遺された者

 七年前、その知らせを聞いたのは、ゲオルクの黄金章祝いの宴から一夜明けた朝だった。

 遺体は見つかっていないとのことだった。だが川魚を獲る漁師たちが、何人もその瞬間を見ていたらしい。色白の背の高い男が、腰まである銀髪を風になびかせながら、小舟から身を投げた……そうだ。舟には書き置きも残されていたという。

 事態を確かめるため、オレは酒の臭いが残るゲオルクと共に王宮へ向かった。そこでオレは、ヴァルターの遺書だという書き置きを渡された。オレたち宛の言伝もあるから、とのことだった。


『我が生涯のうちに、世話になった皆へ


 二十七年の生のうちに受けた、返しきれないほどの愛に感謝する。

 そして、あなたたちの愛と期待に応えられなかった己が身を、恥ずかしく思う。


 俺は今日、ブラウ川の水底へ旅立つ。

 今年の御前闘技会の前から、決めていた。

 このたび黄金章の栄誉を得られなければ、すべてを終わりにしようと。

 長年にわたり、多くの人々から寄せられた期待に、俺は応えることができなかった。

 すべては俺の弱さのゆえだ。

 恥多いこの身を、どうか許してほしい』


 以降、普段の剣技からは想像もつかないほどに繊細な文字で、周辺の人々ひとりひとりへの感謝と詫びが綴られていた。

 うちのひとつに、こんな内容もあった。


『床屋のハンスへ。黄金章を得た暁には、髪にはさみを入れてもらう約束をしていたな。腰まで伸びた重い髪を、君に切ってもらう日を楽しみにしていた。叶わないまま終わってしまうことを、心から詫びる』


 腰まで伸びた見事な銀髪が、勝利への密やかな願掛けだったことを、この時オレは初めて知った。

 そして最後に書かれていたのは、ゲオルクとオレへの言葉だった。


『ゲオルクへ。長年にわたり、おまえと剣を交えられたことを嬉しく思う。おまえは強い。俺よりもはるかに強い。おまえはアウレールと共に、俺の見られなかった高みを目指してほしい。弱い俺には、到底見られぬ境地を』


 本心じゃねえんだろうなとは思った。剣士としての最低限の礼節が、心にもない文言を書かせたのだろう。

 どうにもこうにも、やりきれなかった。

 御前試合に勝者はひとりだけだ。そればっかりはどうにもならねえ。

 だが、こうなる前にどうにかならなかったのか。白銀章、いいじゃねえか。王国の全剣士の、ほとんどてっぺんなんだぞ――

 ひとしきり首を振り、一緒に読んでいたゲオルクを肩越しに見上げると――あいつは、一言だけを吐き捨てた。


「くだらんな」


 はじめ、どう反応していいかわからなかった。

 だが次の瞬間、あいつはオレの手から遺書を取り上げて、屑でも扱うような手つきで、傍らにあった机へと放り投げた。


「……おい!」


 オレは叫んだ。おまえとヴァルター、長年の好敵手だったじゃねえかよ。その最後の手紙に、なんつう扱いをしてんだよ!

 だがゲオルクは、ひどく酷薄に口の端を曲げて、ぎろりと机の上の手紙をにらんだ。


「あいつが、こうも弱い奴だったとはな。見損なったわ」

「……な!」


 オレは言葉を失った。おまえ、死者への敬意とか弔いの気持ちは欠片も持ってねえのかよ!?

 固まるオレの前で、ゲオルクは酒臭い息をひとつ吐いた。


「アウレール、俺は王国へ仕官するぞ。黄金章十個が手土産であれば、相応の地位が約束されるだろう……それに――」


 ゲオルクは、己のあごひげを一撫でして言った。


「――試合など、しょせんは遊戯。真に強い者は、命を賭ける場にしかおらんのかもしれん」


 おまえ、正気かよ。

 おまえの言う「遊戯」になにもかもを賭けたがために、ヴァルターの奴は死んだんだぞ。

 呆然と見上げるオレに向かって、ゲオルクはにやりと笑って、右手を差し出してきた。


「頼りにしているぞ、アウレール。これからは戯れではない、命を乗せる武具を――」


 ――ぱぁん。

 高い音が響き渡った。

 オレは、ゲオルクの掌を全力ではたいていた。考える前に、手が動いていた。


「イヤだね」


 すっかり二日酔いの醒めた目で、オレはゲオルクを全力でにらみつけた。


「人殺しの道具は作らねえ。武闘会用の武具なら、ってことで、これまで仕事してきたけどよ――」


 ひどく悔しかった。

 十年来の相方が、こんな奴だったとわかったことが。

 人殺しの手伝いに誘われたことが。

 オレの気持ちは、結局、何も伝わってなかったんだってことが。


「――悪りぃが、ここでお別れだな。ゴタゴタも人死にも、オレはもうごめんだ」


 踵を返して、大股に王宮から出る。

 後ろでゲオルクが何か言っている。だが、もうどうでもよかった。


 オレが荷物をまとめ、王都エーベネを去ったのは、それから七日後のことだ。

 ヴァルターの、遺体がないままの葬儀を見届けた足で、オレはエーベネの城門を出た。もう二度と、ここへ来ることはねえだろうと思いながら。




 ◆  ◇  ◆




 泡のように浮かんでくる、七年前の記憶。頭の奥ではじけるたびに、あの日のありさまが連なって蘇ってくる。

 ……どうにも腑に落ちねえ。あのゲオルクが、王様やってるだなんてな。

 王様ってえのは、民草の言うことをよーく聞いて、皆が幸せに暮らせるように世の中を整えるのが仕事だろ。とてもじゃねえが、あいつに務まる気がしねえ。

 あいつは強い奴が好きだった。自分が強くなるのも好きだった。空いた時間は鍛練に明け暮れていたし、強い武具を作るオレを大事にもしてくれた。

 一方で弱い奴には目もくれなかった。川に身を投げた――つまりは、あいつから逃げた――ヴァルターへの態度が酷かったのも、そのあらわれなんだろう。

 だからゲオルク、てめえにできるはずがねえんだ。王様ってのは弱い者を守るのが仕事だ。およそ世の中で、これほどてめえに向かない仕事もねえぞ?

 精霊と人間が共に暮らせる楽園? およそ、あいつの脳味噌から出てきたとは思えねえ言葉だな?


 考えれば考えるほど、わけがわからねえ。だが、ひとつだけ確かなことがある。

 ……裏で、なんかヤバいもんが動いてやがる。

 根拠はねえ。ただの勘だ。だがこちとら、伊達に七十二年も生きてねえ。この手の違和感がある時は、間違いなく後でなんかが起きる。そして……ゴタゴタやら人死にやらが出やがる。

 勘弁してくれ。オレはそういうの大っ嫌いなんだよ。だから王都の工房も知り合いも、ちょっとした贅沢には十分だった稼ぎ口も、親からもらった名前も、全部捨てたんだよ!

 だのに、ヴァルターといいこいつらといい……なにもかもを捨てたのに、なんでまだ追いかけてきやがる!!

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