堕ちた。


 


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