奢りほど高い物はない

 山賊たちが使っているためか、もとは賑わう道だったためか、林道の地面は思いのほか整っていた。さほどの苦労もなく走り抜けると、ベルンハルトの言葉通り、十数戸ほどの家々が立ち並ぶ集落があった。煉瓦でできた簡素な建物はほとんどが民家だったが、一軒だけ、旅人が休める旅籠があった。マルクトの街どころか、フォルスト村の旅籠と比べても使われていない感じの宿だったが、ひとまず、オレたちはそこで一息ついた。


「香草茶を淹れてきます。しばらくお待ちを」


 埃っぽい台所を借りて、ベルンハルトが湯を沸かし始めた。火の番をする背中を眺めつつ、オレたちはジークハルトにここまでの経緯を訊ねてみた。


「たまたま僕たちも急いでいただけだよ。君たちが露払いをしてくれるなら、山賊の脅威も最小限になると思ってね」

「しかしそれでも、行商人には危険だと思うが」

「僕もベルンハルトも、自分自身の身はある程度守れるからね。討ち洩らしの山賊程度なら、なんとかなるかと思ったんだ……結果的に、それで正解だっただろう?」


 そう言われちまうと反論もできねえ。オレたちが、こいつらの剣で救われたのは確かだ。

 それにしたって、さっき見た剣の腕はずいぶん高い水準だった。ヴァルターと比べちまえば流石に落ちるが、御前闘技会の予選くらいなら楽に突破できるだろう。本職は行商人じゃなく剣士です、と言われれば信じちまいそうだ。

 ヴァルターも同じことを思ったのか、首を傾げながらジークハルトに訊ねた。


「剣は独学か? それとも師匠についたのか? こう言うのは失礼かもしれないが、二人とも剣の腕が行商人離れしているように思えてな」

「修羅場を何度もくぐっていれば、自然と覚えるものですよ」


 いつのまにかやってきていたベルンハルトが、答えた。手に持った盆から、香草茶の甘い香りが漂ってくる。

 白いカップを机に並べていく手つきが、かっちりとしていて優雅だ。こういうところを見ていると、確かに商人っぽいとは思うんだが……どうにも、腑に落ちない部分は残る。

 そういえばこいつらは「隷属の首輪」のことを知っていた。ひょっとすると、闇の品を扱う裏社会の商人なのかもしれねえ。まあそれはそれで、オレたちの関知するところじゃねえんだが。「獣の巣で火を焚く」ようなことは、しないにかぎる。


「カモミールです。香りは甘いですが、味は渋めですのでお気を付けを……昂った心を鎮めて、落ち着かせてくれる効能がありますよ。安眠にも良いとか」


 言われるままに啜ってみると、確かに香りに反して渋い。それでも温かいものは心を落ち着かせてくれる。休み休み飲んでいると、不意にヴァルターが席を立った。


「どうした?」

「……手洗いに」


 まあ確かに、戦ってる間は行ってる余裕がないからな。部屋を出て行く後ろ姿を、見送る。

 ……ん? なぜか、ベルンハルトとジークハルトもヴァルターの背中を見ている。三人で同じ方向を見ている様子は、ほんのちょっとだけ可笑しい。

 だがヴァルターが出て行った後、二人は急に真剣な表情になった。


「ロルフくん」


 ジークハルトが、オレの胸元に手を伸ばす。だが表情に、昨夜みてえな軽さが微塵もねえ。

 男くさい精悍な顔が、真剣そのものの目つきで笑う。


「これを、取ってあげよう」


 服の上から首輪の水晶に触れつつ、ジークハルトは確かにそう言った。

 聞き間違いじゃねえかと最初は思った。だが、続くベルンハルトの言葉が確証を与えてくれた。


「私たちは、君を助け出すために追ってきたんだよ」

「……本当か?」


 ちょっとにわかに信じられねえ。昨夜の居酒屋での態度と、あまりにも違いすぎる。


「オレはあいつの『所有物』だぞ? 勝手に手を出していいのかよ?」

「先の態度は申し訳なかった……だが私たちは、『所有者』を油断させる必要があったのだ」

「信じてほしい。僕たちはロルフくんの味方だよ」


 真剣そのものの二対の瞳が、オレをじっと見つめてくる。二人の態度に嘘はないように思える。

 ただ、どうにもわからないことがある。


「そいつはありがたい話だが……どうやってこれを外す気だ? あいつが素直に応じるはずがねえし、気付かれずに冥王神殿まで行き着くのはもっと無理だろう」

「それは――」


 二人が口を開きかけた時、部屋の扉が開く音がした。三人が一斉に黙り、乗り出していた身体を椅子の背に戻す。

 戻ってきたヴァルターは、特に異変には気づいていないようだった。軽く息を吐きながら、自分の席に戻る。

 ヴァルターはひとつ伸びをすると、香草茶のカップを一息に干した。ベルンハルトが満足げに目を細めた。


「おかわりは必要ですか?」


 ティーポットを持ちながら、ベルンハルトはオレとヴァルターを交互に見つめる。

 オレが頷くと、謹厳な行商人はカップいっぱいに茶を注ぎなおしてくれた。まだ、十分に温かい。


「ベルンハルト、ジークハルト。あんたたちはこれからどうするつもりだ」


 ヴァルターが訊くと、ベルンハルトが答えた。


「探しているものがひとつありますのでね。それを手に入れ次第、本拠に戻る予定です」

「なるほど。それは見つかりそうか?」

「はい、おかげさまで」

「それはなによりだ。とすると、二人とはここで別れることになるな」

「いえ……お二方とは、同じ方向に向かうことになります」


 ヴァルターが首を傾げる。オレも、傍で聞いててよくわからねえ。


「つまり、探し物はシュタール方面にあるということか?」

「そう考えていただいて差し支えありません。ところで――」


 ヴァルターとベルンハルトの話は、どうやらまだまだ続きそうだ。

 他人の話を延々聞いてると、どうにも眠くなってくる。安眠を誘う香草茶を、たっぷり飲んじまったせいもあるかもしれねえ。


「……すまねえ、茶のせいか眠たくてしょうがねえ。ちょっと寝てていいか」

「いいよ。疲れてるだろうし、椅子で寝るより部屋を借りた方がいいかもね。連れて行ってあげるよ」


 ジークハルトの太い腕が、オレの身体の下に差し入れられた。オレの小さな身体は軽々と抱き上げられ、運ばれる。

 部屋から出たあたりで、眠気が限界にきた。たくましい腕の中で寝こける寸前、ジークハルトの囁きが聞こえた。


「おやすみ、


 眠りに落ちかけたオレの頭に、違和感を感じ取る理性は残っていなかった。

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