密やかなる行商人

 目が覚めた時、まず感じたのは冷たい木の感触だった。頬の下に、固い木の床がある。

 オレは確か、宿でジークハルトに抱えられて、部屋に運ばれたはずだが……いったい何があった?

 身体を起こそうとすると、手が動かねえ。手首のあたりが、縄で縛られてやがる。

 重い頭を巡らせて、辺りを見回す。

 床も壁も、湿り気味の古い木でできている。天井あたりには蜘蛛の巣が見えた。埃っぽさに加えてかび臭さまで漂ってくる。まともに使われていた場所じゃあなさそうだ。

 そして――オレと反対側の床に、銀色の長い髪がうねり乱れている。ヴァルターの身体が、床に転がされていた。


「おい! ヴァルター!!」


 呼んでみると、うつぶせの身体がぴくりと動いた。だが、返事はない。


「おや、お目覚めかいロルフくん。……いや、アウレールくんと呼ぶべきかな」


 頭上から声が降ってきた。見上げると、骨ばった精悍な顔が――ジークハルトがオレを見下ろしている。手に、抜き身の短剣ダガーを持って。

 見れば、ヴァルターの側にはベルンハルトが立っている。手にはやはり短剣の刃が光っていた。よく見ればヴァルターも後ろ手に縛られていて、おそらく自力では起き上がれそうにない。


「アウレールくんのこと、ずっと探してたんだよ。大海から真珠一粒拾うような、大変な仕事だったさ……あの日あの時に偶然出会えたのは、きっと神様のお導きだね」


 ジークハルトの笑いに、どこか嗜虐的なものが混じっている……気がする。


「オレは、フォルスト村のロルフ・バウアーだ。そんな名前じゃねえよ」

「ほんとにね。アウレールくんが名前を変えたこと、気付くまでにもずいぶんかかったんだよ?」


 そのとき、部屋の反対側から大きなうめき声が上がった。手を縛られたままのヴァルターが、頭だけを上げてオレの方を見ている。


「気が付いたようだな、『白銀の』ヴァルター」


 ベルンハルトが口にした「白銀」の言葉に、ヴァルターは大きく身を震わせた。


「おはよう、薬入りの香草茶はおいしかったかい? ……これで、ようやく話ができるね」


 ふふ、と、ジークハルトが鼻で笑う。

 ベルンハルトが屈み込み、短剣の刀身をヴァルターの頬に当てた。寝ぼけ気味だった青い目が、一瞬にして鋭い眼光を湛える。


「長々と語る気はない。単刀直入に要求を伝える。……ロルフ・バウアーこと、精霊鍛冶師アウレール・シュミットの身柄を我々に渡せ」

「断る」


 ヴァルターが短く答えると、即座に二つの笑い声があがる。


「はっ、即答か……『白銀の』ヴァルター、どうやらおまえは、自分の置かれた立場を分かっていないようだ」

「君は、もう少し思慮深くなった方がいいね。こんな『所有者』に引きずり回されてたなんて、アウレールくんがかわいそうだよ」

「……おまえら、何者だ」


 高く笑う二人に、オレは訊いてみた。

 なにがどうなってんのかわからねえ。正体を訊いたところで、返ってくるのは偽の答えかもしれねえ。

 ひとつだけ確かなのは、こいつらが「殺し慣れてる」ことだ。山賊どもの急所を確実に斬り、ためらいなくとどめを刺していったやり口は、明らかに手馴れていた。剣闘士の、正面から戦うための技とは違う、「実用の」剣だった。

 そんな奴らに正体を問えば、命の危険があるかもしれねえ。それでも、訊かずにはいられなかった。

 二人は笑いをやめて、オレに向けて頭を下げた。いくぶん芝居がかった丁寧さで、二人は名乗る。


「僕はジークハルト・シュルツ。ヒンメル聖王国国王、ゲオルク陛下の使者だよ」

「同じく、ベルンハルト・リヒター。我らは陛下の命により、古き盟友アウレール・シュミットを迎えに来た」


 聞こえた名に、耳を疑う。

 国王? 陛下? どういうことだ? ゲオルクは今、なにをやってやがるんだ!?


「聖王国……? てめえら一体、何を言ってる……?」

「おや、知らなかったのかい? 建国とゲオルク陛下の即位から、もう一年くらい経ってるってのに。アウレールくん、ほんとうに辺境に引きこもったままだったんだね」

「聞いてねえ……何がどうなってんだ」


 ジークハルトとベルンハルトが、聞こえよがしの溜息をついた。


「おおよそ一年くらい前、陛下は北方に国を建て、自ら王となった。精霊と人間が共に暮らせる楽園を目指してね」

「理想郷を守り育てていくために、旧友アウレールの力が要る。陛下はそう仰って、私たち二人に君の捜索を命じたのだ」

「……オレはただの鍛冶屋だ。そんな力はねえよ」


 珍しく、ベルンハルトの方が笑った。


「君がどう思っているかは問題ではない。陛下は君を欲し、私たちは陛下の望みのままに動く。ただそれだけのことだ」

「それにしたって、捜すのは大変だったよ。名前を変えて辺境に引きこもった、ってところまでは突き止めたけど、その後の足取りがぜんぜんわからなくてね……鍛冶ギルドは構成員の情報を出してくれないし。だから――」


 ジークハルトが、一枚の紙を懐から取り出す。


「――ちょっと強引に、もらってきたんだけどね」


 見て、息を呑んだ。

 ロルフ・バウアー。師匠マイスターの有資格者。年齢と身体的特徴。経歴。その他仔細な備考……びっしりと埋まった各欄は、見覚えのある書式で綴られている。


「ギルドの……登録台帳か……!」

「本当に、あの時は驚いたよ。特徴が完全に一致する男の子が、同じ居酒屋でお酒飲んでたんだから」


 ジークハルトが、口の端を引き上げる。精悍な顔に浮かぶ笑いは、完全に自分の優位を確信したものだ。


「それで、めでたしめでたしになるはずだったんだ。……その『首輪』さえ、なければね」


 忌々しげに、ジークハルトはオレの胸元をにらみつけた。


「しかも『所有者』は、白銀のヴァルターときた。王都の闘技場で見たままの姿、さすがに驚いたぞ」

「念のため、目的も確かめさせてもらったけど……やっぱり色事目当てじゃなかったねえ。もしそうなら、代わりの子をあてがえばいいだけだから、楽だったんだけど」

「七年の間勝てなかった負け犬が、精霊鍛冶師を『隷属』させて連れ回している……とすれば、考えていることはひとつしかないだろう」


 負け犬、の言葉に、ヴァルターは大きく身を震わせた。


「目的地を推測して、人気のない経路へ誘導して……うまくいったからよかったけど、ほんと、余計な仕事が増えてしまったよ」

「だが、残る作業はひとつだけだ。……繰り返す。『白銀の』ヴァルター、彼の身柄を我々に渡せ」


 ヴァルターの眉間に、深い皺がよっている。口惜しげに唇を噛む様子が、痛々しい。


「くどい。断る……おまえたちは、俺を殺すことはできまい。俺が死ねば、首輪を付けているそいつも死ぬぞ」


 ベルンハルトが、短剣をヴァルターの頬から離した。そのまま目の前に遣り、ひらひらとちらつかせる。


「やれやれ……余計な面倒をかけさせないでほしいのだがな。この首輪、無力化する手段はいくらでもある」


 言いつつベルンハルトは、片刃の短剣の背側を、ヴァルターの白い喉に押し当てた。


「麻痺毒を飲ませるなり、牢獄で四肢を拘束するなり……殺さずに自由を奪うやり方は多い」

「手間が増えるから、あんまりやりたくないんだけどねえ。僕たちに余計な労力、かけさせないでくれるかな」


 ジークハルトの太い指が、オレの胸元に触れた。手際よくボタンを外し、上着をはだけさせ……首輪の赤黒い水晶を露にする。


「彼を自由にしてやれ。それで、すべては丸く収まるのだぞ」


 ベルンハルトが、ヴァルターの髪を乱暴に掴んだ。まとめた銀髪を引いて、強引に上体を起こさせる。

 オレと、ヴァルターの目が合った。


「我々の任務は、アウレール・シュミットの身柄確保、それだけだ。他には一切関知しない。『白銀の』ヴァルター、おまえにもな……彼さえ解放すれば、おまえに危害は加えない。約束しよう」

「彼は自由になれるし、君は苦しまなくてすむし、僕たちは任務完了できるし、陛下は旧友と再会できる。みんなが幸せ、いいことづくめじゃないか!」


 ジークハルトが高く笑う。

 ヴァルターの顔が、肩が、小刻みに震えている。だが眼光の鋭さを見れば、原因が恐怖でないことはわかる。

 きっとあいつは今、怒っている。なにもできねえ無力に。罠にはまった愚かさに。


 いま、ヴァルターに打てる手はねえ……ように見える。

 ヴァルターに残された選択肢は、二つに一つしかねえだろう。脅迫に折れて「隷属の首輪」を外しにくるか、それとも拒否し続けて捕まり、牢に一生繋がれるか。

 どちらにしろ、このまま事が進めば、オレはあいつの呪縛から解き放たれる。

 オレにとっては悪い話じゃねえ。同行者がヴァルターから、ジークハルトとベルンハルトの二人に変わるだけだ。首輪がなくなるか、実質無力化される分、途中で逃げ出す算段もしやすいだろう。

 だが、オレにはどうにもわからないことがあった。

 オレの脳裏で、七年前のいろいろなことどもが、泡のように浮かんでは消えていった。

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